神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

本郷の支流4

2019-07-16 06:42:27 | 谷端川・小石川4

 菊坂下の合流地点まで戻り、「御府内備考」のいう「菊坂町奥山」からの流れをさかのぼります。菊坂町の北の、奥山と通称されているところは、今回の谷筋を境に、東側に三河岡崎藩五万石本多家、西側に備後福山藩十一万石阿部家といった、寺社奉行や老中の要職にある譜代の大名家の下屋敷が占めていました。うち阿部家の屋敷のあったところは、明治に入り、周辺の武家地と共に駒込西片町を形成しました。なお、ペリー来航時の老中でもあった阿部家は、殖産興業の時代には養蚕業を営むなど、なかなかの商才を発揮、のちには1万坪余の敷地を住宅地として分譲し、今に残る住宅街の礎を築きました。

 

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    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)  

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    ・ 「参謀本部陸軍部測量局の1/5000実測図(明治17年測量)」  「紙久図や京極堂 古地図CD-ROM」収録の北部の一部で、同社の基準(72dpi)で掲載、上掲地図のグレー枠の部分です。

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    1. 合流地点に戻り、左手にある水路単独を思わせる狭い路地をさかのぼります。 

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    2. 菊坂下を越えます。ここに「長三尺幅六尺」(「御府内備考」)の石橋が架かっていました。 

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    3. 西片交差点からこんにゃく閻魔前に至る道に合流します。

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    4. このあたりは通りからやや離れた右手を並行していました。