まずは読売新聞の記事をお読みください。
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日本と中国の友好の懸け橋になりたいと、京都市左京区の中国人留学生・孫秀蓮さん(27)が冊子「和華」(B5判、50ページ)を作った。
大和の「和」と中華の「華」から命名し、各界に“飛び込み”で寄稿を呼びかけて刊行。尖閣諸島を巡る問題などで両国の関係が冷え込む中、「定期的に刊行し、草の根レベルで良い関係を作りたい」と意気込んでいる。
山東省出身の孫さんは済南大で日本語を学び、敗戦後に高度経済成長を遂げた日本をもっと知りたいと、2009年に来日。京都大の研究生を経て、4月からは滋賀大の大学院で経営学を学んでいる。
その間、留学生は中国人同士で過ごすことが多く、日本人学生との間に距離があると感じ、ギョーザ作りや中国文化を紹介する行事を企画してきた。
今回は、さらに交流の輪を広げようと冊子作りを思いたち、3月からインターネットの会員制交流サイト「フェイスブック」で、日中関係に詳しい人を探し、原稿の執筆を依頼。大半は面識がなかったが、ネットでやりとりをして了解が得られると、授業やアルバイトの合間に東京、横浜、神戸に赴いて趣旨を説明した。
元外交官で上海総領事を務めた吉田重信さん(77)(横浜市)も孫さんからフェイスブックで誘いを受け、快諾した一人。「いきなり連絡があった時は驚いたが、文化を分かり合うことで関係を良好にできると思った」と、創刊号に日本人と中国人の長短所に関する文章を寄せた。
創刊号には京都大や立命館大に通う両国の学生のほか、大学教授や芸術家、税理士、主婦ら府内外の約20人も寄稿。言語の成り立ちや生活の違い、両国の桜などについて書いた原稿が並ぶ。400部を作り、新たに1000部を増刷するなど、反応も上々だ。
今後は、原稿を募集しながら年4回程度刊行。来年1月には第2号が完成する予定で、孫さんは「東日本大震災でそうだったように、日本人は困っている人がいたら助けてくれるということが、編集を通じて改めてわかった。何となく反日、反中という感覚をなくしたい」と話している。
1冊350円で、送料が別途必要。問い合わせは孫さんの電子メール(sunxiulian6891@yahoo.co.jp)へ。(辻田秀樹)
(2013年11月23日 読売新聞)
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この孫さんが思いの丈を語ります。
題して
「挫折の中で、私にできることはこれだと思い定めて創刊した、
日中草の根外交雑誌「和華」の創刊物語と成長戦略について」
私がナビゲータの一人を務めていいる、ビジネスプラットフォーム革新協議会主催の第74回目からウロコの新・ビジネスモデル研究会です。
こちらかをご覧になって申し込んでください。
ところで和華の2号(新年号)が出ました。
当日会場で買っていただけます!!
これには私も寄稿しています。
出して「私と中国」
ここに私の記事の全文を載せます。
私と中国
私は昭和21年(1946年)生まれだ。太平洋戦争が終わった翌年の生まれで、今67歳。私の父は昭和10年代に召集されて自動車兵として中国の満州に行った。帰ってきたのが昭和18年、なぜその時点で戦地から返されたのか分からないとは言っていたが、ともあれそれから結婚して姉が生まれ、戦後私が生まれた。父は、私が子供の頃、中国人との交流について楽しそうに話してくれた。中国語も教えてくれた。イー、アル、サン、スウ、ウー、リュー、チー、パー、ニイハオ、サイチェンなど。でも私は学校で、日本軍は中国を侵略したと教わっていた。だから「父ちゃん楽しそうに話すけど、人を撃って殺したことある?」と聞いたことがある。それ以来父は戦争の話はしなくなった。
父は若い時から俳句を詠んでいた。25歳で召集され、何も分からずに満州鉄道に乗せられ奥地に送られた。黄河を見ながら北上したとき詠んだ俳句がある。「春浅し 黄河は 空に 連なりて」
黄河の果てしなさが見えるようだ。父の俳号の「陽泉」は、帰国後山西省にある地名から取ったものだという。片貝陽泉と名乗った。父は中国を愛した。中国人と撮った写真がたくさんある。でも戦争で戦ってきた。助手席にいた戦友が顎を打ち抜かれ、母ちゃん母ちゃんと泣きながら3日後に死んだ話は何度か聞いた。その話をするときはほんとうに悔しそうだった。
今の私には中国人の友達がたくさんいる。みな気のいい連中だ。仕事をしたり飲んだり議論したり。私は戦争を憎む。戦う相手には何の恨みもないのに、目の前に現れたら殺さねば殺される。そんな理不尽なことはない。国同士のメンツや死の商人のビジネスのために戦わされるのはまっぴらゴメンだ。しかもこれからの戦争はハイテク戦争だから、直接手を下さずに人を殺す。ゲームの世界で人を実際に殺す。絶対にあってはならないことだ。
今は世界中にインターネットが普及している。友達の友達は友達だ。インターネットの力も使って人類がみな友だちになり、戦争を起こさせない人間社会を作らねばならないと心から思っている。