神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

別れの橋

2019-07-13 06:20:51 | 谷端川・小石川4

 菊坂下道は本妙寺坂までですが、水路の起点は200mほど先の本郷通りで、以下は「御府内備考」の本郷四丁目の引用です。「町内下水東側中程軒下より西の方え横切丸山通え落込候下水、往古不忍より小石川え続候川にて橋掛り有之、わかれ橋と唱え候由、何故名付候哉申伝等無御座候、当時下水に相成、幅五尺石蓋致地中え埋有之」 名前の由来については、「改選江戸志」の「別の橋は四町目にかゝる小橋なりしと『紫の一本』云、むかし太田入道道灌の領地の境目なりしといひ伝ふ、その頃追放の者など此処より放せしと」を引用しています。

 

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    ・ 菊坂通り  本郷通り手前の菊坂通り(菊坂上道)です。本郷通り沿いに発達した町屋が本郷一丁目から六丁目で、正面にあったのはそのうちの四丁目でした。

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    ・ 本郷3丁目交差点  春日通りとの交差点から、上掲写真の正面を写しています。今でも浅いながら谷筋が横切っているのが分かります。  

 なお、引用文中の「往古不忍より小石川え続候川」ですが、不忍池は小石川とは別個の水系に属しており、誤解があったのでしょう。ただ、今回の谷筋が本郷通りを越えているのは間違いなく、谷頭は東大構内の、現在は迎賓館として利用されている懐徳館周辺です。懐徳館や周辺の日本庭園(懐徳園)は、明治に入って前田侯爵家によってに整備されたもので、 → 「東京近傍図」にも池が描かれています。

 

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    ・ 懐徳館  東大130周年記念事業の一環として、数年前に一般公開された時に撮影したものです。日本庭園内の本郷通りよりには池も現存しているようですが、この時は立ち入り禁止になっていました。