神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

富坂2

2019-07-03 06:36:14 | 谷端川・小石川3

 現在の富坂下から100mほどで、東京メトロ丸ノ内線の高架下ですが、そこが水戸藩上屋敷の北端にあたり、元々の富坂の上り口があったところです。大下水化した後の小石川は、水戸邸に突き当たって左折、その北縁に沿って100mほど東に向かいます。そこで、現白山通り沿いに南下してきた東大下水と落合い、右折して水戸邸に入りました。なお、東大下水についてはクールを改めて詳細します。

 

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    ・ 「参謀本部陸軍部測量局の1/5000実測図(明治17年測量)」  「紙久図や京極堂 古地図CD-ROM」収録の北部の一部で、同社の基準(72dpi)で掲載しています。

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    ・ 丸ノ内線高架手前  正面が東京ドーム、右手が丸ノ内線後楽園駅です。大下水はここで左折、そこには石橋が架かっていました。「小石川西富坂町ニアリ無名石橋ナリ」(「東京府志料」)

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    ・ 丸ノ内線高架手前  左折後東に向かい、途中右折して水戸邸上屋敷(現東京ドームシティ)を縦断します。上掲「実測図」に重ねた現在の道路や丸ノ内線から、位置関係の大略が分かります。  

 <「こころ」>  以下は夏目漱石の「こころ」にある、伝通院近くに下宿していた「先生」の手記の一節です。「砲兵工廠の裏手の土塀について東へ坂を下りました。その時分はまだ道路の改正ができない頃なので、坂の勾配が今よりもずっと急でした。道幅も狭くて、ああ真直ではなかったのです。その上あの谷へ下りると、南が高い建物で塞がっているのと、放水がよくないのとで、往来はどろどろでした。ことに細い石橋を渡って柳町の通りへ出る間が非道かったのです」 砲兵工廠は旧水戸藩上屋敷にあった陸軍兵器工場なので、その裏手の坂は元の富坂ということになり、その明治41年の市電開通のための「改正」以前の様子です。