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ザ・コミュニスト

連載論文&時評ブログ 

共産主義の系譜と展望(2)

2025-07-09 | 〆共産主義の系譜と展望

Ⅰ 先史共産主義

(3)原始農耕/牧畜と共産主義
 農耕の開始時期については考古学的な新発見により時代が次第に遡っているが、いずれにせよ、最初期農耕は狩猟・採集の補充程度のものでしかなかったことも裏付けられている。農耕が狩猟・採集より比重を高めるのは、紀元前8000年頃の西アジアにおいてである。
 農耕は共同作業としての性格が元来強く、共産主義とは馴染みやすい。おそらく最初期の原始農耕は共産主義的に行われた可能性がかなり高いと見てよいであろう。すなわち、共同での栽培・収穫、収穫物の集団的共有と分配が自給自足的に行われていたと考えられる。この段階での集落共同体は小規模で、まさに共産主義的なコミューンに近いものだっただろう。
 集落共同体が原初的な都市と言える程度まで発達しても、例えば、紀元前7000年頃に遡るチャタル・ヒュユク遺跡(トルコ)の研究によれば、王族や神官のような特権階級の存在の特徴が見られず、平等社会であった可能性が高いとされる。
 また、最新の調査では、チャタル・ヒュユクでは旧石器時代の文化で典型的に観察されるように、男性と女性が同等の社会的地位を持っているように見えるなど、性別に基づく社会的差別はほとんどないことも明らかになった。
 共産主義=無階級・平等社会という定義も共産主義の定義としては不完全なものであるが―非共産主義的な無階級・平等社会も理論上は想定可能―、先史農耕社会が共産主義的であった可能性は十分にある。
 一方、牧畜も農耕とほぼ同時的に開始されたと考えられており、今日に至るまで両者は経済的に一体性が強いが、共産主義との関わりでは、両者には相違がある。
 牧畜は家畜の飼育を本旨とする生産活動であり、農耕に比べて、個人あるいは家族単位での家畜の所有という観念を醸成しやすい。今日でも、アフリカのマサイ族のような牧畜民にとって、家畜としての牛が最重要財産として貨幣以上に重要な財産価値を有しているということからしても、牧畜は農耕より私有財産制との新和性が高い。
 上掲チャタル・ヒュユクでも、時代が下ると次第に平等主義的ではなくなっていく証拠が見られるとされるが、これはチャタル・ヒュユクでも農耕に続き、牧畜が開始されたことと関連があるかもしれない。 


(4)首長制・都市の成立と脱共産主義
 農耕も規模が拡大し、自給自足を越えた余剰生産が行われるようになると、次第に脱共産主義化していった可能性がある。この段階に達すると、生産力の高い土地を占有する者が集落共同体の集団的指導者として力を持つようになったであろう。
 共同体の集団的指導者は当初、余剰生産物の管理や交易活動の運営など、主として経済的な面を采配する管理者のような存在であったかもしれないが、次第に地主として弱小の共同体成員を従えるようになり、共同体の運営が複雑化するにつれて、政治力も持つようになった。
 このように農耕の発達に伴い、共同体内部に階層が発生したことが、脱共産主義化の本格的な第一歩であったかもしれない。集団指導制の成立は同時に、指導者とその一族が共同体内の大地主となることにより、土地私有制の成立とも軌を一にしていたであろう。
 共同体の規模が拡大すると、統治の安定性の観点からも次第に単独の首長が采配するようになったことも容易に想定できる。こうして首長制が成立する。集団指導制にはまだ共産主義的な要素が残されていたが、単独首長制は明白に脱共産主義的である。
 その間、共同体の拡大と交易活動の広域化・商業化に伴い、各地に都市が成立したことも脱共産主義化を促進したであろう。富の集中と階層化が進んだ商業都市は素朴な共産主義とは本質的に相容れないものだからである。

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共産主義の系譜と展望(1)

