たんなるエスノグラファーの日記
エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために
 



2012年の年末の数日、「動物殺し」というテーマを掲げて、われわれは、京都市と南丹市に集結した。

霙まじりの南丹市の観光農園では、シカの解体作業を見学(一部実習)させていただいた(上の写真)。シカを吊り下げて解体するやり方はプナンと同じだと思ったのだが、写真を見たら、吊るし方が正反対であるということに気づいた。南丹市では、足を上にして吊り下げて作業していたが、プナンは、頭を上にして吊るす(下の写真)。まず、皮を剥いで肉切れにするというのは、南丹市とプナンで同じであった。



その作業見学の場には、地球上の狩猟民や牧畜民の社会で、シカ類の解体を見たことがある人たちが集っていたので、解体法について訊ねてみたが、地面に横たえて解体作業をしているという所が多かった。アラスカでは、地面にカリブーを置いて、二人係りで、あばら骨を割っていくそうである。エチオピアの牧畜民もまた、地面に置く方式だそうであるが、都市では、吊り下げ式の解体作業が主流になっているというようなことであった。

日本の南丹市では、しとめた獲物は、縄をつけて、山から引き摺ってくるとのことだったのだけれども、プナンは、ふつう、獲物を背中に担いで降りてくる。シカの場合、首から上、足から下を折り曲げて、「三つ折り」状態にして運搬する(下の写真)。

こういった、広い意味での「動物殺し」の比較民族誌的な研究が、われわれの研究グループの眼目である。

研究の初年度だということもあり、今後、どんな調査が可能であるのかに関して、われわれは時間をかけて検討した。「動物殺し」に関して、【生物】【生態・経済】【表象】という3つの面を設定し、それぞれの面から、どのように「動物殺し」の調査研究を進めればいいのかという点に関して、各分野の専門家からの意見を踏まえて、意見や情報の交換を行った。研究集会をつうじて、たしかな議論の見通しを得られたのは、【表象】面だったのではないかと思う。パースペクティヴィズムやアニミズムを扱うような「存在論」への接近が一方にあり、他方で、対象と人類学者との距離を計りながら、他者の表象を記述考察することを強調する接近が、【表象】における一つの論争点であることが確認された気がする。【生物】面からの接近では、獲物の取れ方の定量的なデータを取ることによって、例えば、効率のためだけに活動しているのではないということなどが分かってくるというふうに、数値化の重要性について再認識できたように思う。

われわれはまた、チンパンジーのアカコロブス狩りに関して、メンバーの霊長類学者から話を聞く機会を持った。意図や動機が必ずしも明確ではない動物による動物殺しを詳細に観察するならば、「殺す」とはいかなることなのかに関して、考えるための手がかりを得ることができるだろうという、一つの研究の見通しを得ることができたように思える。研究集会では、本科研に先行する研究グループが公表した成果に関しての「合評会」も開かれた。一部において、文献が十分に読み込まれず、念入りに組み立てられていなかったために、的外れな、愚雑な指摘が多かった、残念:文献を読んでから、きっちりとまとめて、適正に問題点を指摘すべき。さらに、われわれは、大学卒業後、「猟師」になった「近隣」にお住まいの方から話をうかがった。動物が好きだから、動物を殺して食べることも、自分の手でやりたいと考えているとおっしゃた。猟をビジネスにしない、そうではなく、猟をする、自然と暮らしてゆくために、そのことが可能になる職を続けられているという「信念」に、大きくうなづくとともに、大いに考えさせられた。




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