片貝孝夫の IT最前線 (Biz/Browserの普及をめざして)

Biz/Browserの黎明期からかかわって来ました。Bizを通じて日常を語ります。

枯山水、箱庭、盆栽にみる日本人の習性

2008年12月31日 | 私の正論
近所のスーパーは元旦も9時から営業するという。
環境にやさしい生き方とは、夕方6時に店のシャッターを閉め、盆暮れはしっかり休み、日曜日の繁華街はシャッター通りにすることではないだろうか。
日本人は几帳面過ぎる。やりすぎる。適当にできない。いつからこうなったのだろうか。なぜこうなってしまうのだろうか。
無駄を一切排除して、必要なものだけを研ぎ澄まして残す。この性分が、自殺者3万人の国にしたのだろうか。
もっといい加減に生きたいものだ。
それにしても紅白歌合戦をぬくぬくと見ている組と、住む所もなくなってしまっている人と、同じ狭い地域に同居している様は異様だ。


大谷貴子さんから本をいただいた

2008年12月29日 | 感動したこと
先日の黄原亮司チェロコンサートの途中でご挨拶いただいた、大谷貴子さんから著書二冊をいただいた。しかも署名入りで。コンサートで司会をしてくださった須賀さんから電話があり、大谷さんが私に著書を下さったという。須賀さんが家まで持ってきてくださった。
私はコンサートで会うまで、大谷さんを知らなかった。

「いきてるってシアワセ!」を読んで、私も骨髄バンクに登録することに決めた。まあ、献血はしているし、不慮の事故で死んだら、私の体の角膜や心臓(毛の生えた心臓です、これは貴重ですぞ!)はただちに切り取られて別の人の体の中で生きることになっているから、骨髄バンクに登録するからといって特別な決意があるわけではない。

大谷さんの素晴らしさに感動した。
大谷さんは大学院生のとき白血病と診断された。泣き明かした。大谷さんの病気は骨髄移植でしか治らないタイプだった。大谷さんは日本には骨髄バンクがないのを知り、自分のことでもあり、同病の人を救うことにもなるので、骨髄バング設立に向けての活動を始めた。
大谷さんは、その後、運良く姉が同じ型の骨髄液だったので、危険を冒して移植するかどうかだけの判断だった。半年が過ぎた。いよいよ危険な状況になり、いざ移植する段になって改めて調べると、姉の骨髄液は似ているけど同じではないことがわかった。そこで再び奈落の底へ。
しかし、その後奇跡的に母が同じ型だとわかった。親が同じ型である確率はゼロだというのに奇跡的に同じだったのだ。これは、多分、大谷さんに神様が役割を与えたのだろう。
ほとんど絶望的な状態で移植手術をした。そして奇跡的に生還した。
それから、骨髄バンク設立に向けての活動を活発に続け2年が経った。実は生理が来なかった。それで調べてもらうとすでに閉経だという。ここで最も落ち込んだ。それで、骨髄移植なんて意味がないと活動をやめる決心をした。
しかし、小さな子供が二人いるお母さんや、やはり小さな子供のいるお父さんなど、骨髄の提供者を待っている人たちと深くかかわって、自分の考えを捨てた。
そして今がある。
この話は、おおくの人が知っている話だろうが、私はこの歳になって知った。素晴らしい方が世の中にはたくさんいるものだと改めて感じた。

人のためにと思ってやっていると、それ以上のお返しをもらってしまうらしい。特に相手が弱い立場であればあるほど、こちらがいただいてしまうものが大きいと、人は言う。

ところで、、、、、、、
骨髄バンクへの登録は55歳まででした。献血では事前チェックはいつも問題なくパスしているのだから、骨髄バンクも同じような基準を作れないのだろうか。実年齢もせめて65歳までエントリーだけはできるようにするとか。

他人の面倒を見られるか

2008年12月28日 | こころ
先日若い女性が地下道で寝ているのを見た。
まだ20代前半かもしれない。
地下道の真ん中を支えている丸い柱と柱の間に芋虫のように
ポケットに手を突っ込んで横になっている。
荷物は何もない。
ただ、着の身着のままで横たわっている。

やはり、別のことろで若い男を見た。
自動販売機の下を、いかにも手馴れているように
覗き込んで、コインが落ちていないか目を凝らしている。
傍からどんな目で見られているかなど、まったく眼中にないように、
軽々とした身のこなしだ。

これまでとは違う風景だ。

「ケア」という英語の適切な日本語は、「面倒をみる」だそうだ。
自分の面倒をみられる人が、できる範囲で人の面倒をみることができたら、
もう少し住みやすい優しい社会になるのかと思った。
それには自分が変わらなければだめだとも思った。



