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農民の世界歴史(連載第6回)

2016-10-17 | 〆農民の世界歴史

第2章 古代ギリシャ/ローマにおける農民

(1)古代ギリシャ

 多くの先行古代文明圏と異なり、大河川に支えられた肥沃な土地が存在しない環境下で発祥し、農業のイメージと結びつきにくい古代ギリシャであるが、実際のところ、古代ギリシャ人口の8割は農業に従事していたのだった。
 ギリシャ農業は乾燥した夏と湿潤な冬の二季に特徴付けられた地中海性気候を利用した穀物栽培やオリーブ栽培を基本とする乾燥農業であったが、土地の狭隘さと不毛さに常に悩まされていた。
 もっとも、農業の構造は古代ギリシャの基礎的な政治単位である都市国家ごとの成り立ちや環境条件により差異があったが、ここでは対照的な二大ポリスであるアテナイとスパルタの場合を取り上げるにとどめる。
 軍事的征服によって成立した高度な軍国であったスパルタの場合、身分制が厳格であり、第一身分のスパルタ市民は政治・軍事に専従し、その所有地は最下層の隷属民ヘイロータイを使役して耕作させた。ヘイロータイは征服されたスパルタ先住者の子孫と見られるが、完全な奴隷とは区別されたある種の農奴であった。
 実は、軍国体制が確立されたのも、スパルタが征服した隣国メッセニアの住民をヘイロータイに落として厳しく搾取したことに対し、メッセニアのヘイロータイがたびたび反乱を起こしたことに対する治安維持策という意味もあったのだった。
 こうして都市国家としては比較的広大な領土を擁する農業国となり得たスパルタに対して、元来土地がやせ、農業貧国であったアテナイでは早くから貴族による土地集中制が成立し―おそらく土地所有者の富農が貴族階級化したのだろう―、土地所有者と農民の階級分裂が進んだ。農民の中には債務を負い、当時の慣習であった債務奴隷に身を落とす者も続出した。
 紀元前6世紀初頭の「ソロンの改革」の柱の一つであった債務奴隷の禁止には農民の救済策の意義もあった。同時に土地の再分配を進め、所有土地の生産高に応じた新たな身分制度を作り出した。スパルタでは伝説的な立法者リュクルゴスにより大土地所有はすでに制限されていたが、前述のとおり、耕作は隷属民の任務であった。
 しかし、アテナイでもスパルタでも、紀元前4世紀頃から再び土地の少数寡占化が進行していく。この大土地所有制過程はポリスの衰退期とも一致している。とはいえ、もともと狭い都市国家では「大土地」といっても物理的限界があり、最大でも30ヘクタールほどのもので、古代ローマにおけるような文字どおりの大土地所有制が発達する余地はなかった。
 こうした農地の狭隘さは、ギリシャ人が地中海各地に植民都市を形成していった要因の一つでもあった。そのことは同時に、古代ギリシャが統一国家にまとまらず、かえってポリスを形成しなかった「遅れた」ギリシャ人のマケドニア王国に事実上併合されていく要因ともなった。

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