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持続可能的計画経済論(連載第4回)

2018-05-01 | 〆持続可能的計画経済論

第1章 計画経済とは何か

(3)マルクスの計画経済論
 計画経済論というとマルクス主義を連想させることもいまだに多いが、実際のところマルクスの経済理論の中には、本格的な計画経済論が見当たらない。彼の主著『資本論』に代表されるマルクス経済論の圧倒的な中心は、資本主義経済体制の批判的解析に置かれていたからである。
 とはいえ、マルクスは間違いなく計画経済の支持者であった。そのことは、ごくわずかながらマルクスが残した片言から窺い知ることができる。例えば『資本論』第一巻筆頭の第一章に見える「社会的生活過程の、すなわち物質的生産過程の姿は、それが自由に社会化された人間の所産として、意識的・計画的な制御の下に置かれたとき、初めてその神秘のヴェールを脱ぐ」というひとことは、まさに計画経済の概略に言及したものである。
 もう少し具体化されたものとしては、晩年の論説『フランスの内乱』に見える「協同組合連合会が共同計画に従い全土的生産を調整し、もってかれら自身の制御下に置き、そうして資本主義的生産の宿命である不断の無政府状態と周期的な痙攣とを終息させるべきであるとするならば・・・・・それが共産主義以外の・・・・・何ものであろうか」という言述も、より明確に共産主義=計画経済に言及したものである。
 この後者の言述で重要なことは、マルクスの想定していた計画経済は「協同組合連合会(の)共同計画」に基づくものだということである。この点で、ソ連式計画経済のような国家計画機関による経済計画に基づくいわゆる行政指令経済とは全く異なっている。
 元来マルクスは、共産主義社会をもって「合理的な共同計画に従って意識的に行動する、自由かつ平等な生産者たちの諸協同組合から成る一社会」と定義づけていた。
 マルクスは国家廃絶論とは一線を画していたが(拙論『マルクス/レーニン小伝』第1部第4章(4)参照)、マルクスが想定する共産主義経済社会は国家行政機関が主導するものではなく、その基礎単位は協同組合企業であって、経済計画もまたそうした協同組合企業自身の自主的な「共同計画」として策定・実施される構想となるのである。
 それでは、マルクス経済計画論では貨幣経済との関わりはどうとらえられていたか。これについてマルクスはいっそう明言を避けているが、やはり晩年の論文『ゴータ綱領批判』に見える「生産諸手段の共有を基礎とする協同組合的な社会の内部では、生産者たちはかれらの生産物を交換しない」という言述からして、交換経済の現代的形態である貨幣経済は予定されていないと考えられる。
 かくしてマルクス計画経済論の概略は非国家的かつ非貨幣経済的とまとめることができるが、このような理論枠組みはマルクス主義を公称したソ連式の国家的かつ貨幣経済的な計画経済政策とはむしろ対立的なものだとさえ言えるであろう。
  ソ連がマルクスとレーニンをつなげて「マルクス‐レーニン主義」という体制教義を標榜していたため、ソ連の旧制はすべてマルクスに淵源があり、従って、旧ソ連の失敗はマルクス理論の失敗を意味するという三段論法的な評価が世界的に定着することとなってしまった。
 しかし、国家計画委員会をはじめとするソ連の旧制はすべてレーニンとスターリンの時代に設計されたものであって、本来はマルクスと切り離して「レーニン‐スターリン主義」と呼ぶほうが正確である。計画経済を新たに構想するに当たっては、マルクスとソ連とを直結させない思考法が特に必要である。

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