goo blog サービス終了のお知らせ 
不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています
たんなるエスノグラファーの日記
エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために
 



夏にモンゴルに行ったとき、お願いして、羊の屠畜と解体作業を見せてもらった。

息の根を止めて、動かなくなるのを待ち、心の臓あたりから手を入れて、このとき、おそらく、頸動脈を切ったのだと思う。↓

その後、身体を縦方向に、ナイフで開いて行った。↓




続いて、足を切断し、内臓を取り出した。

その後、心臓の背中側にできていた血の塊を取り出した。↓

皮が丁寧にはがされ、広げられた。肉は料理場に運ばれていった。↓

畳まれた羊の皮は、ウランバートルに行ったときに売るのだと聞いた。↓

この間、ほとんど血が滴らなかった。

その手さばきは、お見事だと思った。

草原で、水が希少である環境で編み出された解体法ではないかと思った。

それは、必ず川べりで行われる、血をたらたらと滴らせるボルネオ島の動物解体とは著しく異なる。↓

生きる。

生きるために、人は、他の生命体の命を奪う。

モンゴルの牧民は、育てている家畜を殺す。

ボルネオの狩猟民は、野生動物を追い、殺害する。

殺し方にもいろいろある。

槍で突く。棒で殴り殺す。銃殺する。毒殺する。苦しまないように急所を狙う場合もあれば、いたぶり殺すこともある。

現代の工場畜産では、大量飼育し、大量に殺す。

シピーシズム(種差別主義)批判者たちのなかには、それを、ホロコーストになぞらえる人もいる。

仏教は殺生戒を設けている。

菜食主義者は(殺すことに抵抗して?)肉を食べない。

動物を殺さないで、生きてゆくこともある。

そのような事柄を、アメリカ、アジア、アフリカで、綿密なエスノグラフィーのなかに考えてゆきたい。

その先に、いったいどんな真実が見えてくるだろうかと想う。

とにかく、面白そうだ。

人類学だとも思う。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




9月も半ばを過ぎたのに夏真っ盛りの暑熱に覆われたある日の朝東京駅の八重洲中央口に集合した3年ゼミのメンバーとともに京成バスで千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館(歴博)へ向かい到着後最初の二日はみっちりと日本の歴史の重量級の展示の見学実習およびゼミ論執筆の途中経過の口頭発表とディスカッションを行い<佐倉>から始めてじょじょに内房の海岸線を南へと下りヨードのために舐めると塩っぱく醤油のような色をしたレトロな<青堀温泉>から青青とした海を見渡せる<保田>へと移動に継ぐ移動の末に連夜の飲酒と寝不足で重くなった身体を引きずりながら潮の香りが漂う浜金谷からフェリーで神奈川県の久里浜に渡って四日目の昼に石川町横濱<中華街>で中華料理を食して無事に2011房総半島ゼミ合宿を解散した。三日目の自由行動的なフィールドワークの時間帯にはバンジージャンプ体験を含むマザー牧場のグループから別れて有志でレンタカーに乗って房総の鯨(いさな)をめぐる4つのフィールドを訪ね歩いた。17世紀に開始されたというツチクジラを対象とした南房総の捕鯨が館山から発して昭和20年代になってたどり着いた外房・和田町の捕鯨基地で今年はつい先ごろ捕鯨が終わったばかりで誰もいなくなってがらんとした木の床に幽かに鯨の匂いのするを訪れた後にその足で隣の千倉町の山寺・真言宗の長性寺を訪ねて<鯨塚>を見せてもらいお茶と茶菓子を供して座布団を敷いて本堂で休んでいってくださいともてなしてくださった親切なご住職の奥方の話によると今から115年前の明治29年にそのあたりに打ち上げられた鯨の肉を住民で分け合って食べた後に鯨の心臓だけを埋葬して供養したのが鯨の供養塔としての<鯨塚>であってたんに生き物の肉を食べるだけで放っておくのではなくて当の鯨を供養するという昔の人の行いは立派だったという思いをうかがうことでその塚の建立をめぐる意味理解を深めることができたように感じた。房総の海が見渡せる場所から梵鐘をついて長性寺を発った私たちはやがて白浜の海岸沿いの屹立する白いマンションの海側にそれとは雰囲気を異にする二基の小さな黒い鯨塚が祀られているのを探しあてその碑の下に「背後のマンション敷地はかつての『東海漁業株式会社』の跡地であり、この鯨塚は現テニスコート北東角あたりに埋もれていたものをこの位置に移し祀ったものである。鯨塚は明治4年頃(1871年)にできたといわれ鯨の供養と安全祈願大漁祈願を目的に建てられていた。捕鯨に出発する前に町の有志を一同に集め、これらの供養祈願を行ったという。当初旧地の塚の下には親鯨の頭骨と胎児を埋めて供養したという。」という鯨への鎮魂に貫かれた一文を読んで鯨塚をめぐる由来を知ったのである。その後安房勝山に向かい岩崖の社の内側に祀られたきわめて印象深い鯨塚(写真)を訪ねた折には「勝山藩酒井家の分家で竜島の殿様(300石)と言われていた旗本酒井家の弁財天境内に、鯨を解体する出刃組が1年に1基の供養碑を建てました。ここには120基ほどあり堤ヶ谷石(地元の石)で作ってあります。風化したため70基ほどは埋めてしまい、現在52基 鯨塚は供養碑・祈願碑であり鯨の墓ではありません。弁財天は水神であり、財産を司る福神です。・・・」と立て看板があるのに碑の由来を知りそこでもまた鯨への供養と祈りの意思を確認し鯨塚を見に来た私たちの来訪に気づいて話を語り聞かせてくれた近隣の方の話からはその鯨塚は鯨を解体する出刃組の子孫によって守られているがその方はすでに高齢でこの塚が今後どうなるのかははっきりしないということも分かったのである。房総の人びとと鯨との関わりに思いを深くして房総の海岸線をたどりながら私たちは次の宿泊地に重くてしょうがない合宿メンバーの荷物を車で送り届けるという私たちのもう一つのミッションを果たしてその日の房総鯨鎮魂の旅を終えたのである。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





ボルネオ島に広く棲息するヒゲイノシシ(Sus barbatus)。
耳から顎の辺りにかけて、ヒゲがもじゃもじゃと生えている。

プナンは、イノシシのことを、マブイ(mabui)と呼んでいる。

それはプナンが最も好み食べるために探す動物である。
狩猟には、これまでどれくらいついて行っただろうか?
途中まで数えていたが、正確な記録を付けていない。
数えきれないほど繰り返して、ハンターについて行った。
ハンターは、朝から何も獲らず、どこに行くとも言わない。
血しぶきが飛び散り、一つの命が終わることへの関心?

