以下は「御府内備考」の菊坂町に関する記述です。「町名起立の儀は長禄年中(1457~60年)本郷辺町屋に相成候頃、此辺一円に菊畑有之、菊花を作り候者多住居仕候付、同所の坂を菊坂と唱、坂上の方菊坂台町、坂下の方菊坂町と唱候由申伝候」 なお、途中本妙寺坂下に出ますが、名前の由来となった本妙寺は、明暦3年(1657年)の大火(振袖火事)の火元とされています。ただ、3年後には再建されるなど、幕府の異例ともいえる庇護を根拠に、火元引き受け説も唱えられています。
- ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)
- ・ 「陸地測量部発行の1/10000地形図(大正10年第二回修正) / 上野」 上掲地図のグレー枠の部分です。次の→ 「昭和5年測図」に水路はなく、その間に暗渠化したものと思われます。
- 1. 右写真は左岸台上へ向う炭団(たどん)坂です。急坂で炭団のように転げ落ちた、など由来には諸説ありです。
- 2. 水路跡らしい微妙な蛇行の続く菊坂下道を南下します。
- 3. 本妙寺坂下です。右写真は右手からのショットで、本妙寺は向かいの坂上にありましたが、現在は駒込に移転しています。
- 4. 菊坂通り(菊坂上道)を上って本郷通りに向かいます。水路はこの右手にありましたが、この先重なる通りはありません。