神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

仙台橋・合流

2019-07-05 06:05:59 | 谷端川・小石川3

 水戸藩上屋敷を抜け、現外堀通りを越えると神田川です。そこに小石川最後の橋、仙台橋が架かっていました。万治年間(1658~60年)、仙台藩が担当した神田川拡張に際し架け替えられ、その名が付けられました。「仙台橋は水戸殿御館の御成門と通用門の間を、南の方に流るる溝にかゝるわづかの橋なり、万治元年仙台候に命せられ小石川の堀をほられしに、人歩等土木をはこふに此溝の橋あまりに小橋にて、馬車のかよひあいければとてあらたに板橋をかく、その度々破損せしにより石橋となせり、今に仙台候より懸らるゝゆへおのずから橋の名とすと」(「御府内備考」)

 

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    ・ 外堀通り  東京ドームシティの南端から、外堀通り越しに神田川との合流地点を見ています。この間に仙台橋が架かっていました。「東京府志料」の数字で長二間半程の石橋です。

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    ・ 合流地点  現在は防災用の船着場に転用されています。近くの解説プレートによると、一帯は市兵衛河岸と呼ばれ、神田川を利用した物資の(明治以降は砲兵工廠の)荷揚場として賑わいました。

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    ・ 合流地点  水道橋の上流80mほどのところです。小石川大下水の流路そのままに、東京ドームシティの地下を通る千川雨水幹線の合流地点でもあります。

 <万治年間の神田川拡張>  以下は万治年間に行われた神田川拡張工事に関する、「御府内備考」の記述の引用です。「今神田川といふは、船河原橋辺より御茶水、及び柳原堤外を過て浅草川に落合へるまでの呼称なり。此川昔は水も深からずして舟運送の不便なりしを、万治年中松平陸奥守綱宗に命じて、船入の川に掘割せ給ひし事は諸記に見えたり。『万治年録』云、三年庚子二月十日、牛込より和泉橋迄船入堀普請、松平陸奥守被仰付之、依在国以奉書被伝之。・・・・然るを世の人、駿河台と本郷とは元山丘一連の地なりしを、綱宗新に掘割て今の地形に変ぜしといひ伝ふるは誤なり。本郷と駿河台との間の谷にもとより細流在しを、堀広げしめ給へるに過べからず」