猟銃で射撃するとき、私は銃後でいつも気持ちが昂る。
プナンのハンターもまた気持ちが昂っているのが分かる。
その興奮を静かに自制して、獲物に狙いを定め狙撃する。
前足の付根のあたりに弾が命中すればその場で斃れる。
イノシシが斃れた場から今度は人びとの元へ運び出す。
腹を裂いて内臓を取出し、性器、胃腸の消化物を捨てる。

一人で担げない場合一頭を胴体の辺りで真っ二つにする。
木の皮をイノシシの皮に器用に通して背負えるようにする。
何度か背負ったが、膨れたダニたちが咬みついてくる。
一週間位は腫れ痒いが、彼らにとってはどうってことない。
果実の季節にはイノシシが集まり人が狙って大猟となる。
子を産んだ母イノシシは暫くの間子イノシシを連れて歩く。
母イノシシを射撃すると、子イノシシが数匹一緒に斃れる。

子イノシシのは肉質が柔らかで、この上ない絶品である。
久しぶりに獲れたイノシシの肉で人びとは俄かに華やぐ。
プナンは腸内消化物、性器と骨以外全てをむさぼり食う。
肉は、広範囲の人に分け与えられ、一気に消費される。

あればあるだけ食べて、
腹痛、下痢などが一時蔓延する。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 狩猟キャンプ、深夜、私は眠っていた。
油ヤシのプランテーションの猟に行ったハンターたちが戻ってきたようだった。
プナン語で、カーン・モレム(kaan merem)、「夜の動物」という言葉が聞こえた。
寝ぼけまなこで、蚊帳から出て見ると、そこには、二頭の美しい動物が横たえられていた。
淡い黄色の毛並みに、全身にわたって太い縞模様が付いている。
夜の動物というのは、その動物の名前を直接的に言ってはいけないというプナンの習慣によって用いられたものであった。
プナンは、その動物に、これまた優しげな響きで、なぜか二文字のパナン・アルット(panang alut)という名を付けていた。
それは、ジャコウネコ科の食肉類、
タイガーシベット(Hemigalus derbyanus)であった。
プナンは、タイガーシベットは、夜に森のなかを歩いているのだと言った、だから、夜の動物なのである。
調べてみると、「国際自然保護連合」のレッドリストで、それは、「絶滅危惧II類」になっていた。
 


 

 プナン語でララック(Larak)と呼ばれる ボルネオヤマアラシ (Hystrix crassispinis)。
商業的な森林伐採後に植えられた油ヤシの木になる実を食べにやってくる動物は、イノシシとこのヤマアラシである。
夜の狩猟でイノシシ猟をしているとき、夜の闇のなかからふいに、ヤマアラシが近くまでやってきたことがあって、驚いたことがあった。
プナン曰く、ヤマアラシは、強い動物である。
なぜなら、それは、背中に捕食者に対する攻撃のための針を備えているからである。
後ろ向きになって、針を発射すると、それは、動物の身体に突き刺さるという。
森のなかを歩いていて、ヤマアラシの針が地面に落ちているのに出くわしたことがある。
プナンは私に、その針を指さして、ほら、戦い(喧嘩)があったようだと呟いたことがある。
写真は、油ヤシの実を食べに来て、捕獲されたメスの身重だったヤマアラシ。
ヤマアラシの肉は、けっこうイケル、うん、私は好きだ。


↑ プナン語で、バナナリス(Callosciurus notatus)はプアン(Puan)と呼ばれる。
リスは、プナンにとっては、セクシュアルな動物である。
動物学の文献を幾つか調べてみても、よく分からないのだが、とにかく、プナンがいうには、リスは森のなかで交尾ばかりしているという。
あっちに行っては交わり、こっちに行っては交わり、木の枝でも、地面の上でも、と彼らは言う。
ちなみに、YouTube に「リス、交尾」と入れて検索してみるとたくさん出てくるので、リスの交尾は目撃されやすいということかも。



↑ 偶蹄目のホエジカMuntiacus muntjak)は、テラウ(telau)と呼ばれている。
英語ではBarking Deer、メーティングや危険時に吼えるからその名がついたらしい。
猟では、ホエジカをおびき寄せるために、プナンは、草笛を使う場合がある。
それは、吼え声を真似ているというが、もっと物悲しい響きがする。

肉の味は、シカよりもコクがあって臭いがきつい。



↑ プナン語では、サウォ(sawe)と呼ばれるミズオオトカゲVaranus salvator)。
一般には、爬虫類に分類されるが、プナンの分類では、上の動物たちと同じカアン(kaan:動物)の仲間。
川のなかを泳いだり、ときには、木の上にも登る。
プナンは川に網を張って魚を獲るが、ミズオオトカゲは、網にかかった魚を食べに来る。
網がぼろぼろにされることもあるが、プナンは、ミズオオトカゲが
魚を食べに来るところを、槍で、場合によっては素手で捕まえる。
日々、川の内外で、人を含めた、生存のための戦いが繰り広げられている。
 

 ビントロングあるいはクマネコArctictis binturong)。
プナン語では、パスイ(pasui)と呼んでいる。
ネコ目(食肉目)ジャコウネコ科のビントロング属。
小さなクマといった見かけである。
プナンは、夜行性の動物であると言っている。
たしかに、夜に捕まえられることが多かった。



 プナンは、スリアット(seliat)と呼んでいた。
ジャワジャコウネコviverra tangalunga)だと思われるが、図鑑とはちょっと違うが、その一種なのだろうか。
夜、油ヤシのプランテーションの猟から狩猟キャンプに戻るときに、見かけたので、撃ち殺された。
夜に行動する動物だと、彼らは言っていた。
動物の右下に落ちているのが、弾丸がいっぱい詰まった散弾。



↑ ナミヘビ科のマングローブヘビBoiga dendrophila)。
夜に水浴びに行ったプナンが、樹上にいるところを捕まえた。
ヘビを捕まえるときには、彼らは、ふつうは、頭を叩いて脳震盪を起こしたり、頭を叩き切ったりする。
黒に黄色い帯があり、写真では、歯から毒を出すということを説明している。
料理して、翌朝食べた。

 ヒメヘビcalamaria sp.) の一種だろうか、同定できていない。
油ヤシのプランテーションを歩いているとき、前方を横ぎろうとしたとき、プナンは、刀の背で頭を叩き潰した。
毒があると言っていたし、食用とせず、そのまま放置した。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




トリは、プナン語で、ジュイット(juit)という、なんか詩的な響きだ。
トリは、かつては、ほとんどが予兆の鳥とされた。
現在でも、部分的に、トリの声の聞きなしが行われている。
雨が降るだの、晴れるだの、珍しい人が訪ね来るだの・・・
トリの肉は、食べるところがあまりないのだが、プナンは時々獲って来る。
以下のトリたちも、すでにお亡くなりになった(なりつつある)ものたちである。

セイラン(Argusianus argus)。 →
プナン語では、クアイ(kuai)。
セイランは、森のなかの平坦地を踏みならして、糞などを取り除いて綺麗に掃除をしてから、そこに座るのだとプナンはいう。
だから、糞のクアイとも呼ばれている、あるいは「糞(anyi)」という別名で呼ばれたりする。
正式な別名は、「座るトリ(juit mekeu)」。

動物図鑑によると、地面を綺麗にするのはオスで、鳴き声を上げて、メスを誘うのだという。
翼を広げたさいの眼状の模様が美しい。

 

 

 

 

 

  サイチョ(Buceros rhinoceros)、プナンは、ブレガン(belengang)と呼ぶ。
頭部の角質の真っ赤な冠が印象的である。
英語ではホーンビル(hornbill)、マレーシアの国鳥でもある。
このときは、狩猟小屋のすぐ近くの木に止まっていたところを銃で撃ち殺した。


