京都大原紫葉工房便り

京都洛北・大原の里のしば漬屋から、毎日!情報発信。

東大寺大仏殿の周りをぐるっと散策しました。

2008-11-04 20:47:43 | 妻!日記
早いもので
奈良に入ってから
一週間がたちましたが

やっと
遠出のドライブ・最終章が投稿できそうです。


~というわけで、つづき~



東大寺の大仏殿を見学した私たちは
外に出てから
正倉院まで散策することにしました。

東大寺境内案内図 クリックしてね!
(簡素ですが、一番分かりやすい地図です


(文章だけでは分かりにくいので、絵図を使って説明)
「奈良の大佛さま」の本より

幼児を連れてのお散歩にしては
少々無謀ではありましたが
行ける所まで入ってみようか
という感じで、出発

大仏殿の東側(向かって右側)の参道を行きました。


(猫段)
鐘楼・三月堂方面に向かう石段です。

表参道の喧騒が嘘の様に静かです。
こちら側はほとんど人が居ません。
通り抜けの車が時々通るくらいです。
子供づれなんて、私たちだけでしたね。
(雨上がりでしたし・・・)


東大寺大仏殿(金堂)の真裏の門です。

結構殺風景な感じでした。
まあ、仕方ないか

何が良いって
人が少ないところが魅力の
裏側でした。


(大仏殿北西角)

大仏殿の裏の東西の通り
さらに北に上がると
正倉院に向かいます。


(講堂跡)

「奈良の大佛さま」(東大寺教学部出版)の絵図で見ると
大仏殿ほどではないが
相当大きな講堂が建っていたようです。

今は礎石が残るのみ
完全に鹿のテリトリーと化していて
入るのは躊躇しました。
(長女・鹿頭突き事件のあとでしたし

ここらの場所は
人より鹿が多いような
寂しい場所でした。

今でこそ
正倉院展で賑わっているけど
普段の平日だったら
女性の一人歩きは
ちょっと恐いかもしれませんね。

結構殺風景な道を進み

途中からは

大学・歴史研究会
教授と生徒御一行様
みたいな人たちの後について行き・・・


(正倉院)

期間限定の拝観は
午後4時まで
ギリギリアウトでした。

柵の間から
覗いて見ました。
(でも、覗けるだけでもラッキーでした)


(正倉院の門前)

あくまでも
「倉」なので?
殺風景な場所でした。

子達に
ひととおり
正倉院の価値について説明してみましたが

あの地味な建物(小屋?)を
なぜ大人がありがたがって見ているのか
腑に落ちない感じでした。

おか~さんは
高校時代から見てみたかったので
感無量でした。
(それほど、担任の先生の話が面白かったのです)



正倉院からは
今来た道を引き返し
今度は
大仏殿の西側の道を
南に進んで行きました。


(指図堂)

東大寺の大仏殿の散策においては
門前から大仏殿まで
ひたすら平らで真っ直ぐ
という印象が強いですが

周辺の寺院は
こういう丘?の上に建ってるところが多くて
あらためて
東大寺は
斜面に建っているのだなあと感じます。




(大仏殿を西側から見たところ)

もう夕方近く
屋根にカラスがたくさん寄っていて
ケンカなんかしていた


(戒壇院の敷地内・公慶堂?)

公慶堂の公慶上人は
元禄時代の再建に尽力した人です。

戦国時代の戦災で
大仏殿が焼け落ち
雨ざらしになっていた大仏様を
今の姿に復興させたのでした。



奈良の壁
こういう朽ちたのが多くて
好きです。

京都にもありますか?


(戒壇堂の屋根)

戒壇院は
唐の名僧・鑑真によって建てられました。
四天王像が有名です。


散策時には
そんなすごい寺とは知らず
階段で遊んでいました。







雨上がりの階段で
つるっと滑った長男です。


(階段上がって、戒壇院の正面)


(門の鬼瓦)




(遠くに戒壇院)

奈良公園入り口から
戒壇院経由~東大寺西側通り抜けの
車道です。

人通りが少なくて
「大人の奈良」の雰囲気でした。

写真左手前のギャラリーでは
作家さんによる更紗展をやっていて
興味深かったです。
自身の貫禄不足で入場できず・・・でしたが



やたら雰囲気のある蕎麦屋
美味いのか
(少なくとも、良い記念になるでしょうね)



遠くに若草山

突然思い立った
奈良ドライブでしたが
良い思い出が出来ました。

あ~
これで一ヶ月お出かけなしか
(て、来週は伏見に行くけど)
秋のシーズン
頑張って仕事しよう!
と思います。