先般、洛南にある御香宮神社を訪ねました。
平安時代の貞観4年に境内から香りの良い清泉が湧き出し
この水を飲んだ人は、たちまち病気が癒ったそうです。
そのため、清和天皇から「御香宮」の名を賜った由。
表門は、伏見城の大手門を移築したものだそうです。
切妻造りの豪壮な門で、国の重要文化財になっています。
水戸黄門のお父さんの、徳川頼房公の寄進と伝えられています。
由緒あり気な灯篭越しに、拝殿をのぞむ。
正面軒の唐破風は、手の込んだ彫刻で埋められています。
中央の蟇股(かえるまた)には、五三の桐、上部には鯉の滝登り(龍神伝説)
の光景が彫られています。
拝殿の壁を飾る彫刻を見て歩くだけでも、楽しいものです。
この拝殿は、紀州徳川家の藩祖、徳川頼宣公の寄進だそうです。
拝殿を抜けた所に、重文の本殿があります。
写真は本殿を東側から見た図です。
本殿を西側から見た図です。
屋根は桧皮葺で、大型の社流造り(ながれづくり)。
慶長十年(1605年)、徳川家康の命により建立されたものです。
豪壮華麗な神社です。
本殿を正面から見た図です。
徳川家の思い入れが濃い御香宮神社ですが、幕末の鳥羽伏見の戦いでは
ここ御香宮神社は官軍の屯所となり、神社の南に展開する幕府軍攻撃の
拠点となったようです。
皮肉なめぐり合わせを感じます。
平安時代の貞観4年に境内から香りの良い清泉が湧き出し
この水を飲んだ人は、たちまち病気が癒ったそうです。
そのため、清和天皇から「御香宮」の名を賜った由。
表門は、伏見城の大手門を移築したものだそうです。
切妻造りの豪壮な門で、国の重要文化財になっています。
水戸黄門のお父さんの、徳川頼房公の寄進と伝えられています。
由緒あり気な灯篭越しに、拝殿をのぞむ。
正面軒の唐破風は、手の込んだ彫刻で埋められています。
中央の蟇股(かえるまた)には、五三の桐、上部には鯉の滝登り(龍神伝説)
の光景が彫られています。
拝殿の壁を飾る彫刻を見て歩くだけでも、楽しいものです。
この拝殿は、紀州徳川家の藩祖、徳川頼宣公の寄進だそうです。
拝殿を抜けた所に、重文の本殿があります。
写真は本殿を東側から見た図です。
本殿を西側から見た図です。
屋根は桧皮葺で、大型の社流造り(ながれづくり)。
慶長十年(1605年)、徳川家康の命により建立されたものです。
豪壮華麗な神社です。
本殿を正面から見た図です。
徳川家の思い入れが濃い御香宮神社ですが、幕末の鳥羽伏見の戦いでは
ここ御香宮神社は官軍の屯所となり、神社の南に展開する幕府軍攻撃の
拠点となったようです。
皮肉なめぐり合わせを感じます。