十五 メキシコ革命
(3)開発独裁体制の矛盾
1872年のフアレス大統領の急死は、権力の空白という以上に、精神的な支柱の喪失状況を生み出した。フアレスの後継者となったセバスティアン・レルド・デ・テハーダ大統領は執政者として十分有能ではあったが、この頃、強力な対抗馬として、軍人のポルフィリオ・ディアスが台頭してきていた。
元来は自由主義派にしてフランス傀儡第二帝政打倒の抵抗戦の指揮官でもあった彼は、フアレス存命中から権力への野望を示し、1867年の大統領選挙でフアレスと争うも、敗退している。その後も1871年大統領選に出馬するが、またも敗退した。
それでもなお権力への野望を捨てなかったディアスは、フアレスの死後、三度目の挑戦で臨んだ1876年大統領選に敗れ、レルド大統領の再選を許すや、軍事クーデターに出てレルド政権を転覆した。
こうして政権奪取に成功したディアスは当初、側近を短期間傀儡大統領に据えた後に自ら大統領に就任、1884年に再選すると、87年には憲法を改正して、大統領の多選禁止規定を排除、終身的に大統領にとどまることを可能にした。彼は元来、フアレスを意識して大統領の再選禁止を公約としていたにもかかわらず、自身には公約を適用しなかったのである。
こうして通算で30年以上に及ぶことになるディアス体制は、長期執権の見返りとして、半封建的な大農園アシエンダを保有する白人農園主の特権を保証するものとなった。
彼のライバルだったフアレスは19世紀のラテンアメリカでは―今日ですら―異例の非白人先住民族出自の大統領であり、理念的な面では農民層である先住民族の権利擁護を打ち出したものの、アシエンダ農園主の特権に切り込むことはできなかった。
ディアスはそうしたアシエンダ農園主層の特権を擁護しつつ、メキシコ社会を近代化する計画にも着手した。その手段として、かねてよりメキシコに触手を伸ばしていたアメリカ資本を優遇し、鉄道や鉱山などメキシコ基幹産業を外資に切り売りする形で開発を推進していったのだった。
このように、内に向けては農園主優遇、外に向けては外資導入という二枚政策はある面では的中し、メキシコ社会はディアス時代に近代的工業化を遂げ、インフラストラクチャーの整備も進んだ。そうした点で、ディアス体制は20世紀のラテンアメリカ諸国やアジア諸国にも、しばしば軍事政権(もしくは軍人政権)の形態で現れる開発独裁体制の先駆けとも言える性格を伴っていた。
しかし、ディアス式のメキシコ近代化は都市部にとどまり、地方では半封建的なアシエンダ農園が温存され、先住民系を中心とした農民は農場労働者として搾取される状況が続くというように、都市と地方のねじれ的な矛盾現象を生じた。
この矛盾は貧困状況に閉じ込められた地方農民層に強い不満を広げ、やがて世紀が変わると革命の地殻変動を促進するとともに、下層階級の暴発が革命に進展することを恐れる農園主や新興のメキシコ人企業家層―両者は時に重複した―の間にも「ディアス降ろし」の機運をもたらすこととなった。