片貝孝夫の IT最前線 (Biz/Browserの普及をめざして)

Biz/Browserの黎明期からかかわって来ました。Bizを通じて日常を語ります。

山野豊 ドクターヘリへの想い

2012年08月27日 | 山野豊 ドクターヘリへの思い
日本にドクターヘリが導入されるきっかけを作った山野豊さんとメールのやりとりをしています。山野豊さんの想いをお伝えします。


正面を見ると、濃い緑の森の中に鉄塔が一本、青空に浮く夏の入道雲を突き刺すよう
に立っている景色が、窓枠で四角に切り取られた一幅の絵画のように見えます。
視線を下に向けると、待機中のドクターヘリが見えます。

あとで下にいってフライト・ナースを訪ね、私の代わりにシアトルの会合に益子先生
と出席する彼女に、会合について説明をしておこうと思います。

会合はワシントン大学医学部で3日間開かれます。アメリカの救急はベトナム戦争で
大きく発達しました。その原動力になったのが当時軍医だったコーパス先生です。
先生が提唱した有名な救急の原則があります。「7777の原則」といいます。
救急の要請を受けたら7分以内に現場に到着、7分以内に現場を離れ、7分以内に
病院に搬送、7分以内に医師による手当てを開始する、という原則です。
メリーランド大学のカウリー博士もベトナムで従軍した医師です。今はアーリントン
墓地で眠っているこの先生も「Golden Hour」と言う言葉を残しました。

先進諸国には救急法という法律があります。「国民はその時に得られる最高水準の
医療手当を受ける権利がある」とドイツの救急法に謳われています。15分以内に
医師による手当てを可能にするために、ヘリコプターが利用されるようになりましたが
その根拠はフランスのカーラー博士による死亡曲線にあります。事故後15分を
過ぎると蘇生率が急速に低下することを示した曲線です。

私がこのようなことを翻訳して宣伝を始めたのが1973年でした。そもそも日本に
は救急法などありませんでした。救急は医療として認められていなかったために
厚生省の職掌にはなかったのです。救急法ができたのは4,5年前です。こういう
風土の日本ですから、ドクターヘリの使命は、15分以内に手当をするための医師を
搬送する事にあることを知らない人が未だにたくさんいます。

2012年8月26日
山野 豊