神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

鶏声ヶ窪2

2019-07-26 06:52:37 | 谷端川・小石川4

 中山道(旧白山通り)まで戻り、鶏声ヶ窪にかかわる水路を追います。といっても、これまでのように水路跡と重なる道路はほとんどありません。明治から大正にかけての地図を見ると、土井家下屋敷の名残と思われる池があり、その埋立てによって地形の改変があったのでしょう。なお、→ 「寛永江戸全図」当時は、中山道の両側とも土井大炊頭(大老土井利勝)の下屋敷ですが、利勝の死後、子供達が分家したため、宗家(下総古河藩土井家)の下屋敷は中山道以北に限られることになります。その古河藩下屋敷を中心に、明治に入ると駒込曙町が成立しました。鶏声暁を告ぐから、鶏の声、曙を連想したネーミングで、駒込を冠したのは中山道以北は駒込村に属していたからです。

 

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    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)

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    ・ 「陸地測量部発行の1/10000地形図(明治42年測図) / 早稲田」と「同 / 上野」を合成したもので、上掲地図と同一場所、同一縮尺です。

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    1. 中山道に虎ヶ橋が架かっていました。尾張屋の「駒込辺絵図」には「此辺ケイセイカクボ」と書き込まれています。 

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    2. 池の南端のあたりです。「郵便地図」には、池から流れ出たあと、2.から1.へと向かう水路が描かれています。

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    3. 「地形図」にも描かれた池を二分する道路から、池の北端にかけてです。 

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    4. 目赤不動で有名な→ 南谷寺の裏に出ます。「郵便地図」の水路はこの道路のやや南側を流れ、池に注いでいました。