一日がかりでビデオの編集

2008年12月28日 | チェロ奮戦記
東海林知津子さん。黄原亮司さんのチェロが大好きで、コンサートにもよく出かけていた。しかし骨髄性白血病にかかり、今年いっぱいの命と宣言された。
そこで、生きているうちに黄原さんのチェロコンサートを、それも骨髄バンクを支援するチャリティーコンサートをぜひ開きたいと願い、12月23日、地元の宮原コミュニティーセンターで開催する準備を整えていた。
しかし、開催を目前にして、生きてコンサートを開くことは叶わなかった。
その遺志を継いだ、家族や友人たちが、そして黄原さんが心を込めて準備をして、当日を迎えた。
300人ほど入れる会場は、立ち見が出るほどで、ご遺族の挨拶から始まった演奏会は、心のこもったものとなった。
私は選曲について、黄原先生からいろいろ聞いていたので、先生がどんなに東海林さんのことを大切に思っているかわかっていた。
27日は、一日かけてビデオの編集をした。1枚に収めるために、骨髄バンク推進協議会会長の大谷貴子さんのすばらしいお話やPTAコーラスの一部をカットせざるを得なかったが、なんとか編集できた。一安心です。


バッハを聴き、ビールケースの椅子で魚を焼き、美酒を飲み、今年を送る

2008年12月26日 | こころ
毎年25日は、上野の奏樂堂で、N響メンバーによるバッハ「ブランデンブルグ競協奏曲」の全曲が演奏されるのだという。
友人の斎藤さんと、来年3月定年の弟さん、今月定年の義理の弟さん、そして私の4人で聴きに行った。
奏樂堂に入る第一歩から、おごそかな気分になる。
二階にある音楽ホールは、かつて滝廉太郎がピアノを弾き、山田耕筰が歌曲を歌い、三浦環が日本人による初のオペラ公演でデビューを飾った由緒ある舞台。
階段教室のようになっていて、演奏家を下に見下ろす。
私は、ブランデンブルグ協奏曲を全曲続けて聴いたのは多分初めて、もちろん生も初めて。
歴史のある空間、400人ほど入れるホールを満席にして静かに待つ老若男女。
これだけでもわくわくする。演奏はそれぞれの演奏家に息がぴたり合って、聴衆の波長ともぴったり合って、珠玉の時空を作り出す。
おもしろかったのはチェロの木越さん。チェロを立って弾くのだ。本人は「紐から解き放たれた犬」と表現しているようだが、なんとも楽しそう。そういえばN響アワーで見かける髪の毛を後ろで縛っている人だ。演奏しながらチェロを左手で前に突き出す人だ。
最後がブランデンブルグ第5番。2楽章が始まる。フルート、バイオリン、チェロ、チェンバロだ。これは11月に蓼科でやった曲。音が柔らかい、私の弾き方とはまるで違う。そうか、こう弾くのか。CDで聴いて分かりそうなものだが、今はっきりわかった。
ということで、終わって興奮した顔を夜風で覚ましながら、ガード下を御徒町方面へ。お目当てのビニールシートで囲われた喧騒な店に入る。炭火の鉢をテーブルに置き、魚を注文して焼きながら食す。ビールと日本酒。

とんでもない一年だったが、来年もがんばろうと心に誓う。

宋 文州さんのメルマがに100年ぶりの希望とあった

2008年12月26日 | 感動したこと
宋 文州さんのメルマガに、来年は100年ぶりの希望とありました。
一分転載させていただきます。

-------------------ここから
世の中がもっと悪くなるとの予想が多い中、私は今年の新年ほど希望が持てる
新年はないと思います。なぜならばそもそも希望とは悪いことが多い時に使う
言葉だからです。これほどの悪い年が100年ぶりであれば、新年への希望も100
年ぶりのものになるのです。

文化大革命は私の家族にとって不況の何倍も勝る不幸でした。私の母がいつも
「この暗いトンネルに出口はない」と喘ぎましたが、父は必ず「出口は必ずあ
る。目の前にないと見えないだけ」と言いました。

そうなのです。我々は出口が見えるまで出口がないと思ってしまいます。失わ
れた10年のようにこれから世界が10年を失うと考える人が居るかもしれません。
しかし、そう予想する人は昨年の今、一年先のことも予想できなかったのです
から。

私の予想も外れました。私も今後の予想に自信が持てません。しかし、私には
確かなものがあります。それは新年への希望です。新年は確実に昨年を過去に
してくれます。新年は確実に予想ができないほど変わります。悪い方向にでは
なく良い方向に。

皆様に心をこめて、「どうぞよいお年を」

--------------------------ここまで

余裕がある人は困っている友人を助けましょう。

第24回IT戦略総合大会で、Biz/Browserのユーザ事例が二つ紹介されます

2008年12月25日 | Biz/Browser
昔日本オフィスオートメーション協会と言った、社団法人企業情報化協会の、歴史あるIT戦略総合大会の二日目の午後のセッションで、岩谷産業(セッションB4)とボックスチャーター社(セッションB5)でBiz/Browserが利用された事例が紹介されます。
見所は、岩谷産業では、全国350ヵ所との業務処理をWebでできたばかりでなく、見積よりもサーバ台数の大幅削減が実現できたことです。これは、もともとHTMLベースで構築しようと考えていたので、比較ができたケースです。
ボックスチャーターは、ヤマト運輸が音頭を取って、短期間に業界連合ができた稀有な事例です。これからの時代、競合するばかりではなく、協調も重要かと思います。そんな場面でBiz/Browserがお役にたったとすればこれ以上の喜びはありません。