こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

人が決めた記念日、人が建てた記念碑

2020年09月04日 | 日々思うこと、考えること
仕事に出かけようとしたら、マルチーズのコロが可愛い顔をして私のことを見上げてくる。これで仕事に出かけ、なにかあったらそれきりとなり、コロと会えるのも最後になるかも知れないと考えると余計に愛おしくなる。コロは13歳で、この24日で14歳になる。犬の年は見た目ではわかりにくいので、誕生日は目安になるので覚えている。ただ、コロの誕生日に意味を見出すことができるのは、家族と、あとは、このブログのコロちゃんファンぐらいだろう。

私のカラオケの十八番の一つにTHE BLUE HEARTSの”TRAIN TRAIN”がある。すばらしい歌詞で、中でも”世界中にさだめられた どんな記念日なんかより あなたが生きている今日は どんなにすばらしいだろう  世界中に建てられてる どんな記念碑なんかより あなたが生きてる今日はどんなに意味があるだろう”というところが好きだ。宴会の二次会ではこの”あなた”を”みんな”に替えて歌って大いに盛り上がったものだ。コロが何歳だろうが、今、私とともに生きていてくれることこそがとても大切なことで、誕生日はあまり関係ないのかもしれない。

記念日とか記念碑、そういったものはこの先も人類が続く限りたくさん定められ、建てられていく。それぞれの目的はそれぞれで、なかには理解に苦しむものもあるに違いない。ただ、それぞれの存在意義は国によって地域によってさらには時代によって異なる。記念日とか記念碑、そのどれか一つでも人類共通の意義を持つ、普遍的な意義を有して存在するということはあるだろうか。それらのほとんどすべては何らかのプロパガンダであり、その事象から漏れる人は必ずいる。
そもそも、4月8日にしても12月25日にしてもそれらは地球の回転に合わせてめぐってくるものだし、グレゴリオ暦のうちの1日に過ぎない。過去から未来への時間の流れという中では、それらのイベントはたった1度しか起こらないものであり、日付そのものが意味を持たない。
記念日とか記念碑、それらはすべて人間が決めたことで、地球上で暮らすあまたの生命の一部に過ぎないにも関わらないのに、そういったことを決めているというのが幼稚にすら感じられる。だが、そんな幼稚な存在だからこそ、記憶に残すべきものは、何らかの形で残さなくてはいけないということか。
ところで、3月14日とか11月11日とかがあるが、少なくとも今日の話はそんなコマーシャルベースの話とは全く次元が異なる。
今日もコロは元気です

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