神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

水戸藩上屋敷

2019-07-04 06:59:01 | 谷端川・小石川3

 東大下水との合流後、水戸藩上屋敷に入った小石川大下水を追って、東京ドームシティまできました。小石川邸の造営は寛永6年(1629年)ですが、それから十数年後と目される→ 「寛永江戸全図」を見ると、小石川の流末は直線的に描かれており、当時から大下水化していたようです。また、邸内に入る神田上水も描かれており、上水と大下水の交差も、当初からのものだったと思われます。その際、上水が懸樋で越えていたことは、寛文6年(1666年)の町触の一節、「小石川水戸様御屋敷之内・・・・上水懸戸樋御普請」の引用とともに、これまでもたびたび触れてきました。 

 

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    ・ 「参謀本部陸軍部測量局の1/5000実測図(明治17年測量)」  「紙久図や京極堂 古地図CD-ROM」収録の北部の一部で、同社の基準(72dpi)で掲載しています。東京ドームを薄グリーンで、丸ノ内線を黒で、外堀通り、白山通りなどをグレイで重ねています。 

 大下水化したとはいえ元は自然河川の小石川です、たびたびの氾濫が小石川邸を襲いました。中でも寛延2年(1749年)8月には、月初から降り続く雨に台風が重なり、大洪水となります。「八月十三日 江戸洪水、小石川邸中水深五六尺、大下水表河岸溺死ノ屍其数ヲシラズ、舟河原橋流没ス。邸内ヨリ船ヲ出シテ其溺ヲ救フ数十人ニ及ベリ」(「水戸紀年」) 小石川邸の上流の下冨坂町で水深6尺、柳町の水深7尺、戸崎町水深4尺と、一帯はほとんど水没状態で、伝通院裏門前大下水橋などが流失しています。

 

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    ・ 東京ドームシティ、ラクーア  ジェットコースターの下を抜け、奥の東京ドームホテルとタワーの間に向かっていたはずです。

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    ・ 東京ドームシティ、クリスタルアヴェニュー  右手にある東京ドームを抜けてきた神田上水と交差していたのはこのあたりです。