こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

感謝の気持ちを素直に言葉にする

2020年09月23日 | 生き方について考える
久しぶりのギックリ腰昨日は1日自宅で静養。外出しようにもどうしようもなく、義父の墓参りは妻に任せた。義父にも妻にも申し訳ないことをした。一晩寝たら腰の痛みはようやく少し治まった。一旦座ると、手すりを掴まなくては立ち上がれなかったが、なんとか電車を乗り継ぎ出勤。迅速診断は無難にこなすことができた。

昨日、墓参を終え、帰ってきた妻が昼を用意してくれた。その時にこうしてくれることをありがたいと感じた。それは、私の体が動かず往生していたからではなく、腰痛で延びている私のことを思いながらスーパーで食材を選び、用意してくれたのだと思うと嬉しく、感謝したのだ。その思いを妻に伝えようとしたのだが、うまく言葉にできないでいる。そして、日々当たり前のようにしてくれている家事一般を、私は当たり前のことと片付けてしまってきたのだと、身動きが取れなくなって初めて気がついた。ふざけた話だ。

この思いというもの、妻に対するものだけで十分だろうか。そんなことはない。職場で、通勤途中で、様々な人が私のことに気をつけてくれている。職場であれば同僚医師や臨床検査技師。秘書にしても事務方にしても皆、私のことを気にかけてくれる。それぞれが仕事といえばそうなのだが、それだけで片付けてしまうことはできない。”仕事”と割り切ってしまったら、その時点で質はもっと低下してしまうだろうが、そうならないのは人間としての感情が、心が挟まっているからだと思う。人間とAI(人工知能)の違いはそこにある。

この先の時代、人間のAIへの依存度はますます高まり、仕事の中でAIが占める割合は9割を超えるだろう。だが、残りの1割弱は、人間同士の感情、愛情が占めるものであり、それを排除して仕事とか何かの業務をすることは難しいと思う。そういう、”言葉にできない”、”実体化することのできない”、”数値化することのできない”ものが、仕事の効率にどれほどの影響をもたらすかは不明だが、その部分をいかに高めていくかが今後の人間生活の質の差異をもたらすに違いない。誰もがスマホを持ち、同じような効率で仕事をすることが可能となればそこにしか差は生じないということも厳然たる事実だ。クイズ番組は不要になりつつある。

そう考えると、この先、人間にとって感謝の気持ち、思いやりの気持ちというものを素直に感じ、表現することというのはとても大切なこととなる。そこでしか差異はないのだから。
思いを後から文章にするのは容易だが、それよりもその都度そのときの気持ちを表現できるよう努めたい。AIが感情や愛情を持ちうる存在となるかは明らかではないが、人間の持つ”それ”を持つようになることはないだろう。なぜならAIはそれ自身が望むなら死ぬことはないが、人間は必ず死ぬからだ。
人間らしさを考える

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