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近代科学の政治経済史(連載第42回)

2023-02-01 | 〆近代科学の政治経済史

八 科学と政治の一体化:ソヴィエト科学(続き)

物理学・化学の政治化の抑制
 ソヴィエト科学に対する政治イデオロギー統制は、自然科学の中でも最も基礎的な物理学と化学の分野にも及んでいった。ここでも、西側で提唱されたいくつかの有力な基礎理論が「観念論」として排斥されることとなった。
 物理学分野では、アインシュタインの相対性理論や量子力学など当時の物理学界における最先端の学説が槍玉に上げられた。中でも、アインシュタイン理論は中心的な標的とされ、アインシュタイン派学者への攻撃が行われた。
 実際、1940年代末には体制が認証する公式物理学理論の採択を目的に、物理学者の全国会議が企画された。そこでは物理学における観念論を排撃し、弁証法的唯物論に適合する物理学理論を構築すると意気込まれていたが、当時ソ連が注力していた原子爆弾の開発に際して相対性理論などの放棄は得策でないことが指摘され、会議は中止となった。
 このような経緯は、ソ連の軍拡政策に奉仕する軍事科学の優位性が戦後確立されていく中で、軍事科学の基礎理論としても有用な物理学のイデオロギー統制が内在的に抑制された事象として注目される。
 ちなみに、1940年代当時、ソ連の原爆開発を理論面でリードしていたのは今日もロシアの中心的な原子力研究機関として存続するクルチャトフ研究所に名を残す核物理学者イーゴリ・クルチャトフであったが、物理学における行き過ぎたイデオロギー統制にブレーキがかかったのも、クルチャトフの進言によるものであった。
 ちなみに、アインシュタインの相対性理論を修正する理論的な試みとして、スターリン没後、アナトリー・ログノフが一般相対性理論の代替案として相対論的重力理論を提唱したが、これは体制イデオロギーではなく、個人的な学説として提示された。ただし、国際的な認知を受けた学説とはなっていない。
 一方、化学の分野では、より明確なイデオロギー統制と迫害が行われた。ここでは特に量子力学を化学結合現象の説明に応用するライナス・ポーリング(1954年度ノーベル賞受賞者)の提唱にかかる共鳴理論がブルジョワ的観念論として槍玉に上がった。
 1951年には有機化学に関する全国会議が開催され、共鳴理論を「ブルジョワ疑似科学」と弾劾したが、これはあたかも基礎医学のイデオロギー統制を明確にした前年のパヴロフ会議の化学版であり、実際、生物学・基礎医学におけるイデオロギー統制とのリンクが意識されていた。
 とはいえ、有機化学は重化学工業を重視するソ連の産業政策に奉仕する実用科学でもあり、迫害がさほど広範囲に及ぶことはなかったが、化学のような基礎科学へのイデオロギー統制はソヴィエト科学の質の低下と立ち遅れの要因となった。

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