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「女」の世界歴史(連載第31回)

2016-06-27 | 〆「女」の世界歴史

第Ⅱ部 黎明の時代

〈序説〉
 
第Ⅰ部で見た女性にとっての長い暗黒時代は、おおむね中世と呼ばれる時代―「中世」区分がない諸国の歴史においても、近代に入る手前の段階―まで続いていく。
 しかし、ようやく16世紀頃から、まずは欧州で女権の黎明期を迎える。といっても、庶民階級レベルではなく、さしあたりは最高権力のレベルで、専制的な女性君主―女帝―が登場し始めるのである。この時代の欧州には歴史上著名な女帝が何人も輩出する。
 とはいえ、女帝はなお例外的存在であり、女帝の出現は女権全体の向上に直接の影響を何ら及ぼすものではなく、女帝は適任の男性候補が存在しない場合の代替的存在であるにすぎなかったという点では、古代国家に見られた例外女王の制度の延長とも言える。
 こうした女権=女性権力の許容を超えた、庶民階級をも含めた女性の権利としての女権の黎明は、いわゆる西洋近代が始まる18世紀末から19世紀を経て、20世紀初頭を待つ必要があった。
 この時代には、欧州で市民革命や社会主義革命などの大規模な社会革命が継起するが、そうした革命運動も多くは男性が主導していた。とはいえ、社会革命は女性の地位にも変動をもたらし、女権拡大運動も徐々に芽生えていく。
 その点、アジアでは全般に封建的な男尊女卑思想が根強く残り、近代に至っても女権の黎明は限定されていたが、日本を含む東アジアにおいては、西洋近代の波を受けた近代化革命・運動の過程で女権の黎明期を迎えている。
 こうした時代を扱う「第Ⅱ部 黎明の時代」では、まず近世帝国における女帝の出現を俯瞰した後、現代にもつながる近代化過程での女性の権利の萌芽をとらえる。
 他方、中世時代までは洋の東西を越え、両義化されながらも慣習的に許容されてきた同性愛(特に男色)に関しては、宗教道徳の近代的な再編によって、むしろ禁忌とされ、法律的にも取り締まりを受ける傾向が強まった。
 このような近代における反同性愛の反動現象は、女権の向上とは全く逆の方向性を取るものであるが、これについても、第Ⅱ部第四章の最終節で論及する予定である。

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