シワコブサイチョウ(Rhyticeros undulatus)。 
プナンは、モトゥイ(metui)と呼んでいる。
「お亡くなりになった後」は、赤い目(bale aten)と呼ばなければならない。
木の上で見つけたときも、そうだ。
眼の周りの赤い瞼が美しい。

 



ムジサイチョウAnorrhinus galeritus)ではないかと思われる。 

プナン語は、ルカップ(lukap)。

 

 

 

 

 

 

 




 プナンは、ダター(datah)と呼んでいる。
ヤケイ(野鶏)だと思っていたが、コシアカキジLopura ignita)だ。
プナンのなかには、ニワトリが野生化したという人もいる。
コシアカキジをニワトリ(dek)と間違えて呼ぶことは、たいへん危険である。
コシアカキジの魂が怒って天へと駆け上がり、雷を起こすとされる。

だいたいこのトリは、罠猟で捕まえる。
味は、ニワトリよりも、野生の味がする。
キジだから当たり前といえば当たり前かも。

 プナン名、プラグイ(peragui)。
ウォーレスクマタカSpizaetus nanus)。
吹き矢で仕留めた。 




カケスの一種だろうか? 
同定できてないが、低空飛行しているところを毒矢で射た。
スゴイ、プナンの吹き矢術は。
この後、すぐに絶命した

 

 

 

 

 



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




私が撮影した動物の写真は、ほとんどが「お亡くなりになった」後(狩猟で仕留められた後)の動物の写真である。
プナンは、サルという分類を持たないが、
樹上に住む動物として、以下の4種を認めている。

← ブタオザル(Macaca nmestrina)。
プナンは、モドック(
Medok)と呼んでいる。
森の奥の方に獲りに行かなければならない。
昼行性で、夜は樹上で眠るとされる。
骨が太く、そのまわりに肉が付いていて、噛んでいるとジューシー。
ブタオザルの母は、胸のところで子を抱いていて、母を射撃すると子が獲れる。
子の肉は、「抱いている(tekivap)」と呼ばれ、絶品。
こんな旨い肉は、まず私たちの周りにはないだろう。
ゆえに、ブタオザルの肉を食べるのが、私には楽しみになっている。
プナンいわく、4種の「サル」のなかでは、もっとも強いという。

 

 

 

 

↑ ミューラーテナガザル(Hylobates muelleri)。
手が長い、プナン語では、クラヴット(kelavet)って呼んでいる。
腕を使って木々を渡り(ブラキュエーションという)、地上にはあまり降りてこない。
ウワウワウワウワッツという、印象的な大きな鳴き声を発する。
プナンの民話では、クマに動物たちが尻尾をもらいに行ったとき出遅れて、テナガザルが行ったときには尻尾が残っていなかった。
だから、テナガザルには尻尾がないのだとされる。
肉の味は、私としては、まあ、食べられる許容範囲。



↑ 動物図鑑を見ると、ホースリーフモンキー(Prebytis hosei)ではないかと思われる。
別名、ベッカム・ヘアー??
プナン語では、バガット(bangat)、お亡くなりになった後は、ニャキット(nyakit)と呼ばれる。
(動物を前にして、その動物の本当の名前を呼んではいけない)

なせリーフモンキーかというと、若い葉っぱや種子、蔓植物などを餌としているから。
腸内の消化物は煮出した場合薬になるとプナンは考えている。
ポトック(potok)という、リーフモンキーの腸内消化物のスープは、「
便」の匂いがする。
5メートルくらい近づくと、強烈な臭いがただよって、
いまだに私には飲めない。
肉の味は、他に食べるものがなければ、まあ、食べてもいいかなあというほどのもの。

カニクイザル(Macaca fascicularis)。 
川のそばの樹上にいることが多く、比較的、たくさん獲れて、食卓に上る機会が多い。
プナンは、クヤット(kuyat)って呼んでいる。
プナンは知らないが、道具を使うサルらしい。

これが獲れたら、しばらくどこかに逃げたい、あるいは、ソースを買いに行こうと思ったりする。
私にとっては、できれば食べたくない肉だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらは、ついでに霊長類として。

 

 

 



コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )




ジュラロン川のプナンにおいて顕著な実践は、「対象そのものについて語らない」傾向があるということであるような気がする。
気がするというようなあやふやな言い方をするのは、今回、話を聞いたのが、わすかな人たちからだからである。
対象そのものについて語らないことは、聞き手に対する衝撃を避けるために、否定的な意味を含む語句を他の語句に置き換える、「婉曲法」に似ている。
婉曲法は、'substitution for an expression that may offend or suggest something unpleasant to the receiver, using instead an agreeable or less offensive expression, or to make it less troublesome for the speaker'という意味では、ユーフェミズム(euphemism)である。
日本語で、婉曲的な表現といったときに、結婚式で、別れるとか割れるという表現を避けることも、その範疇に入るのかもしれない。
そうした言葉を使うと、言われたことがそのうちに実現すると考えられて、「
忌み言葉」として避けられるのである。
なぜだろう、言葉そのものに、物事を実現する力のようなもの、すなわち言霊のようなものが認められていることと関わるのだろうか。
このあたりのことについて詳しいことは知らないが、プナンの実践は、超自然的という意味では、
日本語の「忌み言葉」の実践に少しだけ似ている。

ジュラロンのプナンは、狩猟に出かけて、動物がいたらその動物の名前を呼ばないし、必要であれば、動物の名を別のものに言いかえる。
マメジカ(pelano)なら「細い足首(sik beti)」と言い、シカ(payau)なら「長い太もも(buat pakun)」、赤毛リーフモンキーなら「赤毛(nebara bulun)」と言いかえるのだという。
また、料理をしているときに、料理をする(matok)という言葉を使ってはいけないとされる。
魚を似ているときに、そのことを言ったら、
魚はいつまでたっても煮えないのだと言う。
プナンは、だいたい、以下のように説明する。
本当の動物の名や、料理するという語句が、ウガップ(ungap)=邪霊に聞かれたならば、邪霊によって、人間の意図が阻まれるのだ。
ウガップは、一般に、人間の行いの成就を阻む存在として、恐れられている。

すると、対象そのものについて語らないという言語実践は、わたしたちが心得ているような
婉曲法とは、かなり異なるものであるということになる。
婉曲法は、基本的に、人が人に配慮するものであるが、プナンの「婉曲法」は、人が霊に対して配慮するものでもある。
この点は、きわめて重要であると思う。
プナンにとって、世界は、人と人によって成り立っているのではなくて、人と人、人と霊(目に見えない存在)、さらには、人と動物も含めて成り立っていることを示しているからである。

人の行動や人の意図を読み取ろうとする邪霊に聞かれることがないように、プナンは、対象そのものものについて語ることがない。
つまり、そこでは、世界は、人間存在と人間以外の存在から成り立っている。
おそらくは、それは、長い間に人類社会で培われたふつうの考え方であったと思う。

ひるがえって、実証的な合理主義によって葬り去られたのは、人間と非・人間からなる
世界ではなかったのか。
人と人の間だけの「社会」が、わたしたちの世界の中心に位置づけられている。
覚書として。

