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共産法の体系(連載第29回)

2020-05-01 | 〆共産法の体系[新訂版]

第6章 犯則法の体系

(1)刑法から犯則法へ
 真の共産主義社会は、刑罰制度を持たない。刑罰は国家主権を前提としてのみ成り立つ国家権力による究極的な権利剥奪処分であって、国家が廃される共産主義社会ではその存立基盤を失うからである。
 反対に、共産主義を公称しながら、刑罰制度は完全に存置されている体制があるとすれば、それは真の共産主義社会ではなく、いまだ国家の骨組みを残した標榜上の名目的共産主義社会にとどまっていることになる。
 しかし、刑罰制度の不存在はもちろん、犯罪の解決を法外のリンチや復讐に委ねることを意味しない。そうではなく、刑罰に代えて犯罪行為者の矯正及び更生を図る新たな制度が導入されるのである。
 その点では、改良主義的な刑罰制度の枠内ですでに現われている応報刑主義から教育刑主義への進歩の道程をさらに進め、刑罰という枠を取り去り、犯罪行為者の矯正及び更生を直截に目的とする処分に転換されるものと考えることができる。
 しかし、「教育刑」というとき、そこにはまだ刑罰としての性質が残されていることになるが、犯罪行為者の矯正及び更生を直截に目的とする処遇に転換された場合には、犯罪はもはや道徳的な「罪」ではなく、特殊な処遇を要する重大な犯則として把握されることになる。
 従って、共産主義社会において、犯罪と刑罰を定める「刑法」は存在せず、犯則行為と犯則行為者に対する処遇を定めた法という意味で「犯則法」と呼ばれる法典が「刑法」に相当する。「犯則法」はどのような行為が犯則に該当するかを予め法定し、かつそれに対して選択し得る処遇とその内容とを定める法律である。
 こうした事前法定主義の原則に関しては、伝統的な刑法と比べて大差はない。しかし、犯則行為に対する処遇はそれによって侵害された法益の重さではなく、行為者の矯正の必要度に応じて決まることから、個々の犯則行為に対する処遇が予め個別的に対応するわけではない。その限りで、杓子定規な形式的法定主義は否定される。
 簡単な実例として傷害についてみると、例えば現行日本刑法では「人の身体を傷害した者は、十五年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。」として、犯罪行為とそれに対応する刑罰が予め個別的に定められている。
 これに対して、共産主義的犯則法では傷害行為は犯則行為として法定されるも、個々の傷害行為者に対してどのような処遇を与えるかは当該行為者の特性を考慮して決定されるので、処遇の種類やその重さは個別的には法定されず、総則的に法定される。

:最終的に、法的な犯罪として残されるもの―言わば、最後の犯罪―は、ジェノサイドに代表される人道に反する罪である。ただ、この種の犯罪は世界法(条約)上の犯罪として民際的に処理される(拙稿参照)。

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