たんなるエスノグラファーの日記

エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために

<A=非A>にみる希願

2007年10月27日 13時27分05秒 | 人間と動物

マレーシア・サラワク州に住む7,000人ほどのプナンのうち、400人ほどのプナン(東プナン)が、ジャングルのなかを遊動して暮らしているという事実。これを、どう捉えればいいのだろうか。

サラワク州政府やキリスト教団の熱心な説得や計らいに抗して、彼らが、
「いまだに」定住化しようとはしないのと捉えるのは易しい。しかし、たんに、彼らには、遊動を止めるきっかけが見当たらないだけなのではあるまいか。わたし自身の西プナンでの調査経験に照らしていえば、プナンは、定住生活をしてかえって、ジャングルの暮らしをなつかしむ傾向にある。遊動をつづけるプナンたちは、ことによると、そのあたりのことを十分に知悉した上で、ジャングルのなかでの暮らしをつづけているのかもしれない。

一見何の変哲もないが、じつは、わたしたちを心底から驚かせずにはいられないような、奥深き、プナンの人間と動物(自然)をめぐる関係思想の断面を知るにつれて、遊動民プナンは、森で生きつづけるための霊感のようなものをもっているのではないかと思いたくなる。 以下は、そのことについて考える手がかりとなりうるような、民族誌考察から。

南アメリカ・パラグアイのグアラニの人びとは、自分たちに不幸や悪をもたらしているものの本質を<一>であると捉え、それから逃れるために、アマゾン河下流域を放浪しつづけてきた。夭折した天才人類学者ピエール・クラストルは、『国家に抗する社会』のなかで、グアラニの「多なき一をめぐって」に関して、詳細な検討を加えている(渡辺公三訳、1987年、風の薔薇 cf. 中沢新一『対称性人類学』講談社選書)。

人間を悩ますこの不完全さ、われわれが欲しもしなかったこの不完全の起源はどこにあるのか。それは「ものごとは、その総体において一である」という事実からくる。思いもかけぬ論理展開。西洋の知のもっとも遠い始原をも自失させ震撼させる論理展開である。しかしこれこそグアラニの思想家が述べ、常に言明し、狂気に満ちた厳しい帰結をひき出す言葉なのだ。すなわち、不幸は世界の不完全さから生じる、なぜなら、この不完全な世界を構成するあらゆるものごとについて言いうることは、それが一であるということなのだから。それが世界のものごとの特性なのだ。「一」とは、「不完全なもの」の名である。激越なほどに簡潔な語りをもってグアラニの思考が語ることを要約すればどうなるのか。すなわち「一」とは「悪」であるということだ(p.213)。

逆に、グアラニのいう不幸の廃絶された<一>ならざる<多>とはどのようなものなのだろうか。「A=A、これはこれであり、人は人であるということは、Aは非Aでないこと、これはあれでないこと、人間は神でないこと」(p.215)が<一>の原理だとすれば、「これはこれであると同時にあれであり、グアラニは人間であると同時に神であると言明すること」(同上)を、悲劇的に思い知ることこそが、グアラニにとって、<多>なのである。

要は、グアラニたちが言うのは、歪みや矛盾、不幸を内含したり、帰結してしまう合理的・科学的な思考ではなく、人間と自然、動物、神や精霊が溶け合って暮らしていた神話的過去への求望なのではないだろうか。
そのような<一>ならざる土地では、「とうもろこしは自ら育ち、矢が獲物を携えて来る・・・」(同上)。グアラニの人びとは、病気や不条理などの不幸を抱え込む<一>の原理から逃れて、<多>の原理を求めて、森のなかを放浪してきたのだと、クラストルはいう。

(写真は、ロギングロードで木材会社の車を待つ、東プナンの人たち)