白山通りとしばらく並行した後、右カーブで通りを離れ、左岸段丘(丸山)の裾をめぐります。東大下水の東側は本郷(本郷丸山)なのに対し、西側は小石川に属していました。承応年間(1652~55年)に、沼地を築立て武家地に造成し、(小石川)築地と通称されたところです。万治2年(1659年)には、築地の中央に馬場が設けられましたが、この辺の事情は江戸川流域の小日向築地、小日向馬場の関係と全く同じです。なお、小石川片町のところで引用した「御府内備考」に、「下水 幅八尺余 右馬場東の方より流来」とあるのは、この小石川馬場(築地馬場)のことです。
- ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)
- 1. 新坂(福山坂)下を過ぎます。中腹の解説プレートによると、文京区内に新坂は六つあるそうです。
- 2. ここで左カーブ、再び北に向かいます。なお、水路はこの道路の右手を流れていました。
- 3. 左手が小石川馬場跡です。地図からも読み取れる長方形の区画で、「東西長九十間、南北幅十壱間弐尺」ありました。
- 4. 本線は右手の狭い路地ですが、「郵便地図」は左手からの水路も描いています。
- 5. 水路単独を思わせる狭い路地が続きます。なお、4.から先の下水道白山幹線は、左手の整備された道路を利用しています。