先日聖学院大学で開催された、横須賀基督教社会館館長の講演を聞きに行った。
冒頭学長の挨拶があった。
学長が先日さいたま市長と話したとき、さいたま市の赤字解消の手段に問われたという。
そのとき学長は、ボランティアの活用で赤字を消すことができると答えたという。
私もそう思った。
3時間近いシンポジウムの後で、帰りのエレベータの中で、男性二人が、学長の発言を話題にして「どうやったらできるのか、その話を聞きたかったよ」と言っていた。
裏に、できっこないという思いを感じた。
できないなんてことはない、住民の中に時間的余裕のある人はいくらでもいる。条例を作ってボランティア活動を義務化するのも手だ。月に10時間以上地域のために働くことを市民に義務付けるのだ。罰則はいらない。できない人はしなくていいのだ。
そうだ思い出した。
昔子供の頃、冬行かなくなって荒れた山道を、雪が溶けた春先に「道普請」と称して村中総出で直しに行く行事があった。でも年寄りばかりで人足を出せない家がある。そのことはだれも知ってる。それは仕方がないこと。暗黙の了解だ。こういったゆるゆるのやり方でいいのだ。
ゆるゆるのやり方でいいが強力なリーダーシップが必要。
それをだれがやるかだ。
社会館館長の講演では、地域の小学校の校長先生だった方がリーダーシップを取られたという。確かにそういう方なら話も上手だろうし、みんな従うのではないかと納得したが、、。
冒頭学長の挨拶があった。
学長が先日さいたま市長と話したとき、さいたま市の赤字解消の手段に問われたという。
そのとき学長は、ボランティアの活用で赤字を消すことができると答えたという。
私もそう思った。
3時間近いシンポジウムの後で、帰りのエレベータの中で、男性二人が、学長の発言を話題にして「どうやったらできるのか、その話を聞きたかったよ」と言っていた。
裏に、できっこないという思いを感じた。
できないなんてことはない、住民の中に時間的余裕のある人はいくらでもいる。条例を作ってボランティア活動を義務化するのも手だ。月に10時間以上地域のために働くことを市民に義務付けるのだ。罰則はいらない。できない人はしなくていいのだ。
そうだ思い出した。
昔子供の頃、冬行かなくなって荒れた山道を、雪が溶けた春先に「道普請」と称して村中総出で直しに行く行事があった。でも年寄りばかりで人足を出せない家がある。そのことはだれも知ってる。それは仕方がないこと。暗黙の了解だ。こういったゆるゆるのやり方でいいのだ。
ゆるゆるのやり方でいいが強力なリーダーシップが必要。
それをだれがやるかだ。
社会館館長の講演では、地域の小学校の校長先生だった方がリーダーシップを取られたという。確かにそういう方なら話も上手だろうし、みんな従うのではないかと納得したが、、。
国なら法律、自治体なら条例、会社なら規則。
この言葉から受ける印象は、「守らないと罰則がある」というもの。
65年も平和が続いた日本。
その間に、律儀な日本人は、いろんなルールをきめ細かく定めてきた。
山のようなルール。
それを作ってきた世代が卒業し、守らされてきた世代の時代になった。
これが今の日本の状況ではないだろうか。
これやっていいんですか?
規則は守らないといけないんじゃないですか?
やっていいかどうかは、自分で考えろ!
時代に合わない規則は変えろ!
規則を作ってきた人は、当たり前のようにそう言うだろう。
しかし、人生の初めから規則ずくめだった人には、規則ありきなのだろう。
さてどうするか。
一つ方法がある。
すべての規則に有効期限を設けるのだ。
例えば50年。
こうすると、期限が来たら見直さざるを得ない。
見直しをしない規則は廃止になる。
形骸化した規則などに縛られることはなくなるし、常に規則は時代に合わせて更新されることになる。
なにごとも仕組み(システム)が大切。
この言葉から受ける印象は、「守らないと罰則がある」というもの。
65年も平和が続いた日本。
その間に、律儀な日本人は、いろんなルールをきめ細かく定めてきた。
山のようなルール。
それを作ってきた世代が卒業し、守らされてきた世代の時代になった。
これが今の日本の状況ではないだろうか。
これやっていいんですか?
規則は守らないといけないんじゃないですか?
やっていいかどうかは、自分で考えろ!
時代に合わない規則は変えろ!
