先般、京都北部の岩倉にある、実相院門跡を訪れた際
実相院近くの、岩倉具視の幽棲宅も見学しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/f1/b2b4a41ea1f771fa8f9c491672506d59.jpg)
塀越しに岩倉邸を覗く。
木立の間から茅葺の質素な建物が見えます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/0f/f3ddea9749641b9bd456ea01be3cc57a.jpg)
これが岩倉具視が幽居していた屋敷の入り口です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/03/b8bb62bf9acc2108a0e0b27f75b3fec5.jpg)
茅葺の建物と庭に通じる門
屋敷内には、古びたテーブルと椅子があり、岩倉具視にまつわる
遺品なども展示されていましたが、室内は撮影禁止でした。
ここで坂本竜馬や大久保利通らと王政復古の密議を凝らしたのか・・・
と思うと感慨無量でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/bf/c93b16634ad445c49d318f00e15d6978.jpg)
庭の奥に見えているのは、岩倉具視の遺髪塚です。
そして、庭の中央に少し見えるのは、岩倉具視お手植えの松です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/42/d32a5b0c4b4e26eacf9f0299cf7d05c3.jpg)
遺髪塚の横から屋敷を眺めた図です。
文久2年(1862年)から慶応3年(1867年)までの5年余り、
この屋敷に幽居していたそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/7b/4a0110a8008b6574f745285778ca8696.jpg)
屋敷を東側から眺めた図です。
茅葺の家と右手瓦葺きの家いずれも、岩倉具視が幽居していた住まいです。
草深い岩倉の面影が、残っていますね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/45/ee236a7bb4125fecc5c4c5864c8e8070.jpg)
瓦葺きの建物。
この建物の右手にかまどがあり、ここで具視自ら、煮炊きしていたようです。
岩倉具視は幕末騒乱に際して、公武合体をすすめ
皇女和宮の将軍家降嫁に尽力したが、
倒幕急進派の弾劾を受け、ここ岩倉の地で
しばらく幽居せざるを得なかったようです。
その後維新運動の中心になって活躍し、明治新政府の右大臣にまで
登りつめた事は、皆さんご案内の通りです。
実相院近くの、岩倉具視の幽棲宅も見学しました。
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塀越しに岩倉邸を覗く。
木立の間から茅葺の質素な建物が見えます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/0f/f3ddea9749641b9bd456ea01be3cc57a.jpg)
これが岩倉具視が幽居していた屋敷の入り口です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/03/b8bb62bf9acc2108a0e0b27f75b3fec5.jpg)
茅葺の建物と庭に通じる門
屋敷内には、古びたテーブルと椅子があり、岩倉具視にまつわる
遺品なども展示されていましたが、室内は撮影禁止でした。
ここで坂本竜馬や大久保利通らと王政復古の密議を凝らしたのか・・・
と思うと感慨無量でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/bf/c93b16634ad445c49d318f00e15d6978.jpg)
庭の奥に見えているのは、岩倉具視の遺髪塚です。
そして、庭の中央に少し見えるのは、岩倉具視お手植えの松です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/42/d32a5b0c4b4e26eacf9f0299cf7d05c3.jpg)
遺髪塚の横から屋敷を眺めた図です。
文久2年(1862年)から慶応3年(1867年)までの5年余り、
この屋敷に幽居していたそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/7b/4a0110a8008b6574f745285778ca8696.jpg)
屋敷を東側から眺めた図です。
茅葺の家と右手瓦葺きの家いずれも、岩倉具視が幽居していた住まいです。
草深い岩倉の面影が、残っていますね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/45/ee236a7bb4125fecc5c4c5864c8e8070.jpg)
瓦葺きの建物。
この建物の右手にかまどがあり、ここで具視自ら、煮炊きしていたようです。
岩倉具視は幕末騒乱に際して、公武合体をすすめ
皇女和宮の将軍家降嫁に尽力したが、
倒幕急進派の弾劾を受け、ここ岩倉の地で
しばらく幽居せざるを得なかったようです。
その後維新運動の中心になって活躍し、明治新政府の右大臣にまで
登りつめた事は、皆さんご案内の通りです。