神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

柳橋

2019-12-07 06:36:33 | 平川・外堀4

 浅草橋の先、200m弱で神田川河口に架かる柳橋です。以前は渡し船で往来していたところに、元禄11年(1698年)に創架されました。当時は「川口出口の橋」と呼ばれていたと、「御府内備考」は書いています。同書は柳橋の名前の由来について触れていませんが、南詰に設けられた解説プレートには、柳原土手に架かるから、柳が植えられていたからと、誰でも思いつきそうなものとともに、当初は付近にあった幕府の米倉庫(矢の倉)から矢の倉橋と呼ばれていたこと、それが矢の城(やのき)、柳(やなぎ)と転化したとの説が紹介されています。

 

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    ・ 「江戸名所図会 / 両国橋」(三枚シリーズの其二、其三の合成です。)  「この人数(にんず)舟なればこそ涼かな 其角」 中央下端に神田川河口が描かれ、柳橋の南詰から両国橋の西詰にかけて、「料理や多し」「舟宿多し」などと書かれています。

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    ・ 柳橋  南詰からやや振り返っています。現在のものは昭和4年(1929年)完成の震災復興橋梁で、永代橋と同じくライン川の橋のイメージだといわれています。

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    ・ 神田川  柳橋からのショットで、すぐに隅田川に合流します。右手が両国橋、正面奥は対岸沿いに走る高架の首都高6号向島線です。

 <竪川>  「図会」にはもう一つ橋が描かれています。隅田川の対岸、本所を東西に貫く竪川の河口に架かる一の橋です。竪川は万治2年(1659年)、本所地域の開発に際して開削された堀川で、南北に通じている横川と十字を形成していました。ちなみに、縦横は江戸城に対しての位置関係によります。一の橋(一ッ目橋)はその第一の橋で、隅田川・中川間に四の橋(四ッ目橋)まで架かり、あと横川との交差点に新辻橋がありました。また、途中廃橋となった五の橋、六の橋のかわりに、五ッ目の渡し、六ッ目の渡しが設けられました。なお、「本所一ッ目」は一帯の通称地名で、本所一ッ目弁天社(現江島杉山神社)が有名でした。