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農民の世界歴史(連載第7回)

2016-10-18 | 〆農民の世界歴史

第2章 古代ギリシャ/ローマにおける農民

(2)古代ローマ〈1〉

 元来、小さな都市国家だったローマは小規模な家族農を中心とする後進的な農業国であったが、同時代のギリシャやカルタゴから取り入れた農業技術を使って革新していった。共和政時代後期の第二次ポエニ戦争以後は、農業経営にも変革が起きた。
 同戦争には多くの農民が兵士として長期間徴兵されたことから、農民は農地を富裕な貴族に売却することを余儀なくされた。さらに戦後、ローマが支配領域を拡大していく中、属州ではいったん国有地として取得された土地が貴族に貸与されたが、それらの借地はしだいに借主の貴族によって事実上侵奪・所有されるようになる。
 このようにして、ラティフンディアと呼ばれる大土地所有制が形成されていった。大土地といっても、如上のような経緯から、当初は各地に分散した小土地の集積として総面積で「大土地」が形成されていったものであるが、富裕な貴族は周辺土地の借り上げや買い占めによって名実共に大土地所有者となり得た。
 これらラティフンディアで農業労働に従事したのは、奴隷であった。ローマ支配領域の急速な拡大に伴い、奴隷労働力は量的にも増大しており、結局ラティフンディアの農場主となれるかどうかは、奴隷購買力にかかっていた。
 共和政時代の政治家カトの農書『農業論』は、こうしたラティフンディア経営の秘訣を論じた教科書として、後世にもしばしば参照された。一方、農業をあらゆる職業中最良のものと称賛した文人政治家キケロが推奨する農業は、ローマ初期の家族農への回帰を夢見る風であるが、これはすでに理想郷であった。
 ラティフンディア経営は、奴隷労働力の供給が円滑な限りは、低コストの効率的な食糧生産を可能とし、ローマの農業生産力の向上に貢献したのである。他方で、土地を喪失した零細農民は没落し、都市の無産市民としてプロレタリア化した。
 このようにして、近代の先取りのようなローマ型階級社会が形成されていくが、根本的な改革は進まなかった。共和政末期の改革者グラックス兄弟の改革プログラムの核心は、大土地所有の制限と土地の再分配という農地改革にあったが、この種の革命的プログラムの常として既得権益層の強い反発に直面し、改革は挫折した。
 その後のローマは、グラックス改革の志を継ぐ勢力と抵抗勢力の間での抗争が100年近くにわたり続く混乱の時代を迎えるが、最後に対立を止揚したカエサルがグラックス改革に沿った農地法を制定、ようやく問題に一定の区切りがついた。
 この農地改革はいわゆる三頭政治期に行なわれたが、それはやがて来るカエサル独裁体制の前触れであった。ローマは改革の実現と引き換えに、それまでのある程度民主的な共和政から権威主義的な帝政への体制転換を経験しなければならなかったのだ。

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