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世界共産党史(連載第2回)

2014-04-23 | 〆世界共産党史

第1章 近代共産党の始まり

1:共産党起源に関する緒論
 先に序説で、共産党を近代の所産と述べたが、その共産党の起源をどこに求めるかは必ずしも簡単な問題ではない。文字どおりに共産党の党名を冠した本格的な政党組織の始まりは、ロシア十月革命後に最高指導者レーニンのボリシェヴィキ党が改名したロシア共産党からということになるが、より実質的に見れば、それ以前から共産党の前身は存在したことになる。
 最初に共産党という語を明確に用いたのは、マルクス‐エンゲルスのあまりにも有名な共著『共産党宣言』であるが、この書はその題名にもかかわらず、共産党という政党組織の綱領文書ではなかった。彼らがこの小著を出した当時、まだ近代的な政党組織は生まれておらず、題名にあるKommunistischen Partei(英:Communist Party)とは、「共産党」というより共産主義者グループ(徒党)という程度の意味にすぎなかった。
 結局、マルクスとエンゲルスは共産党組織を終生自ら結成することはなかったが、『共産党宣言』には―「共産党」というよりも―共産主義者ら(複数形)の活動方法の基本が概括的に指示されていたことから、後にすべての共産党組織の基本文献として参照されることとなった。
 実際のところ、同書は共産主義の具体的内容を叙述したものではなく、この書の議論の核心は、著者らが空想的共産主義者と呼んだ何人かの思想と実践への批判にあった。マルクスとエンゲルスは彼らの思想と実践の意義を全否定し一笑に付すのではなく、そこから示唆を受けつつも袂を分かち、空想的共産主義者らが自覚していなかった要素を剔出しつつ、脱構築された新たな共産主義の運動を興そうと企てていたのである。そうした意味では、近代的な共産党の萌芽をこれら初期共産主義者の運動に求めることができそうである。

2:初期共産主義者の活動
 初期共産主義者の代表格は英国のオーウェン、フランスのフーリエ、サンシモンの三羽烏であったが、中でもオーウェンは社会実験的な実践家でもあった。彼は英国のニューラナークで協同組合営の綿紡績工場を経営し、資本家として成功すると同時に、当時としては労働条件がよく保障された理想的な工場環境を整備して注目を集めた。
 それだけにとどまらず、彼は私財を投じて米国に渡り、共有財産制の共産主義的共同体ニューハーモニー村を建設さえした。この実験は1825年から29年までのわずか4年で挫折したが、これは共産主義的な信念で結ばれた世俗的組織の先駆的な試みであった。
 だが、オーウェンの実践は政党というよりも、宗教団体に近いものであった。事実、彼はニューハーモニー村で失敗した後は、スピリチュアリズムの方向へ転向していったのだった。
 オーウェンを一定評価していたマルクス‐エンゲルスが特に批判的であったのも、オーウェン以外の初期共産主義者にも共通するこうした精神主義的な志向性に対してであった。『共産党宣言』では「彼らは、彼らの目標に平和的な方法で到達しようとし、当然失敗に終わるが小さな実験によって、実例の力によって新しい社会的福音に道を開こうとする」と皮肉を込めて批判している。
 たしかに、現実的な社会条件を考慮しない初期共産主義者の活動は、オーウェンの社会実験の挫折後、主としてフーリエの影響下に米国各地で実践された共産主義的ユートピアも含めてすべて挫折し、その後の共産党組織にも直接の影響を及ぼすことはなかった。ただし、オーウェンが工場に併設して始めた幼児学校の試みだけは資本主義的に切り取られ、幼稚園制度として今日まで生き延びている。

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