「山田式トレーニング」の評を書いたら、
きゃれらさんに「解ける問題集を軽視している」と思われてしまったようで…。
いや、実をいうと私。
最近、解ける問題集「しか」やっていないのですよ。
寝る前とか電車の中とか。
技術書もあまり読んでいない。
具体的には
「ポケット詰碁200」「ポケット詰碁180」「ポケットヨセ200」
「ポケット手筋200」「ポケット手筋180」「新ポケット手筋180」
「第一感の死活」「初段合格の死活」「ノータイム詰碁360」
「三段合格の死活」「三段挑戦の詰碁」「五段突破のの詰碁」…
書評にあげているものから一部をとりあげても、ざっとこれだけ。
「卒業した」ということで処分したのは「ひと目の詰碁」「ひと目の手筋」だけですね。
それも今となっては怪しいけれど。
あるいは難しめの詰碁集でも「C級」にクラス分けされている問題なら、
考えれば解けることが多いので、C級だけ拾い解き。
「C級の男」と呼んでくれ。
とにかくこんな感じで似たようなレベルの本をぐぅるぐる反復。
ただそうすると「山田式トレーニング」に出ている問題も、
どこか最近やった問題ということになってしまって…。
それがやや低評価になった理由。
とにかく問題集なるものに食傷気味でもあるのです。
もっとも難しい問題集よりも「ほとんど解ける問題集」がいいというのは
全面的に賛成。
この流れを組んでから実感しています。
何よりやはり解けた方が楽しい!
これはいつか主張しようと思っていたところ。
最近、「あんまり囲碁が上達しないな」と感じている人は、
問題集・技術書のレベルを落としてみるのも一つの手だと思っています。
それは決して恥ずかしいことではありません。
昔卒業したと思った本でも、結構いろいろな発見があるもの。
それも棋書を所有する楽しみの一つです。
きゃれらさんに「解ける問題集を軽視している」と思われてしまったようで…。
いや、実をいうと私。
最近、解ける問題集「しか」やっていないのですよ。
寝る前とか電車の中とか。
技術書もあまり読んでいない。
具体的には
「ポケット詰碁200」「ポケット詰碁180」「ポケットヨセ200」
「ポケット手筋200」「ポケット手筋180」「新ポケット手筋180」
「第一感の死活」「初段合格の死活」「ノータイム詰碁360」
「三段合格の死活」「三段挑戦の詰碁」「五段突破のの詰碁」…
書評にあげているものから一部をとりあげても、ざっとこれだけ。
「卒業した」ということで処分したのは「ひと目の詰碁」「ひと目の手筋」だけですね。
それも今となっては怪しいけれど。
あるいは難しめの詰碁集でも「C級」にクラス分けされている問題なら、
考えれば解けることが多いので、C級だけ拾い解き。
「C級の男」と呼んでくれ。
とにかくこんな感じで似たようなレベルの本をぐぅるぐる反復。
ただそうすると「山田式トレーニング」に出ている問題も、
どこか最近やった問題ということになってしまって…。
それがやや低評価になった理由。
とにかく問題集なるものに食傷気味でもあるのです。
もっとも難しい問題集よりも「ほとんど解ける問題集」がいいというのは
全面的に賛成。
この流れを組んでから実感しています。
何よりやはり解けた方が楽しい!
これはいつか主張しようと思っていたところ。
最近、「あんまり囲碁が上達しないな」と感じている人は、
問題集・技術書のレベルを落としてみるのも一つの手だと思っています。
それは決して恥ずかしいことではありません。
昔卒業したと思った本でも、結構いろいろな発見があるもの。
それも棋書を所有する楽しみの一つです。
「いろいろな変化も読みきった」上で
「正解がベスト」と判断できたときのみ
「正解」とする基準で挑んでいますが、
結構、自分が読んでいないことがあるのにガックリします。
そういう発見は大きいですね。
ただこの方法だときゃれらさんのいう、
「早く」解くとはまた趣旨が違いますが…(汗)。