夏にモンゴルに行ったとき、お願いして、羊の屠畜と解体作業を見せてもらった。
息の根を止めて、動かなくなるのを待ち、心の臓あたりから手を入れて、このとき、おそらく、頸動脈を切ったのだと思う。↓

その後、身体を縦方向に、ナイフで開いて行った。↓

続いて、足を切断し、内臓を取り出した。
その後、心臓の背中側にできていた血の塊を取り出した。↓

皮が丁寧にはがされ、広げられた。肉は料理場に運ばれていった。↓

畳まれた羊の皮は、ウランバートルに行ったときに売るのだと聞いた。↓

この間、ほとんど血が滴らなかった。
その手さばきは、お見事だと思った。
草原で、水が希少である環境で編み出された解体法ではないかと思った。
それは、必ず川べりで行われる、血をたらたらと滴らせるボルネオ島の動物解体とは著しく異なる。↓

生きる。
生きるために、人は、他の生命体の命を奪う。
モンゴルの牧民は、育てている家畜を殺す。
ボルネオの狩猟民は、野生動物を追い、殺害する。
殺し方にもいろいろある。
槍で突く。棒で殴り殺す。銃殺する。毒殺する。苦しまないように急所を狙う場合もあれば、いたぶり殺すこともある。
現代の工場畜産では、大量飼育し、大量に殺す。
シピーシズム(種差別主義)批判者たちのなかには、それを、ホロコーストになぞらえる人もいる。
仏教は殺生戒を設けている。
菜食主義者は(殺すことに抵抗して?)肉を食べない。
動物を殺さないで、生きてゆくこともある。
そのような事柄を、アメリカ、アジア、アフリカで、綿密なエスノグラフィーのなかに考えてゆきたい。
その先に、いったいどんな真実が見えてくるだろうかと想う。
とにかく、面白そうだ。
人類学だとも思う。