水戸藩上屋敷を抜け、現外堀通りを越えると神田川です。そこに小石川最後の橋、仙台橋が架かっていました。万治年間(1658~60年)、仙台藩が担当した神田川拡張に際し架け替えられ、その名が付けられました。「仙台橋は水戸殿御館の御成門と通用門の間を、南の方に流るる溝にかゝるわづかの橋なり、万治元年仙台候に命せられ小石川の堀をほられしに、人歩等土木をはこふに此溝の橋あまりに小橋にて、馬車のかよひあいければとてあらたに板橋をかく、その度々破損せしにより石橋となせり、今に仙台候より懸らるゝゆへおのずから橋の名とすと」(「御府内備考」)
- ・ 外堀通り 東京ドームシティの南端から、外堀通り越しに神田川との合流地点を見ています。この間に仙台橋が架かっていました。「東京府志料」の数字で長二間半程の石橋です。
- ・ 合流地点 現在は防災用の船着場に転用されています。近くの解説プレートによると、一帯は市兵衛河岸と呼ばれ、神田川を利用した物資の(明治以降は砲兵工廠の)荷揚場として賑わいました。
- ・ 合流地点 水道橋の上流80mほどのところです。小石川大下水の流路そのままに、東京ドームシティの地下を通る千川雨水幹線の合流地点でもあります。
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