神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

東大下水

2019-07-08 06:46:23 | 谷端川・小石川4

 東大下水は前回UPの  → 「段彩陰影図」で、白山通り沿いの谷筋をメインに、本郷台から合流する支谷筋を併せたものの通称です。下流は水戸藩邸のできた寛永年間(1624~45年)頃には大下水化しましたが、上中流域は自然河川の面影を残し、鶏声ヶ窪(けいせいがくぼ)、指谷(さすがや さしがや)などの呼び名が今に残っています。なお、本流と目される白山通り沿いのものは、現在は下水道白山幹線に転用されています。

 

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    ・ 「東京近傍図 / 下谷区」(参謀本部測量局 明治13年測量)の一部を加工したもので、本来の縮尺は1/20000、パソコン上では1/12000ほどです。オレンジ線は区境で大半が文京区、同細線は当時の小石川区と本郷区の境で、東大下水の流路とおおむね重なります。  

 なお、東大下水は小石川(西大下水)の東側を平行することからの通称ですが、「御府内備考」にその名はなく、単に大下水、あるいは下水と書かれているに過ぎません。例えば、中流域にある指谷町一丁目では、「下水 幅壱間、但水元は小石川酒井雅楽頭様下屋敷内より流出、夫より小石川村の内より白山権現裏門前え出、当町え流来水沫の儀は水道橋へ落入申候」、本郷台からの支流の流れる菊坂町では、「大下水 幅弐間より九尺迄 右は本郷弐丁目より同所四丁目迄菊坂町辺下水吐にて、流末水道橋際え出、神田川え落申し候、尤掘割の年月相知不申候」となっています。

 

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    ・ 水道橋交差点  外堀通りと白山通りの水道橋交差点から、東京ドームシティを見ています。奥のシビックホールで合流後、ドームシティを南下する本流以外に、→ 「1/5000実測図」は白山通り沿いの水路を描いています。

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    ・ シビックホール裏  二つの大下水の合流地点です。江戸時代には播磨安志(あんじ)藩小笠原家の上屋敷があったところで、小石川はその西縁を、東大下水は東縁をめぐり、このあたりで合流していました。