2025-07-05 | 〆共産主義の系譜と展望

まえがき

 11月18日にサービス終了が予定されているgoo blogでは、終了に先立つ10月1日に新規投稿・編集機能の提供が停止される段取りとなっているが、それまでまだ日にちがあるので、当初構想しながら挫折していた連載を当ブログ上での最終連載として改めて縮約掲載することにした。
 この最終連載では、当ブログの主軸を成す共産主義に関して、その思想史的な系譜と今後の展望について総括することで、当ブログの締めくくりとしたい。
 共産主義を一つの観念ないし思想として見た場合、それは先史時代まで遡る可能性のある長い履歴を持つが、筆者はソ連の解体消滅以来、もはや失効したとみなされてきた共産主義について、仮冒を含む過去の共産主義思想に由来する先入観を排してこれを独自に再定義し、再生することを試みてきた反面として、共産主義の系譜についてはほぼ捨象せざるを得なかった。そのため、本連載をもって、その捨象した部分を補充する所存である。
 とはいえ、投稿可能な期間が実質上9月末までと限られているため、仮説上の先史共産主義に始まり、古代から現代に至る世界における共産主義の系譜と展望を相当な早駆けで総覧していかなくてはならないので、覚え書き的な素描とならざるを得ず、改めて新ブログ上で補訂する可能性がある。

 

Ⅰ 先史共産主義

(1)石器生産と原始共産主義
 しばしば過去の共産主義者の多くが先史時代を共産主義の原初段階として想起していたが、文字体系が発明され史料が残されている以前の先史時代における共産主義に関しては、すべて仮説の域を出ない。
 遺跡の考古学的な分析から社会のあり方を推測することはできても、観念ないし思想としての共産主義が先史時代に存在したかどうかは物質的な分析によっては導き出せないので、永久に仮説のままである。
 そういう前提で先史時代を見返すと、農耕開始以前の狩猟・採集社会における共産主義というものを想定することはできる。その点、共産主義=私有財産の否定・財産の集団的共有という定義による限り、集団的な狩猟や採集によって獲得した動植物を集団で分け合うことが原初の共産主義だということになるかもしれない。
 けれども、共産主義を私有財産の否定・財産の集団的共有という法的な所有観念のレベルに限局してとらえるのは旧い定義である。より新しい定義によれば、共産主義とは生産活動の様式に係る一つの考え方であり、それは生産手段の社会的共有を通じた共同的な生産活動及び生産物の公平な分配を志向する社会思想である。
 そうとらえ直すと、狩猟・採集よりもむしろ人類最初の生産活動と言うべき石器の生産がいかにして行われていたのかということのほうがより重要な問題である。その点、簡単な石器の生産は原人の時代から確認されており、人類の進化に伴い、石器は様々な用途に応じた加工製品として発達していく。
 そうした石器製造における生産手段である石や採石場が集団的に所有されていたのか、また石器生産が集団的に実施され、かつ完成した製品としての石器が集団的に共有され、分配されていたのかは、先に述べたとおり、石器に対する考古学的な分析からは解明できない問いである。
 仮に石器生産が共産主義的に行われていたとすれば、それこそが最初の共産主義=原始共産主義ということになるかもしれない。しかし、石器生産が個人的に行われ、基本的に石器は製作者個人もしくはせいぜいその家族の所有に属すると観念されていたならば、原始共産主義は幻想であるということになる。


(2)互助的交易活動と共産主義
 人類は早い時期から集団間での交易活動を開始しており、人類とは本質的にモノを交換し合う動物である。こうした交換=交易は貨幣制度が発明される以前は物々交換によっていたと推定されるが、交易活動は後の商業活動の萌芽である。
 商業活動は私的所有権と私有財産という観念及び商業を専業とする商人という富を蓄積する階級を誕生させ、共産主義的な観念からの離脱を促進したことは間違いないが、貨幣が発明される以前の原初的な交易活動の段階ではまだ商人の階級分化は起きていなかったと想定することができるかもしれない。
 物々交換は貨幣交換よりも煩雑であり、しばしば儀礼的でさえあり、日常的・大量的に反復するには適しないから、物々交換による交易活動は富の蓄積を目的とした商的な活動というよりは、集団間の互助活動―さらには互助を通じた同盟形成―という意味合いが強かったとも考えられる。
 相互扶助(互助)は後に近代のアナーキズムが基軸とした経済思想であるが、共産主義においても相互扶助は生産活動の目的を成す観念であるから―資本主義における利潤追求と対照される―、互助的な交易活動は原始共産主義の一形態とみなすことも可能である。
 その点、考古学は先史時代から相当な遠距離間で交易活動が行われていたことを証明しているが、交易活動の目的や動機、様式までを解き明かすことはできないから、互助的交易活動というものもまた、仮説の域を出ないものである。

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