規則を作ってきた人は、当たり前のようにそう言うだろう。
しかし、人生の初めから規則ずくめだった人には、規則ありきなのだろう。
さてどうするか。
一つ方法がある。
すべての規則に有効期限を設けるのだ。
例えば50年。
こうすると、期限が来たら見直さざるを得ない。
見直しをしない規則は廃止になる。
形骸化した規則などに縛られることはなくなるし、常に規則は時代に合わせて更新されることになる。
なにごとも仕組み(システム)が大切。
米国でSEの地位が非常に高いということを知って、なぜなのか必死で考えた。
米国では、アメリカンドリームというように、能力のある者はどこまでもその才能を伸ばせ、収入も増やせる風土がある。しかし日本は横並びだ。みんなで幸せになろうというのが日本的考え方だ。
ソフトウェアの開発は非常に俗人的なところがあって、優秀なエンジニアが作ったシステムは他の人には手も足も出ないくらい優れている。しかもそのソフトがコンピュータという機械の力を借りて、何百人、何千人、何万人の人が使うわけだから、いくらその人にお金をかけても元は取れる。米国では、多分素直にそうしているのだろう。
日本は横並び主義だから、いくら能力があるからといって同期の何倍もの給料を払うことはしない。それを不満としてフリーになれば派遣で働くしかなく、能力を買い叩かれる。独立起業しても、日本ではそんなにうまくはいかなかった。
これが、SEの地位の日米差になっているのではないか。
日本でも、一握りの才能のある人を他のみんなで支えてビジネスをするというスタイルが定着すれば、米国以上になれると思う。日本人のチームワークは抜群だからだ。実は私の知っているだけでも、そういう会社がすでに日本には数社ある。
日本は、ソフトウェアの世界で、必ず世界が注目する国になる。
米国では、アメリカンドリームというように、能力のある者はどこまでもその才能を伸ばせ、収入も増やせる風土がある。しかし日本は横並びだ。みんなで幸せになろうというのが日本的考え方だ。
ソフトウェアの開発は非常に俗人的なところがあって、優秀なエンジニアが作ったシステムは他の人には手も足も出ないくらい優れている。しかもそのソフトがコンピュータという機械の力を借りて、何百人、何千人、何万人の人が使うわけだから、いくらその人にお金をかけても元は取れる。米国では、多分素直にそうしているのだろう。
日本は横並び主義だから、いくら能力があるからといって同期の何倍もの給料を払うことはしない。それを不満としてフリーになれば派遣で働くしかなく、能力を買い叩かれる。独立起業しても、日本ではそんなにうまくはいかなかった。
これが、SEの地位の日米差になっているのではないか。
日本でも、一握りの才能のある人を他のみんなで支えてビジネスをするというスタイルが定着すれば、米国以上になれると思う。日本人のチームワークは抜群だからだ。実は私の知っているだけでも、そういう会社がすでに日本には数社ある。
日本は、ソフトウェアの世界で、必ず世界が注目する国になる。
米国でのSEの地位は、とんでもなく高いようです。
12月に、情報産業経営者稲門会から講演を頼まれました。
このあたりのことを話したいと思います。
尊敬されるIT企業、SEになるためにはどうしたらいいか。
12月に、情報産業経営者稲門会から講演を頼まれました。
このあたりのことを話したいと思います。
尊敬されるIT企業、SEになるためにはどうしたらいいか。
地域の絆作りを支援してきた横須賀基督教社会館の岸川洋治館長の講演を聞きました。
場所は、家の近くの聖学院大学。
社会館では、地域とともに歩むという姿勢で、地域のコミュニティーセンターとして地域活動支援を続けてきたが、1968年(昭和43年)に、社会館バザーを町をあげて支援しようという活動が始まったという。
その活動が、今では「田浦町たすけあい会」に発展しているという。
民生委員、児童委員、青少年団体代表、自治会長・役員、保護司、老人クラブ代表など、地域内の福祉関係者を総動員し、お互いの活動を統合化し、町ぐるみの地域福祉活動を展開することになったという。
こんなことが実現できている地域があるなんてビックリです。
我々の絆プロジェクトも、こういった活動をITで支える仕組み作りでお手伝いしたいです。
場所は、家の近くの聖学院大学。
社会館では、地域とともに歩むという姿勢で、地域のコミュニティーセンターとして地域活動支援を続けてきたが、1968年(昭和43年)に、社会館バザーを町をあげて支援しようという活動が始まったという。
その活動が、今では「田浦町たすけあい会」に発展しているという。
民生委員、児童委員、青少年団体代表、自治会長・役員、保護司、老人クラブ代表など、地域内の福祉関係者を総動員し、お互いの活動を統合化し、町ぐるみの地域福祉活動を展開することになったという。
こんなことが実現できている地域があるなんてビックリです。
我々の絆プロジェクトも、こういった活動をITで支える仕組み作りでお手伝いしたいです。
私のCACでの最初の本格的な仕事が、住友信託銀行のオンラインシステム終了後のマスター更新システムの設計でした。
そのとき営業を担当してくださったのが太田さん。
当時住友信託の事務センターは外苑前にあり、私はそこに1年半ほど詰めてました。
太田さんは時々来られて、夜お酒を飲んだりしたものです。
本当にお久しぶりです。
そのとき営業を担当してくださったのが太田さん。
当時住友信託の事務センターは外苑前にあり、私はそこに1年半ほど詰めてました。
太田さんは時々来られて、夜お酒を飲んだりしたものです。
本当にお久しぶりです。
USP研究所のユニケージ開発手法と、リッチクライアントBiz/Browserを連携させることができる。
まずはこちらをどうぞ。
ユニケージ開発のセミナーに出られたという方の明解な記事がありました。
これは素晴らしいです。
まずはこちらをどうぞ。
ユニケージ開発のセミナーに出られたという方の明解な記事がありました。
これは素晴らしいです。