(ジェラロン川にムカパン川が注ぎ込むところにあるプナンのロングハウス。ここに3泊した。)



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




出張の合間を見て、前々から聞いていた京大医学部の実験動物供養之碑を見に行ってきた(写真)。

医学部構内には実験動物センターがあり、その裏手当りにあるのかと思って探してみたが見当たらず、構内を歩き回って、医学部棟の裏手に木々が並び、その奥に囲いがあって、異形の大木の前には祠があり、何体かの地蔵さまが祀られている手前に、
その碑はあった。

碑の裏には、いまから39年前、
昭和47年8月吉日医学部一同とあった。その前には花が供えられていたし、向かって左側には、それより小ぶりの石碑があり、裏には、実験馬宮海号之墓 昭和7年6月6日病没という文字が刻まれていた。

その碑と碑の間には、
地蔵さんや小さな石碑があり、それらの石の前にはお酒が供えられていた。前掛けを着せられて、新しく彩色されたのではないかと思われる顔のある地蔵さんの裏には、動物之碑と書かれていた。

勝手に類推すれば、実験動物に対する弔いの念から建てられた碑や地蔵さんが集積する場所に、新たに、実験動物供養之碑が建立されたのではないだろうか。

つい先日であるが、研究会で、アラスカ先住民の動物観に関する論文を読んだ。そこでは、動物を、ウサギ人、ヘラジカ人というふうに、人格を持つものとして捉えていて、それらを食糧として消費するのだけれども、人と動物の距離が非常に近いものだということを学んだ。日本における人と動物の距離感は、それとは幾分違うし、さらには、アニマルライツを唱える西洋発信の動物観とも違う。

医学研究において、人間の生命をめぐる研究に
寄与してくれた動物たちに対して、慰霊祭を行い、さらには、石碑を建てて弔うという、日本人の動物観と実践の独自のあり方は、医学者たちの意識が、医学的・科学的な実践の次元のみで完結しているのではなく、実験動物に対する憐みや感謝という心情という別の次元へと開かれているという点で、きわめて興味深い。

 

 

 

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )




【感情原論】
ヒトは感情をどのように、何のために、手に入れたのだろうか。進化論は、感情は、生物が、繁殖上で有利を得るために、進化の過程で手に入れた特質であると説明する。人は、他の生き物に比べて、豊かな感情表出を行う。さらには感情の表出を介して、複雑な社会関係を発達させてきた。人はまた、他の人間個体の感情表出のありようの解釈の延長線上に、動物の表情から情動を読みとる力を身につけた。犬がしっぽを振るとき犬の喜びを見出し、けたたましく吠えるときに犬の怒りを読みとってきた。さらに、人は、無生物のなかにも、感情のようなものを読みとる。人は、風がわなないたり、植物がしおれてしょんぼりしていると表現する。そのようにして、人は、人以外の存在の感情をも読みとってきた。はたして、そうした言い回しは、比ゆ的な表現なのであろうか、はたまた擬人表現なのであろうか。いずれにせよ、一般に、人は、人以外の存在にも、人と同じような特質があることを読みとってきたのだと理解される。

【プナン、獣と天の感情】
ところで、ボルネオ島の狩猟民プナン人は、人以外にも、野生
動物や天候現象のなかに、特定の感情を読む。それらは、つねに、不快に感じ、怒っていると捉えられる。プナンは、野生動物に、もっぱら怒りの感情を読みとるし、天候もまた怒ると考える。プナンは、どうして人以外の存在のなかに怒りや不快の感情だけを読みとるのだろうか。はたして、彼らは、動物や無生物に、人間の持つ感情をあてはめて捉えようとしているのだろうか。いや、実際には、それとはまったく逆のことが行われているのではないだろうか。プナンは、人と人以外の諸存在のすべてに情動があって、不快を感じ、怒りを爆発させると考えているようなのである。そういったことについて、以下では考えてみたいのである。

【それはアニミズムか?】
動物が喋ったり、樹木が語ることをほんとうの
こととして信じることは、人間社会における古い形態の宗教であると捉えたのは、タイラーであった。タイラーは、人が精神を持ち、人以外の存在には精神がなく物質的存在にすぎないとする、デカルト的思考を受け継いで、人間の持っている精神を人以外の存在にあてはめて捉えるような信仰を、アニミズムと名づけたのである。しかし、そうした人の性質を人以外の存在に投影する、投影図式的なアニミズムは、上述した、非西洋社会における、動物や無生物などの人以外の存在に、人間的な感情表出を読みとる事態を理解する上で、十分ではないように思われる。なぜならば、たとえば、プナンは、人以外の存在のうちに、人間的な感情を読みとろうとしているのではなく、動物や天候現象が不快を感じ、怒りを露にする、行為する主体であると捉えているように思われるからである。プナンは、人以外の存在のなかに、あらかじめ情動のようなものが備わっていて、だからこそ、感情を表出させるのだと考えている。

【ふたたび、プナン】
 プナンは、人が動物をさいなんだり、動物と戯れたりすることが、天候の激変を引き起こすと考えている。人の粗野なふるまいに対して、動物は怒り、天へと駆け上がり、その怒りに同調するようにして、雷鳴がとどろき、嵐がおき、大雨となり、洪水が起きるとされる。ある場合には、雷神が怒って、天候の激変が引き起こされるとも説明される。

【二つの事例】
乾季に魚とりに出かけたときのことである。男たちは銛や投網であり余るほどの魚を手に入れた。それでもなお魚をとろうと、川の上流に向けてカヌーを漕ぎ出した。そのとき突然、遠くで雷が鳴った。その雷鳴は、必要以上に魚をとりすぎて、魚をさいなんだためだと解釈され、魚が怒って、それに共鳴した天が怒ったのだと考えられた。男たちは、その
場で魚とりを中止して、キャンプに引き返した。また、夜中に突風が吹き、雷鳴がとどろき、大粒の雨が降り出したとき、狩猟キャンプにいた男たちは、その荒天は、昼間にしとめられて持ち帰られたブタオザルを、わたしが写真撮影しようとしたときに、ある男が親切心から、ブタオザルにポーズをとらせて、なぶりものにしたことに原因があると考えた。ブタオザルが、人の粗野なふるまいを不快に感じて怒り、雷神と嵐の神が、その怒りに応じて天候の激変をもたらしたのだと解釈された。

【獣を怒らせるな】
プナンは、動物たちが怒らないように、しとめられた動物を前にしたときには、その本当の(種の)名前を呼んではならないというルールをもうけている。狩猟から持ち帰られた動物は、別名で呼ばれなければならないのである。なぜそうしないと動物は怒るのかというわたしの質問に対して、あるプナン人は、動物たちも人と同じだからだと述べたことがある。人が気安く名前を呼ばれたら気分を害するのと同じように、動物もまた機嫌を損なうのだという。
他方で、プナンは、喜んでいるとか、悲しんでいるといった情動によって動物の感情表出を語ることはない。気分を悪くしているであるとか、怒っていると語るだけである。プナンによれば、動物はもっぱら怒りの感情を持つ存在なのである。そして、その原因はつねに、人間の側の粗野なふるまいにある。

