kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

江戸時代を当時の眼で見る「錦絵と瓦版」 

2020年04月21日 | 高槻しろあと歴史館と市民大学
高槻市教育会館で「しろあと歴史館 西本幸嗣 学芸員」さんの
『描かれた幕末を読むー錦絵と瓦版ー』を受講したことがあります。(2010-11)

●錦絵と瓦版は、浮世絵で(当世・世間・その時代)を描いた絵画資料
  江戸時代を当時の眼で見る材料です。「一枚物」

錦絵
 もともと肉質画と単色刷り(墨摺絵)、その後丹絵、紅絵、青絵など墨摺りに色を加える刷り物が登場。1800年ごろ(明和・文化)に多色刷りの「錦絵」が生れる。

瓦版
 単色から多色摺りのものまで多種多様。「土瓦を彫ったように粗末な版木で摺られて出版物」という意味から由来するという。1650~1700年頃(寛文・貞享)から登場し、幕末には政治的な事件を取り上げるようになる。
※江戸時代の情報文化の成熟をインパクトな絵と文章で伝える。(講座資料より)

瓦版 「時世のぼり凧 (いか)」

凧揚げが禁止された時に、凧と描いて“いか”と読んでいたそうです。
凧の字の横に“いか”とフリガナを描いてあります。

凧には物の名前が描かれており、高く揚がっているほど物価が高く
慶応2年(1866)には、米・酒・綿・麦・油・武具・金相場の凧が高く揚がってます。

瓦版 「末代記録 二編」

この瓦版は 「ええじゃないか騒動」 で
空から神仏の御札が降ってきた場所と、御札の種類や数などが描かれています。

錦絵 「諸神諸仏富士山江集会」 右は高槻に降った御札です。

高槻では、慶応3年11月の城下に伊勢神宮の御札をはじめ
大黒・エビスの様々な御札が降り、着飾った人びとが踊ったといわれています。

御札は富商・豪農など経済的に豊かな家に降ることが多く、降札のあった家々では
御札を祭るとともに大勢の人々に酒食を提供し騒ぎはさらに輪を広げたそうです。

錦絵 「豊饒御蔭参之図 (ほうねんおかげまいりのず) 」

慶応3年(1867)秋

三枚つづきの画面に、天から降り下るお札とその下で乱舞する民衆の躍動的な姿が描かれています。諸神のお礼や御祓・御幣をはじめ、仏像・掛け軸・小判などが乱れ降るなか、画面手前から右にかけて 「天照皇太神宮」 の幟をかかげて伊勢神宮に集団参宮する旅姿です。

瓦版 「平安大火末代噺」

元治元甲子七月十九日暁かわら町二条下る辺より出火、同四ツ時堺町御門辺より出火、益火はげしくして所々へ飛火又同日に伏見出火、山崎辺出火、嵯峨天竜寺へ飛火・・・「けが人 数多あるよし」や、左の地図には焼けた場所が分かるように描かれていました。

※ 瓦版などは数多く出版されたが、このように残っているのは僅かのようです。
  いま新型コロナウイルスなどの情報は、TV・WEB・新聞などで得ていますが
  幕末の情報は「瓦版と錦絵」で描かれていました。
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