神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

白山通り

2019-07-30 07:14:07 | 谷端川・小石川4

 東大下水の谷筋を追って、京華通りから白山通りに出ました。この区間の白山通りは、旧白山通りをショートカットするかたちで、昭和40年代に開通しました。その際、今回の流路はその下に埋もれたため、水路の痕跡は数百メートルにわたって失われました。明治末の「郵便地図」を見ると、東側に大きく蛇行していて、白山通りと重ならないところもありますが、その後の直線的な改修によって、この個所の流路も痕跡を残していません。

 

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    ・ 白山通り  右手に京華女子中・高校のキャンパスがありますが、東側に蛇行していたのはその裏です。後退している段丘上から裏側を写した写真は→ こちらです。

 ところで、京華女子中・高校の白山通りに面したキャンパスの片隅に、鶏声の井を記念する石碑が据えられています。傍らの解説プレートは、夜毎に鳴く鶏の声に導かれ、金の鶏を堀出したという、例の鶏声ヶ窪の故事を紹介、掘った跡に湧き出た井戸(鶏声の井)を記念して、昭和3年(1928年)に建てたと書いています。当初隣接する旧酒井雅楽頭下屋敷にあったものをここに移したのだそうです。

 

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    ・ 鶏声の井碑  松平定信の詠んだ和歌、「筒井津々いつの暁久みそめて鶏のハ声の名にやたつらん」が刻まれています。

 ただ、「鶏声の井」碑のあった酒井雅楽頭下屋敷は、故事の舞台となった土井大炊頭下屋敷とは数百メートルはずれ、関係する谷筋も別個のものです。それがごっちゃになってしまったのは、「今鶏声が窪と唱える所は東は土井大炊頭下屋敷、西は酒井雅楽頭下屋敷、南は小石川御数寄屋町、駒込片町、北は巣鴨御駕籠町なり」と、「御府内備考」にあるように、鶏声ヶ窪の地名が本来の谷筋を越えて拡張してしまったからで、さらに、石碑がある現在地は、広い意味での鶏声ヶ窪からも外れており、問題を一層混乱させています。