【他者としての獣】
動物は、人にとって他者である。プナンは、他者である動物の情動に敏感である。そうした社会心理は、狭い小屋のなかで身を寄せ合って暮らすプナン人たちのなかで、つねに強く意識されるものである。人間の他者だけでなく、動物の他者の情動に対して、プナンはきわめて敏感であろう。そのように考えるとき、わたしたちは、はたして、プナンが、人以外の存在に対して、人が持つのと同じような性質をあてはめて理解していると捉えていいのだろうか。プナン社会の人と人、人と人以外の諸存在との関係のあり方を探ることによって、投影図式的な捉え方の先に進んでゆかなければならない。つまり、タイラー的なアニミズムのその先に。

【怒るプナン】
話を前に進めるために、プナンにとっての「怒り」について書いてみたい。夫を亡くして二人の子どもを抱えて途方に暮れていた寡婦が、彼女のとは別の共同体の複数の男に身をゆだねるという出来事があった。寡婦の共同体のメンバーは、寡婦を責めるのではなく、男たちの所属している共同体に対して、怒りを露にした。逆に、言われもない怒りを突きつけられた男たちの共同体は、寡婦の所属する共同体に対して、怒りをぶちまけた。二つの共同体は対峙して、一発触発の危機的な状況に陥っていた。また、あるときよそ者たちが、ロギングロードから、プナンの居住空間を横切って、
川に抜けようとしたことがあった。よそ者たちが通った後、プナン人の女性たちは、そのよそ者たちに対して怒り始めた。あいつらの目的は何だ、子どもをさらうためだったのではないか。その怒りは感染し、女たちはめいめいに槍や山刀を持ち出して、騒然とした雰囲気になったことがあった。怒りは増殖し、女たちは、なぜあのとき男たちがよそ者を吹き矢で殺さなかったのかと、口々に唱えて、怒りを爆発させた。

【怒るとはどういう事態か?】
「怒る」は、プナン語でmelasetであり、「怒り」は paneuと表現される。paneuは、熱い(暑い)という意味であり、「喧嘩」も意味する。つまり、怒り(喧嘩)は、熱い(暑い)状態を示している。それらの語は、人だけに用いられるのではない。ブタオザルとカニクイザルが、ジャングルのなかで出くわしたのを目撃したハンターは、「怒っていた(喧嘩していた)」と述べた。ブタオザルは、左手で、カニクイザルを威嚇して蹴散らしたという。熱い(暑い)という語は、天候でも用いられる。太陽が日中にギラギラと照りつけるさまは、太陽が怒っているために、熱い(暑い)のである。

【動く、人以外の諸存在】
怒りとはもっとも目につきやすい、際立った感情表出であり、そうした情動は、人だけでなく動物や天候にも備わっている。このように、人以外の存在もまた人と同じような存在であり、同じような内面的な仕組みを持っているのだと捉える考え方は、プナン人の間に広く行き渡っている。プナン語には、「川」を指す固有の語はない。川もまた「水bee」である。水が集まって流れると川になる。それが大きくなると「大水jaau bee」となる。jaau とは大きいこと、大きくなることを指す。jaau nyi は勃起である。プナン語では、そのように、言葉をつうじて、自然現象の動きが示される。また、プナンの民話のなかで語られるように、小屋はかつては動いていた。このことは、直感的に、狩猟キャンプが、短い周期で畳まれて、
人とともに移動するということを表現するものだと思われる。あるとき、小屋は、イモリに踏みつけられて、それ以来動かなくなったのだと語られる。このことは、小屋のような無生物も、原初的には、人と同じような生命体として活動していた(いる)ということを示している。

【ふたたび、アニミズムについて】
南米先住民の事例を踏まえて、ヴィヴェイロス・デ・カストロは、アニミズムとは、人と、動物や精霊、無生物を含めて、人以外の諸存在が自らに持っている再帰的な関係が論理的に等しいことを表現するものだと述べている。このアニミズムの考え方は、プナンにも適合的である。そこでも、人と人以外の諸存在が、同様に、自己に対する再帰性を持っている。それらはともに、動き、大きくなり、不快に感じ、怒る存在として現れるのである。

【最後に、アンチル諸島の先住民に拠りながら】
こうした考え方は、目新しいものではない。レヴィ=ストロースが『構造人類学2』で取り上げた事例を見てみよう。白人たちは、アンチル諸島の先住民が自分たちと同じ身体を持っていることを疑うことはなかった。白人たちは、先住民の魂が自分たちと同じものであるのかを、ことあるごとに試したという。これに対して、アンチル諸島の先住民たちは、逆に、ヨーロッパ人たちが自分たちと同じように魂を持つ存在であるということを疑うことはなかった。しかし、彼らが気を揉んだのは、白人たちが自分たちと同じ身体を持っているのかどうかということであった。先住民たちは、白人を
水のなかに溺れさせて、死体が腐らなかったり、別のものに姿を変えないことによって、自分たちと同じ身体を持つ存在であることを証立てようとしたのである。このように、アンチル諸島の先住民たちは、見かけの点で違っている存在であっても、すべてが、同じような魂の持主であると考えていたのである。この点が、プナンの動物や天候などの、人以外の諸存在の情動を論じるときの出発点となる。プナンもまた、人以外の諸存在もまた、人と同様の内面的な性質を持っていると捉えているからである。

論文の執筆を前に進めるために、出発点として。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




今日の京都は穏やかな冬晴れ。
先週(?)降った雪が、まだ少し残っている。
東京に比べて、肌寒い感じがする。

嵐山の法輪寺に、獣魂供養塔があるというので行ってみた。
法輪寺の入り口に、いきなりドデカイ獣魂碑があった(写真)。
わたしが直接見たもののなかで、最大級のものである。
碑の裏には、大正14年に建立されたことが記されていた。
向かって左側に、建設者(寄付者?)の名前が記された碑もあった。
京都獣肉商組合の獣魂碑建設委員が建てたものだと思われる。

法輪寺の石段を上って、左手の電電宮の敷地の一角に、獣魂供養塔が建っていた。
獣魂碑ではなく、供養塔として建てられているのに出会ったのは、はじめてである。
こちらのほうは、昭和24年4月13日に建造されたもので、東京中央区日本橋室町二丁目一 日本畜産株式会社との裏書があった。
東京の畜産会社が、いったいどういった経緯で、京都に獣魂を弔うための碑を建てたのかは不明である。

この5年間で、時間を見つけて、10以上の獣魂碑を巡ってきた(以下のURL参照)。
まだまだ少ないのかもしれないが、おぼろげながら分かってきたことがある。
動物の魂を弔うためにいしぶみを建てるという慣行は、とりわけ、日本の近代化以降の畜産業、漁業などの食肉の産業化と関わりがあるようだ。
その意味で、獣魂碑は、産業アニミズムかもしれない。

http://blog.goo.ne.jp/katsumiokuno/e/55a35983e5e790fa493d6a3f8fb3d757
http://blog.goo.ne.jp/katsumiokuno/e/88cbad714f4d184a17d02790e9672c64
http://blog.goo.ne.jp/katsumiokuno/e/1b7f15a096fb9251b5ade06dff8f35f2

最後に、整いました。
獣魂碑とかけまして、駅弁大学とときます。
そのこころは、日本全国どこにでもあります。
これもイマイチやな。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




