自遊日記

定年後の備忘録

国宝・姫路城

2007-08-17 12:40:52 | 国内旅行
先般ボランティア仲間と姫路城を見学した。

国宝で世界文化遺産にも登録されている姫路城は
貫禄充分、見所いっぱいだった。






  











天守閣を様々な角度から眺める。
どこから見ても絵になる。

現在の五層七階の天守閣に仕上げたのは、
池田輝政(家康の娘婿)だそうだ。

姫路城は、最も完成された城郭建築といわれており、
築城当時の美しい姿がそのまま保存されてきた事が
世界遺産に指定された理由のようだ。









人の顔のようにも見える石垣。
魔除けの意味でもあるのだろうか?





石垣の中央にちょっと変った石が挟まっている。

秀吉が築城中、石垣の石がなかなか集まらなかった。
城下で餅を売っていた貧しい老婆が、この噂を聞き、
古くなった石うすを寄付したそうだ。

この話が町中に広まり、人々が競って石を寄進したため
工事は順調に進んだようだ。

写真中央は、老婆が寄進した石臼と伝えられる「姥が石」







敵の攻撃を防ぐ工夫が随所にある。

ここは、石垣をわざわざ張り出して、敵がこの狭い場所を
通らざるを得ない状況を造り出している。

敵がここを通過する際、集中攻撃を仕掛ける・・・
という作戦のようだ。






この緑の葉っぱのシャガはどこでも見かける草だ。
しかしこれを石垣の下に植えてあるのは、理由があっての事らしい。
この草を踏むとよく滑るそうだ。
敵の侵入を防ぐため、石垣の下にはよくシャガを植えたそうだ。







秀吉築城の名残りの壁、「油壁」

姫路城の壁はほとんどが、白漆喰の壁であるが
「ほ」の門の内側にあるこの壁は粘土に砂利を混ぜ
米のとぎ汁で固めたものといわれている。

砲弾にも耐える、コンクリート並みの強度だそうだ。





千姫ゆかりの西の丸。
千姫は、大阪城落城の後、本多忠刻に再嫁しここ西の丸で
幸せな日々を過ごしたそうだ。

写真は千姫の化粧料10万石で建てられたといわれている、
化粧櫓。






天守閣から、千姫の化粧櫓を見下ろす。







この階段は、時代劇の撮影によく使われる場所のようだ。







歴代の城主の家紋。
豊臣家の家紋、五三の桐も見える。


1580年、黒田孝高が秀吉にこの城を献上。
秀吉は中国地方攻略の拠点として活用。
羽柴秀長、木下家定が城主を努める。

関が原の戦いで大阪方が破れ、1600年以降は
徳川方が代々の城主に。

数奇な運命を辿った姫路城だが、戦災にも遭わず
よくぞ残ったものだ。