片貝孝夫の IT最前線 (Biz/Browserの普及をめざして)

Biz/Browserの黎明期からかかわって来ました。Bizを通じて日常を語ります。

日本の大企業は、来年85%がおかしくなるという

2014年04月30日 | Weblog
米国IBMに1年間出向していた方がいた。
米国マイクロソフトに半年研修に行っていた方がいた。

そのお二人が異口同音に語ることは、どんな情報でもほとんど見ることができたということだった。
開発中のOSのソースすら見えるという。

日本では、なぜ隠すのか。
アメリカ人の考え方は、全社員が見られれば、いろんな指摘をもらえるではないか、隠せば自分でやるしかない、という考えだ。
できるだけ人に見せる。
グローバル企業だから全世界の社員が、新製品の機能について開発途上から知っていることになる。
そして開発者に対して、全世界から意見が寄せられる。
知らないのは発売日だけなのだそうだ。

翻って日本はどうか。
部外者には、たぶん何も見せないだろう。
事業部が違ったら、たぶん見せない。
上下でも見られる範囲が違うかもしれない。

日本のセキュリティーに関する考え方は、実に幼稚だという。
仕事をしている個々人を信用していない。
そんなことでグローバル競争に勝てるのか?
情報共有の質もスピードも全然違うという。

日本の大企業の決断の遅さには定評がある。
もうほとんど付ける薬はないという。

今年は安倍バブルで利益も出るが、問題は何も解決だれていないという。
ほとんどの大企業は、来年おかしくなるという。

救いは中堅企業。
誰の助けも借りずに、苦労に苦労を重ねて生きてきた。
これからグローバル市場に躍り出るのは、そういった中堅企業だという。




吉澤さんが一番好きな記事は、2012年11月15日号の東田直樹さんのコラムだそうです。

2014年04月25日 | Weblog
ここにかかれている東田直樹さんのコラムが大好きなのだそうです。
その号を今日は買わせていただきました。

手に持っていただいてパチリ。


東田さんのコラムの一部を転載します。

「誰かに会ったとき、僕が一番気になるのが、相手の視線です。相手の人がどこを見ているのかではなく、その人がどんな気持ちで僕を見ているのか、それが気になって仕方がないのです。相手に嫌われていないか、心配なのだと思います。」


ああ、吉澤さんもそう思っていらっしゃるのだな、と思いました。
みなさんビッグイシューを売っている方々をどんな目で見ていますか。

ビッグイシューは高質な社会派雑誌です。
最後のほうに「ホームレス人生相談」というのがあります。
ホームレスの方が人生相談に乗るのです。
女性からの相談が多いようですね。





10年後に生き残れるSEの条件

2014年04月24日 | 私の正論
今日、JUASの活動報告会があって、いくつかのセッションを聞いてきた。
その中に10年後というキーワードで研究していた報告があった。

10年後に生き残れるSEとは、どんな人だろうか。
私なりに考えてみた。

ユーザ企業の中にいるSEの立場は微妙だ。
その企業のコアの仕事をしているわけではない。
やはり間接部門としての位置づけが今は主流だ。
しかし、10年後ということになると、かなりの会社がITに頼って仕事をしているというイメージが浮かぶ。
製造業だろうが農業だろうがサービス業だろうが、だ。

そんな時代のSEは、企業の生き残りを左右するほどの立場に立たされているような気がする。
イメージとしては「軍師官兵衛」

つまり、会社を社会の中でどう適合させていくかを寝ても覚めても考えているような人。
経営者が、何か困ったことが起こると、まず相談したくなるような人。
IT技術は多岐に渡るし、さまざまなサービスも出てくる。それらにも通じていなければならない。
そのためには、外部との接触を自ら出向いてはかり、必要な情報を自ら獲得するような人。
自分でできなくても、できる人を何人も知っているような人。

決して具体的な技術に精通している必要はない。
体で理解しているような人だ。

こういう人は次期社長候補にもなれる。

いかに生きるか

2014年04月23日 | こころ
後悔しない生き方をしよう、という決まり文句がある。
私は67歳になってどう思っているかというと、後悔はしていないとはっきり言える。
なぜ言えるかというと、過去のどの時期にも戻りたいと思わないからだ。
その時そのときを十分やってきた。
至らなかったかも知れないが、それは自分の限界で、どうしようもない。

25歳で電機メーカーを辞めてソフト会社に転職。
それは、オンラインリアルタイム処理というコンピュータ技術に憧れたから。

そのソフト会社を36歳で辞めて独立した。
それは、大型コンピュータがセピア色に見えて、パソコンの世界に行きたかったから。

47歳で会社が行き詰まり、営業権譲渡。自分も一緒に売り先に就職。
実はその会社は、辞めた元のソフト会社の子会社。
その後親会社に統合され、結果出戻りとなる。I
所詮自分が社長の器ではなかったことに気付く。

そのソフト会社が上場するというので、自由を求めて50歳でIT系人材派遣会社に転職。
いろんなエンジニアをいろんな会社に紹介する。
知恵はあるがお金のないフリーのエンジニアに融資をし、てSAPの資格を取らせることもした。
実に楽しかった。

Biz/Browserに出会ってしまう。
人材派遣会社を辞めて、Biz/Browserを普及させるために53歳でアクシスソフトに転職。

創業社長から4代社長は交替したが、私のBiz/Browserへの想いは変わらず、
家付き猫のごとくアクシスソフトに居続ける。

アクシスソフトは豆蔵グループのオープンストリームと合併し、存続会社がオープンストリームとなる。
それでもBiz/Browserのエバンジェリストとして(本当は顧問)啓蒙普及に務める。

2006年から顧問となったので、ブログを始め、
社会的な活動、ITコンサルタントとしての活動を幅広く展開する。

そして今に至る。
我が人生に悔いなし。

あとやりたいことは、研究開発型IT企業のサテライトオフィスを我が故郷に誘致し
Javaバレーを築くこと。









日本の旅館に元気になって欲しい

2014年04月22日 | 感動したこと
陣屋の宮崎社長。
自社のシステムをセールスフォースを土台にして構築し
完全情報共有を実現し、短期間で収支も改善。
その仕組みをほかの日本旅館にも使ってほしいとワゴン車で一年間に1万キロ。
いまでは80旅館がつかっているそうです。
宮崎さんの叔父さんは宮崎駿さん!

昨日はシステムイニシアティブ研究会第37回例会でした。
とてもとても示唆に富んだお話が聞けました。

夏目漱石の「こころ」が、朝日新聞で100年ぶりに再連載され始めたが、、、

2014年04月21日 | 22世紀を目指して
冒頭の何行かを読んで驚いた。

「友達は中国のある資産家の息子で金に不自由のない男であった」とある。
この友達は、私を海に誘ってくれた人で、このあとすぐ国に帰らなければならなくなってしまうのだが、
ともあれ、明治時代の日本は中国ととても親しかったということがわかる。

人類みな兄弟、国境とか、民族とか意識しない世界観を築きたいと「こころ」から思った。


日本ユースウェア協会同窓会

2014年04月18日 | 私の正論
ユースウェアという言葉をご存じですか?
これは日本人が作った造語です。
ハードウェアとソフトウェアだけではパソコンを使える人は限られています。
利用技術であるユースウェアがあって初めてパソコンが万人の役に立つ!
そう思って立ち上げた日本ユースウェア協会。
今日はその同窓会でした。