神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

富坂

2019-07-02 06:34:52 | 谷端川・小石川3

 富坂下で春日通りを越えます。この界隈では最も有名な富坂ですが、もともとは100mほど先の水戸屋敷裏、現地下鉄後楽園駅あたりが上り口でした。現在の位置にシフトし、拡張、整備されたのは、明治41年(1908年)の路面電車開通に伴うもので、伝通院前の安藤坂の拡張、整備と同じ時期、同じ理由によります。表記も鳶坂、飛び坂があり、鳶坂なら物語由来で、鳶が多く群れ、手に持った肴を奪った、あるいは鳶を捕らえ、小屋をかけて飼う役人がいたからなど、飛び坂なら地形由来で、谷をはさんで東富坂と西富坂、あるいは向富坂と前富坂の二つの坂が向き合っているから、といった説明がなされます。

 

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    ・ 富坂下交差点  ここが千川通りの起点です。なお、正面に見える東京ドーム手前の地下鉄丸ノ内線の高架あたりが本来の富坂下です。

 市谷、四谷のところで触れた「四つの谷」説では、この富坂下を二ヶ谷(あるいは二の谷)としています。「二ヶ谷は富坂下の谷なりと、さして谷といふへくもあらざれと、向ふとび坂の間にありて谷のさまなる故かゝる名をおひしなるべし」(「改選江戸志」)「一ヶ谷、二ヶ谷とつゞきの谷なり、三ヶ谷は駒込にあり」(「紫一本」) いずれも「御府内備考」の孫引きです。その二ヶ谷右岸は慶長年間(1596~1615年)、鷹狩りの鷹の餌を捕える役目である餌差衆の拝領地となり、坂上から順に上、中、下餌差町と呼ばれ、元禄6年(1693年)には町奉行支配となり、上、中、下富坂町と改称しました。

 

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    ・ 富坂  交差点右手のショットで、春日通りはすぐに小石川台、伝通院方面への上りに差し掛かります。坂上に見えるのは中央大学理工学部の建物です。

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    ・ 東富坂  上掲写真とは逆の左手方向で、春日通りは150mほどで白山通りと交差、その先が本郷台への上り坂で、東富坂あるいは真砂坂と呼ばれています。