神田山の開削個所から流れ出した神田川に、最初に架かるのが昌平橋、次いで筋違橋です。「昌平橋 筋違の西の方にて神田川に架す。元禄の江戸図には相生橋とあり。聖堂御建立ののち、魯の昌平郷の名かたどり、かく名付給ひしとなり」(「御府内備考」) 相生の名は相生坂にちなんでおり、また、一口(芋洗)橋の別名もありました。こちらは、相生坂の対岸にある淡路坂の旧名によっていて、坂上にあった一口(いもあらい)稲荷(現太田姫稲荷神社)が由来です。なお、「武州豊島郡江戸庄図」にも、東隣の筋違橋共々無名ながら描かれていますが、「寛文図」が現行位置の橋を「あたらしはし」としており、場所を移して架け替えた可能性があります。
- ・ 「江戸名所図会 / 筋違 八ッ小路」 昌平橋、筋違橋前のスペースが、八ツ小路と呼ばれる火除け地で、上野、日本橋など八方面への道が通じていました。
寛永13年(1636年)桝形石垣が、同16年に門が築造された江戸城外郭門の一つ、筋違御門(外神田口、神田見附とも)に架かる橋が筋違橋です。神田御門を出て上野寛永寺に向かう将軍御成道と、日本橋、須田町から外神田、本郷に至る日本橋通りが直前で交差しているため、どちらの道筋からもズレた場所にあり、そのことが筋違(すじかい)の名を生んだものと思われます。例えば御成道の場合、直線的には昌平橋に向かう道筋ですが、八ツ小路で東にシフト、筋違御門を通って上野広小路へと向かいました。「図会」中の武家の行列も、やはり筋違門に移動しています。
- ・ 昌平橋 奥は相生坂下にある昌平橋交差点、その先の神田明神下交差点で左折すると、→ 湯島坂を経て本郷通りです。上に架かるのは秋葉原に向かうJR総武線の鉄橋です。
- ・ 神田川 昌平橋から下流方向で、正面が万世橋です。筋違橋はその100m弱手前にあり、現在の二つの橋のほぼ中間にあたります。筋違門のあったあたりの写真は→ こちらです。