蘇州の古刹、寒山寺を訪れた。
寺名は、唐代の名僧、寒山がこのお寺に住んでいた事に由来する。
寒山寺の銘版。
写真左の、木の下部が白いのは、防虫のためらしい。
中国ではあちこちで、見かける光景。
寺の中央部にある、鐘楼。
除夜の鐘を聴くため、年末には日本人観光客が殺到するそうだ。
この鐘楼の2階に上がると、こんな鐘があった。
ガイドさんの話では、
1回つくと福がくる。
2回つくと財がくる。
3回つくと官(役職)がくる。
4回つくと全てゼロに戻る。
私も家内も夫々3回ついて、そこでキッチリ止めた。
今さら官はいらないが、福と財は大歓迎。
寒山寺は、唐代の詩人、張継の七言絶句
「楓橋夜泊」にも登場する。
月落ち、鳥啼いて霜、天に満つ
江風漁火、愁眠に対す
姑蘇城外の、寒山寺
夜半の鐘声、客船に至る
張継も聴いた寒山寺の鐘をつけて、満足。
寺名は、唐代の名僧、寒山がこのお寺に住んでいた事に由来する。
寒山寺の銘版。
写真左の、木の下部が白いのは、防虫のためらしい。
中国ではあちこちで、見かける光景。
寺の中央部にある、鐘楼。
除夜の鐘を聴くため、年末には日本人観光客が殺到するそうだ。
この鐘楼の2階に上がると、こんな鐘があった。
ガイドさんの話では、
1回つくと福がくる。
2回つくと財がくる。
3回つくと官(役職)がくる。
4回つくと全てゼロに戻る。
私も家内も夫々3回ついて、そこでキッチリ止めた。
今さら官はいらないが、福と財は大歓迎。
寒山寺は、唐代の詩人、張継の七言絶句
「楓橋夜泊」にも登場する。
月落ち、鳥啼いて霜、天に満つ
江風漁火、愁眠に対す
姑蘇城外の、寒山寺
夜半の鐘声、客船に至る
張継も聴いた寒山寺の鐘をつけて、満足。
蘇州は「東洋のベニス」とも形容される、水の都。
寒山寺から虎丘までの運河を、船でのんびりゆられて行った。
唐代の詩人、張継が詠んだ「楓橋夜泊」で有名な楓橋を出発。
一路、虎丘に向かう。
我々が乗ったのは、こんな船。
ここではゴンドラより、こういう中国的な船が似合う。
狭い水路は、ベネチアそっくり。
両側に古い民家が続く。
少し広い場所が見えてきた。
こんな風景も、ベネチアに酷似。
但し、水はベネチアの方がキレイかも。
虎丘に到着。
蘇州の街中に張り巡らされた運河は、ほとんど人力で
造成したものだそうだ。
いくら人口の多い中国でも、これだけの土木工事をこなすには
大変な苦労があったのでは・・・。
中国のパワーを改めて感じる。
寒山寺から虎丘までの運河を、船でのんびりゆられて行った。
唐代の詩人、張継が詠んだ「楓橋夜泊」で有名な楓橋を出発。
一路、虎丘に向かう。
我々が乗ったのは、こんな船。
ここではゴンドラより、こういう中国的な船が似合う。
狭い水路は、ベネチアそっくり。
両側に古い民家が続く。
少し広い場所が見えてきた。
こんな風景も、ベネチアに酷似。
但し、水はベネチアの方がキレイかも。
虎丘に到着。
蘇州の街中に張り巡らされた運河は、ほとんど人力で
造成したものだそうだ。
いくら人口の多い中国でも、これだけの土木工事をこなすには
大変な苦労があったのでは・・・。
中国のパワーを改めて感じる。
「ワイタン」のシンボル和平飯店を陸と、船上から撮ってみた。
中央の緑色の屋根の建物が、和平飯店(北楼)。
上海の不動産王・サッスーン財閥が1929年に建てた
アール・デコ調の高層ビルだ。
今や「ワイタン」のシンボル的建物。
この写真は「ワイタン」の遊歩道から撮った。
これは、クルーザーが「ワイタン」から一番遠ざかった時に撮った。
和平飯店の緑の屋根が、左後方に小さく見える。
黄浦河の河幅が如何に広いか、が解る。
クルージング中の船も中央に小さく見える。
クルーザーがどんどん和平飯店のある「ワイタン」に近づく・・・。
更に近づくと、遊歩道を歩いている人の姿も識別出来た。
先程まで、私が立っていた場所だ。
気品ある和平飯店を、陸から、船から、じっくり鑑賞出来た。
大満足。
中央の緑色の屋根の建物が、和平飯店(北楼)。
上海の不動産王・サッスーン財閥が1929年に建てた
アール・デコ調の高層ビルだ。
今や「ワイタン」のシンボル的建物。
この写真は「ワイタン」の遊歩道から撮った。
これは、クルーザーが「ワイタン」から一番遠ざかった時に撮った。
和平飯店の緑の屋根が、左後方に小さく見える。
黄浦河の河幅が如何に広いか、が解る。
クルージング中の船も中央に小さく見える。
クルーザーがどんどん和平飯店のある「ワイタン」に近づく・・・。
更に近づくと、遊歩道を歩いている人の姿も識別出来た。
先程まで、私が立っていた場所だ。
気品ある和平飯店を、陸から、船から、じっくり鑑賞出来た。
大満足。