【狩猟民プナン】
プナンは、ボルネオ島に暮らす人口約1万人の狩猟民および元狩猟民である。ブラガ川上流域には約500人のプナンが定住・半定住して暮らしている。1960年代にサラワク州政府の政策に応じて、プナンはそれまでの遊動生活を徐々に放棄し、川沿いの居住地に住むようになった。かつてプナンが遊動していた熱帯雨林では、1980年代になると、商業的な森林伐採が開始され、プナンは木材企業からの賠償金を手にするようになり、次第に現金経済に巻き込まれるようになった。彼らは、そうした現金で今日、主食のサゴ澱粉や米などの食料品を購入している。彼らはまた、近隣の焼畑民の不法伐採やヤシ油の植樹などのクーリーとして、幾ばくかの現金も手に入れている。プナンは、1960年代から、政府の役人、近隣の焼畑民などから焼畑稲作の手法を学び、現在では、米作りを行うようになってきている。しかし、米の収穫は、畑地管理が十分でないため、多い年もあれば全くない年もある。そのため今日でも、狩猟が彼らの生業の中心である。周囲の森の野生動物の肉は、自家消費されるとともに、木材伐採キャンプや近隣の焼畑民に売られて、その見返りに、プナンは現金を得ている。

【野生動物と飼育動物】

ブラガ川のプナンにとって、動物とは野生動物のことである。飼育動物は、唯一、狩猟に用いる猟犬である。民話のなかで、プナンは猟犬を近隣の焼畑民から手に入れたことになっている。最初、猟にはトラを用いていたが、手なづけることができず、犬を用いるようになった。
プナンは、犬以外に動物を飼育しない。家畜化された動物は、野生動物よりも劣位に位置づけられる。他方で、野生のイノシシを檻に入れて家畜化しようと試みた人がいたという話が伝えられている。そのイノシシは、檻を破って逃げてしまい、人びとはそれを捕まえて食べてしまったという。かつては、プナンは、ニワトリの肉も卵も食べなかったとされる。現在では、近隣焼畑民からニワトリの肉と卵を分けてもらって、食べることもある。今日、プナンがなんらかの方法でニワトリを手に入れて育てることがある。しかし、卵や肉を食用にするために買っているのではない。ただ餌をやり、遊ばせて、飼うために飼っている。

【動物譚】

プナンの民話は、動物譚の宝庫である。かつてクマだけに尻尾があり、ほかの動物たちには、それが格好よく見た。動物たちは、クマのところに駆けつけて、尻尾をねだった。クマは気前よく、尻尾を次から次へと動物たちに分け与えた。最後にテナガザルがやってきたときには、クマに尻尾の手持ちがなくなっていた。それで、今日、クマとテナガザルには尻尾がないという。クマは、人がケチであってはならない、寛大な心を持つべきだという、人の
範を垂れる存在として知られている。スガガンとプナン語で呼ばれる小動物は、臭い屁をひることで知られていて、そのため、それを食することができないプナンもいるほどだが、民話のなかでは、スガガンは、かつて、人を含むすべての動物の頂点に君臨する王だった。あるとき、スガガンが、人に大木を切り倒すように命じた。人びとは共同で大木を切り倒した。いったい王様は何を作ろうとなさっているのかと噂しながら。カヌーか家か?そこへ王がやって来て、自分のために耳かきをつくるように言ったとき、人びとは、あんな大きな木からそんなちっぽけな耳かきをつくるなんて、なんてことだと囁き合った。その後、スガガンは王位を滑り落ち、今では臭い屁をひるだけの動物になってしまった。他にも、悪事を働いて、一生糞を転がすだけになったフンコロガシや、逆さまに眠ることになったコウモリの話などがある。民話のなかで語られるのは、かつて人と動物が人間性を共有していたが、人間性を失った存在が動物になった、こうした顛末である。

【動物の生態】
プナンは、狩猟のときだけでなく、果実を取ったり、茣蓙や籠などの材料である籐を手に入れるために、時には、涼を求めて、頻繁にジャングルのなかに入る。その際、男たちは、いつでもどこででも獲物に立ち向かえるための装備を身につける。ライフル銃と山刀を、つねに身につける。
彼らは、そうした活動のなかで、森の動物の生態に向き合ってきた。リスは、樹上でいっせいに交尾をするという。そのため、リスは、一般に、エロティックな動物であると考えられている。プナンは、サルという動物分類をもたないが、樹上に住む、ブタオザル、テナガザル、リーフモンキー、カニクイザル、赤毛リーフモンキーの5種を、同じような種類として認識している。プナンの観察によれば、それらは縄張り争いをすることがあり、そのなかでは、ブタオザルが最も強いのだという。ブタオザルに次ぐのはテナガザルだという。それらは、つねに左手を使って相手を威嚇したり、攻撃したりするともいう。地面を歩く鳥のうち、セイランは糞をしてその上に坐っていることがあり、プナンの正式名はクアイであるが、彼らは、時々、その鳥のことを「アニ(糞)」とも呼んでいる。 

【獰猛な動物、半獣半神の動物】
他方で、ジャングルのなかには、不意に人を襲う動物もいる。そのうち、彼らがもっとも恐れるのはヘビ類である。ボルネオのジャングルは、ヘビの多様な展覧場でもある。
毒ヘビは藪のなかから突如現れたり。樹上から落ちてきて、咬みつく。プナンは、ヘビを見ると、すぐさま刀で頭を切り落とそうとする。毒ヘビに咬まれて命を落とした人がいる。ブラガ川にはワニはいないが、ワニが潜んでいる川があるとされる。そこでは、水浴びが禁じられる。また、半獣半神とされる動物がいる。その代表格がトラである。実際には、トラはいないのだが、それは岩穴のなかに住み、人を襲ってむさぼり食うと想像されている。オランウータンも周辺にはいないが、それは、大きな人間のような存在が、森の木々を渡り歩いているというイメージのなかで捉えられている。オランウータンも、人を超えたパワーを持つ半獣半神なのである。そうした超自然的な力をもつ動物の延長線上に位置づけられるのが、トリである。すべてのトリが予兆の鳥とされていて、プナンは古くから、鳥の聞きなしを行ってきた。その声は、意味を運ぶとされる。鳥の聞きなしの慣行は、近隣の焼畑民が起こしたブンガン教が迷信であるとして退けた結果、今日では重んじられていないが、部分的に行われている。

【イノシシ猟】
狩猟は、プナンが、動物に向き合う最大の機会である。彼らは軽装で、肩からライフル銃を提げて、ジャングルに入ってゆく。複数でジャングルに入る場合には、尾根ごとに分担を決めた上で、下方から頂を目指す。基本的には、単独行動で、狩猟を行う。彼らがつうじょう狩猟の対象とするのは、イノシシである。まずは、イノシシの足跡があるのかどうかを探す。残っている足跡を確認して、イノシシが通った時刻を推量する。今しがたなのか、昨日の今頃なのか、あるいは、ずいぶん前のことなのか。足跡を追って、イノシシが何を求めているのかを確かめた上で、ふたたびやってくるかどうか、そのチャンスが迫っているかどうかを判断する。プナンはまた、足跡からいろいろな情報をキャッチする。それが大型のオスが残したものか、子連れのメスのものか、という情報を得る。さらに、ヌタ場があれば、そこにイノシシがやって来るかどうか、その場に坐って、しばらく様子を見ることがある。

