神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

千川通り5

2019-07-01 06:37:25 | 谷端川・小石川3

 千川通りは柳町小学校の先で右カーブ、そのままほぼ直線で南下します。これまでは田地の混在していた流域ですが、ここから先は町屋、武家地が占め、江戸時代の早い時期に、直線的な改修、大下水化が完了していた区画です。「大下水 幅九尺程 右者当町東裏を相流、水源は戸崎町裏の方より流来末は水戸様御屋敷内に入、神田川に落入申候」「丸太橋 長壱丈弐尺余、巾六尺」 これはこんにゃく閻魔で有名な源覚寺の前後にあった町屋、下富坂町にかかわる「御府内備考」の記述です。

 

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    ・ 千川通り  柳町小の先で右カーブ、ほぼ直線で南下します。小石川は通りの右手を並行していて、江戸時代から大下水化していたところです。

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    ・ 善光寺坂  右手台上に上る善光寺坂の中腹から、千川通りを見下ろしています。坂下から小石川に合流する水路を描いている地図もあります。 

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    ・ 千川通り  ここに嫁入橋が架かっていました。「板橋 長壱丈弐尺、巾六尺余」(「御府内備考」) なお、右手はこんにゃく閻魔で有名な→ 源覚寺です。

 <新開>  一帯は明治20年頃開発され、新開と呼ばれました。砲兵工廠の工員が住み、銘酒屋や射的屋が軒を並べる、雑然としたところでした。隣町の丸山福山町に住んだこともある樋口一葉は、「にごりえ」(明治28年)の舞台を新開の銘酒屋菊の井に設定、その看板遊女お力を主人公としています。なお、作中に「丸木橋を渡る」との比喩が登場します。「我恋は細谷川の丸木橋、渡るに怖し渡らねば」なる端唄を踏まえたもので、丸木橋を渡るかどうかの葛藤を胸に、お力は閻魔様のお盆の縁日の雑踏を彷徨しますが、源覚寺のこんにゃく閻魔、小石川に架かる丸木橋(丸太橋)という、この界隈の実際を踏まえた道具立てになっています。