神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

柳原堤

2019-11-26 06:14:39 | 平川・外堀4

 「柳原封彊(やなぎはらどて) 筋違橋より浅草橋へ続く。其間長凡十町許あり、享保年間此所の堤に悉く柳を栽させらる。寛永十一年(1635年)の江戸絵図(「武州豊島郡江戸庄図」)には柳堤とあり。堤の外は神田川也。又此堤の下に柳森稲荷と称する叢祠あり。故に此地を稲荷河岸と呼べり。昔は神田川の隔てもなく、此川の南北ともにおしなべて、柳原といひし広原なりしとなり」(「江戸名所図会」) なお、下掲「図会」の神田川及び柳原堤は左カーブしていますが、これは広い範囲を一望する表現上の技法で、実際は筋違橋から浅草橋にかけてほぼ直線です。

 

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    ・ 「江戸名所図会 / 柳原堤」  「楊柳堤春望 楊柳堤辺楊柳春/千枝交影払紅塵/請看裊々金糸色/総映青雲馬上人 高維馨」  
 

 元和6年(1620年)の「台徳院殿御実記」に、「此秋はじめより神田台の下に堀をうがち、堤を築かしめる。堀の方は松平右衛門大夫正綱奉行し、堤は阿部四郎五朗正之奉行す」とあるうち、阿部正之が担当したのはこの柳原築堤だったのでしょう。神田川の右岸だけに築堤し、内神田、日本橋の市街地を保護するもので、代わって対岸(向柳原)は増水時、遊水池状態になりました。水を押さえ込もうとした明治以降の治水とは発想が異なっています。

 

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    ・ 神田川  秋葉原駅への連絡通路となっている神田ふれあい橋から和泉橋方向です。右手に柳森稲荷(現→ 柳森神社)が見えています。

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    ・ 柳森神社  柳原通り越しのショットです。社伝によると長禄2年(1458年)、太田道灌が江戸城鬼門除けのため創建、その際一帯に柳の木を植えたとか。