ハンターたちは、ジャングルのなかでは、大きな物音を立てないように歩き進む。それは、動物の動きをいち早く察知するためと、動物が人の立てる物音を感知して逃げてしまうのを防ぐためである。イノシシが果実を齧る、コッ、コッという音は、遠くまで響くことがある。そうした音がすると、ハンターは、ライフル銃に銃弾を補填した上で、腰をかがめて、イノシシに気づかれないように気遣いながら、そちらの方向に静かに向かってゆく。イノシシを見つけると、十分な距離まで近づいて、ころあいを見計らって、ハンターは、首や前足の付け根のあたりに狙いを定めて、射撃する。一発でしとめることができる場合もあるが、手負いのイノシシが逃げる場合もある。ハンターは、すぐにその後を追うが、血痕から、傷の程度を推し量る。多量の血が流れている場合には、比較的ゆっくりと追跡する。どこかで倒れている確率が高いからである。他方、的がはずれて、イノシシが重傷を負っていない場合には、イノシシは軽やか逃げ去り、追い切ることができないこともある。そうした場合には、他のハンターを頼んで、複数で追い詰めていく場合が多い。

このように、プナンのハンターは、主に、視覚と聴覚に頼りながら、イノシシを追跡する。他方で、イノシシは、嗅覚と聴覚にすぐれていると、プナンはいう。イノシシは、人の匂いがすると、さらには、人のいる物音がすると、その場を立ち去るという。だから、ハンターは、つねに風下に立つようにするし、風上に立ってイノシシを追跡してはならないという。プナン人は、しかしながら、自らの身体の匂いを消すような何らかの手法を用いることはない。ただし、ある男は、狩猟に出かける前に一切の食べ物を口にしないのは、食べ物の匂いがイノシシに人の存在を知らせないためであると、わたしに語ったことがある。いずれにせよ、プナンは、ハンティングトリップの直前には、食べ物を摂取しない。プナンは、イノシシが近づいてくるために、何らかの匂いをつけるということもない。風がどちらからどちらに吹いているのかを確かめるために、ハンターはときどき立ち止まって、タバコを吸って、その煙で道取りをすることがある。

また、イノシシの耳はすぐれていると、プナンはいう。わたしは、彼らの猟についてゆくときには、たいてい長靴を履いて、棘のある植物にひっかりながら、音を立てることが多く、いつも、彼らの足手まといになった。そうした、イノシシの嗅覚と聴覚の優位性に対して、プナンによれば、イノシシは視覚の点では劣っているという。夜中に行われる油ヤシのプランテーションでの待ち伏せ猟は、懐中電灯の光をあててもイノシシが気づかないという習性を利用している。イノシシは、目が弱いのである。逆に、イノシシは、目が見えないため、無我夢中で突進してくることもある。これも夜の待ち伏せ猟でのエピソードであるが、待ち伏せをしていて眠り込んでしまったハンターが、突進して来たイノシシに体当たりをされて、けがをしたことがある。

【犬猟】

ライフル銃が導入される以前から今日まで行われている猟犬による狩猟について。プナンは、ジャングルのなかに、数匹の犬を放つ。ハンターは、単独か複数で、犬の後について森に入る。ハンターは、ライフル銃、槍、槍が先についている吹き矢で武装する。猟犬には、それぞれ、人名とは異なる犬名がつけられていて、つね日頃から、ハンターの呼びかけに応じるように訓練されている。イノシシの匂いを嗅ぐと、犬は興奮して喉を鳴らす。獲物を見つけると、犬たちは吠え声をあげるようになる。猟犬は数匹で、しだいに獲物を追い詰めてゆく。猟犬は、イノシシの首や前足の付け根のあたりに食らいついて、振り落とされないようにしがみつく。ハンターはやがてその現場に達し、獲物に十分に近づいた後に、犬にイノシシから離れるように命じ、次の瞬間、槍で急所を突き刺す。わたしが見たものでは、子イノシシが猟犬に噛み付かれたのを、ハンターが無理やり離れさせて、山刀で止めを刺したということがあった。猟犬は、イノシシとの格闘で絶命する場合もある。それだけ、イノシシの力はすごい。
吹き矢で、イノシシに毒矢を飛ばすこともある。その場合、イノシシは、たいてい、矢を受けてなおも走り続ける。ハンターは犬とともに手負いのイノシシを追い、毒が回って倒れたところで、槍で止めを刺す。

【おびき寄せ、罠を仕掛ける】
ジャングルのなかでいっこうにイノシシに出くわさない場合に、獲物の対象を代えることがある。地面を見て進むのではなく、樹上を見上げて、サルやトリを追うようにする
。遠くから聞こえる鳴き声に、プナンは耳を澄ます。ゆっくりとゆっくりと、鳴き声のする場所に近寄ってゆく。サルたちは、イノシシとちがって、目がいいとプナンはいう。人の姿を見つけると、それらは逃げる。人が樹上にサルを見つけた場合、獲物の様子をうかがいながら、低姿勢で獲物へと進んでゆかなければならない。サルは、集団で行動する。人を発見した場合、サルたちは、鳴き声で、危険が迫っていることを仲間に知らせるので注意しなければならないともいう。ブタオザルを狙う場合、子を抱いているメスが狙い目であるとされる。「抱かれる(トゥキバブ)」子の肉は、この上なく美味なのである。

大きなトリは、樹冠の上を、雄大な羽音を立てて飛ぶ。飛行機の機械音ではなく、しなやかな風音を起こす。イノシシとシカなどの大型獣以外の獲物には、つうじょう、散弾を用いる。トリが樹上を駆け抜けて行き、それを獲物とする場合には、プナンは、そのトリをおびき寄せるために、鳴きまねをする。彼らの鳴きまねは、トリに鳴き方にそっくりである。トリは、仲間がいると思って、戻ってくるのだという。わたしは、そうした狩猟を何度か目撃したことがある。遊動民の時代には、ハンターが樹上に上ってトリの鳴きまねをしておびき寄せ、吹き矢で射止めたという話が残っている。プナンの男はみな木登りの名人である。木の幹の裏側に手を回し、足を木に垂直に突き立てて、するすると登ってゆく。細い枝でも、木のしなやかさを確かめながら渡ってゆく。木から落ちてけがをしたり、死んだという話はない。
マメジカをおびき寄せるのに、草笛を用いる方法がある。その悲しげな音色を聞いてマメジカが近寄ってきたところをしとめるという猟法である。このように、プナンは、動物の持つ聴覚的特性を巧みに利用して、獲物をおびき寄せて捕らえようとする。

狩猟で獲物がなかなか取れない場合や、近くに小動物の足跡が見られる場合になどには、罠猟が行われる。罠は籐を用いて、輪が獲物の足にからまって吊り上げる仕組みになっている。野鶏などの小動物が狙われる。獲物の通り道を狭めるために(獲物が通り抜けられないように)、木枝があたりに敷き詰められて、獲物を導くけもの道がつくられる。そこに罠猟が仕掛けられる。日に一度の割合で罠がチェックされる。罠に掛かった獲物がまだ生きている場合には、止めを指された後に、罠が解かれる。

