こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

心配なこともあったが罹らずにきている

2020年09月14日 | 自然災害・事故・感染症
息子の結婚式から2週間が過ぎた。結婚式での新型コロナウイルス(COVID-19)のクラスター発生は免れたようだ。200人は入るという披露宴会場に両家の家族親戚だけで、1テーブルには5、6人。新郎新婦以外は全員が食事以外の時はずっとマスク着用。新郎父の挨拶もマスクを着けたまま行なった。花嫁のお父さんは途中で号泣して涙を拭いていたが、ハンカチを使っていたので問題はなかっただろう。

これまで新型コロナウイルス(COVID-19)に罹患しないできている。実質的なロックダウンだった5月の緊急事態宣言期間、数日在宅勤務に切り替えた以外は通常通り通勤した。それが解けた途端に父が亡くなった。わりと高名な医師だったので、知己もずっと診てきた患者さんも多く、葬儀をどうするか迷った。母はそんな父に”ふさわしい 立派な葬儀をあげてやりたかったようだが、少し小さめの葬儀場で知り合いには”時節柄、ご無理のないようにお願いします”という但し書きを付けた訃報を作成し、ごく数カ所に送った。また、家に電話してきた方にも送った。
受付をしていただいた方にはフェイスシールドをつけていただいた。おいでいただいた方にはお焼香だけしていただくようにし、会葬御礼だけを用意して、精進落としの席は設けなかった。お通夜告別式合わせて、それなりの人数の方とお別れができて、父も、またおいでいただいた方にもよかったのではないかと思った。父の葬儀が終わってからしばらくの間は、クラスター発生が心配だったが、大丈夫だった。
8月末の叔母の急逝には驚いた。父より10才近く若く、これといった持病もなかったので、従姉弟たちがいまだ気の毒でならない。熱中症が疑われ、敵は本能寺であった。京都まで妻と行き、従姉弟たちの家族と私たち夫婦だけの家族葬となった。往復の新幹線はガラガラで、感染の心配はなさそうで、翌週の息子の結婚式を迎えることができた。
こうしてみると、常識的な範囲で感染防御対策をとっていたらまずかかることはないと思う。この先も感染の機会は永遠にあり、いくら頑張ってもいつかはかかってしまうだろう。それでも3密を避け、大声での会話をしないということをしていたらいいだろう。感染の最大のリスクはやはり外食で、周囲に大声で話している酔客がいたりでもしたら、とっとと逃げる。あと、ウイルスはツバとともに吐き出されてそのままテーブルに付着していることがあるので、外食時にはテーブルを触ることへの注意が必要だし、テーブルを拭いてくれない、もしくは拭くための布などを用意していない店は使ってはいけない。
コロナに感染しないためには、コロナに感染している人に接しない、近づかないことが一番。結局のところ、結婚式にしても、葬儀にしてもそういう人が”来なかった”というのがよかった。誰もがマスクを着けていた。
感染していなくても感染防止に無頓着な人から離れる、そういう人の集団には近づかないということが必要だ。そんなことをいうと、われわれ医療従事者はハイリスクグループに入ってしまう。だが、私たちは、マスクをつけて、咳エチケットを守るので、たとえ感染していても他人に感染をばらまくというようなことはしない(と信じていただくしかない)。
罹ったからといって悪いわけではない

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