(罠猟に掛かった野鶏)



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




2月研究会案内

 【日時、場所】

2月2日(水) 

9:30~18:30

Paul Nadasdy
“Gift in the Animal: The ontology of hunting and human-animal sociality"
(American Ethnologist, Vol. 34, No.1, pp.25-43)を読む
<第二回>

◆桜美林・四谷キャンパスY301 
http://www.obirin.ac.jp/001/a028.html

2月3日(木) 

9:30~11:30

Paul Nadasdy
“Gift in the Animal: The ontology of hunting and human-animal sociality"
(American Ethnologist, Vol. 34, No.1, pp.25-43)を読む
<最終回>


12:30~18:30

・動物と人間の民族誌:ボルネオ島・プナンにおける人獣の近接の禁止・・・奥野克巳

・動物は自然で、人間は文化か?:自然と文化の二分法再考・・・・・・・・・・近藤祉秋

・人と動物、まみえず:ボルネオ島・プナンにおける狩猟の身体・・・・・・・・・・奥野克巳

◆桜美林・四谷キャンパスY304 
http://www.obirin.ac.jp/001/a028.html

*参加希望者は、あらかじめご一報ください。
奥野克巳
katsumiokuno@hotmail.com

【後援】

科研費基盤研究(B)(海外学術調査)
「人間と動物の関係をめぐる比較民族誌研究」
(通称、人獣科研)



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




あとからだんだん分かってきたのは、わたしは、大きく誤解されていたにちがいないということである。無駄に怒っているとか、気持ちを考えないとか、わたしの感情が、そういったかたちで曲げて捉えられたのだということが、だんだんと分かってきた。ある人の感じていることを、ある状況において感じとるとは、いったいどういうことなのだろうか。その感情の解釈は正しいこともあれば、その場の解釈だけで、一つの方向に突っ走ってしまうことがある。人間と人間の関係における感情の読みとりは大きな謎であるが、それだけでなく、ここで問題にしたいのは、人間による動物の感情の読みとりである。プナンは、動物の怒りの感情、不快感を読み取る。逆にいえば、プナン人にとって、動物は、不快を感じ、よく怒る存在である。そういうふうに捉えれば、そうした動物の感情の読み取りは、自分たち人が怒る存在であることに由来しているのかもしれない。人の怒りの動物への拡張。いや、それだけではとどまらない。プナンにとっては、天候も怒れば、水も、川も怒るのだ。夫を亡くした女が、別の共同体に来て、複数の男たちに身をまかせたという。亡き夫の共同体のメンバーは、女に対して不快感と怒りをあらわにしたが、その怒りの矛先は、女が頼った共同体に向けられた。女が頼った共同体のメンバーは、逆に、なぜ俺たちが悪いのだと、怒りを募らせていった。夫を亡くした女が、亡き夫の共同体の男と再婚するまでの間、双方の共同体のいがみ合いが続いた。プナンは、外来者の襲来を恐れている。首を狩られるかもしれないし、子がさらわれてしまうかもしれないからである。複数の見知らぬ男が、プナンの居住地を横切って川のほうに抜けていこうとしたとき、女たちは恐怖におののき、男たちに吹き矢を準備させた。恐怖は、ときに怒りとなって爆発する可能性を秘めている。とりわけ、女たちが怒っていた。外来者め。なぜあの時、矢を射ることができなかったのかと喚き立てた。そうしたプナン人たちの日常の怒り。怒りの感情は、動物にも感染するのではないか。動物たちは、人間たちの動物に対する粗野なふるまいに怒りをあらわにする。しとめられた動物は、自分たちの種の名前で呼ばれると、不快に感じ、怒るという。人は死ぬと、周囲の親族の名前を死の世界にもっていく。そのため、死者の親族は、喪名に変えなければならない。死後、死者の名は呼ばれてはならないのだ。死者の名前を発すると、親族は、悲しみに打ちひしがれるからだという。動物も同じだ。たいていの場合、狩猟によって死んだ後、種の名前を呼ばれてはならない。しかし、それは生者が悲しいからではなく、種の本当の名前を呼ばれた動物が、不快に感じ、怒るからだ。さらに、みにくさをあざ笑われた動物は、怒る。その意味で、動物は、神経質な存在である。人間の性質のある部分が、動物に投影されているのではないか。怒った動物(の魂)は、天へと駆け上がり、雷神に告げ口をする。すると、雷神も怒りに打ち震え、雷鳴をとどろかせ、大雨を降らせ、洪水を引き起こす。怒りに荒れ狂う。自然=雷神もまた怒るのだ。プナンは、人間、動物、無生物(天候など)の感情を、怒りを介して、読み解く。人間以外の存在は、けっして喜ばない。悲しまないし、楽しまない。怒りだけが傑出している。

(野ネズミ、レプトスピラ症の元凶、プナンは動物のなかでそれを唯一手づかみで捕まえて、焼いて食べる)



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





新年研究会案内

兎年の最初に、人類学者の北米調査地での兎をめぐる経験に基づいて考えます。

【日時】
2011年1月8日(土)10:00~17:00

【場所】
桜美林大学崇貞館B331(奥野克巳オフィス)
http://www.obirin.ac.jp/001/030.html

 Paul Nadasdy
“Gift in the Animal: The ontology of hunting and human-animal sociality"
(American Ethnologist, Vol. 34, No.1, pp.25-43)
を読む。

*参加希望者は、あらかじめご連絡ください。
奥野克巳
katsumiokuno@hotmail.com


【後援】
科研費基盤研究(B)(海外学術調査)
「人間と動物の関係をめぐる比較民族誌研究」
(通称、人獣科研)

 



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




鳥になるとは、どういうことか。それは、たんに、鳥の衣服を身にまとうことではない。鳥のような声を出し、鳥のように手が後ろに付いていて、その先に羽を動かせるような動作を行うことによって、感覚として、鳥になることである。ロッククライマーが岩にへばりついたとき、アリのようになった感じがするという経験譚は、人が見かけだけアリになることではなく、平面に対して、手足を伸ばして上昇したり、そのはずみで、まったく反対にその態勢で下降することができるかのごとく感じることを含む。メタモルフォーシス(変身)とは、そうしたことなのではないか。ユルキャラの縫いぐるみを着て、人は、たんに突っ立っているのではなく、心・身ともに、ユルキャラそのものになりきる。ユルキャラという新たな人格が動き出す。ある朝起きると巨大な虫になり、ひどい空腹を憶えたグレゴール・ザムザは、白パンの浮いている甘い牛乳を入れた鉢に目もつかってしまうほどに首を突っ込んだが、体全部が協力してくれなかったので、牛乳をうまく飲むことができず、頭をそらせて、部屋の中央に這い戻った。身体の変わりようだけでなく、身体感覚の変わりようを示している点において、カフカの変身の描写は正しい。人間と動物、人間と間について考える上で、このあたりの思考を踏み越えてゆくことが重要であるような気がする。そんなことを話したのか話さなかったのか、考えたのか思ったのか、出版・研究の打ち合わせを終えて、冬晴れの気持ちのいい一日、小金井公園に行って、日が落ちるまでのひと時、枯れ芝の上に寝転がった(写真)。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



« 前ページ 次ページ »