片貝孝夫の IT最前線 (Biz/Browserの普及をめざして)

Biz/Browserの黎明期からかかわって来ました。Bizを通じて日常を語ります。

他責

2007年02月28日 | 私の正論

やはり諏訪さんのお話。講演資料60ページのPPTの最初に出てくるのが、仕事がうまくいかない理由の列挙だ。


1.社内体制が整備されていない。
2.技術力が無い。
3.教育カリキュラムが無い。
4.経験者が少ない。
5.人数が少ない。
6.定着率が悪い。
7.役割分担があいまい。
8.ミッションがしっかり定義できていない。
9.お客様が基本的なことが分かっていない。
10.社内のコミュニケーションが悪い。
11.社内でお客様の不評を買う問題が起こっている。
12.お客様の協力が得られない。
13.当たり前のことができない社員がいる。
14.フリーダイアルがつながりにくい。
15.社風が悪い。

これらは、自分のことてはなくて、責任は他にあるという主張。うまくいかないのは他に責任がある。自分ではないという主張。こんな後ろ向きな発言が一切なくなるための活動が、残りの59ページに書かれている。仕事が自分以外のせいでうまくいかないと言うのは、悲しい話だ。できない理由はいくらでも探せる。その時点で思考停止に陥る。


わが身を振り返って、うまくいかない理由を他に求めるような発言は厳に慎みたいと思った。そういった問題があれば、自分の課題として解決するのだ。杉浦さんのように。



杉浦さんから、Biz/Browserのサポートについてのお褒めの言葉

2007年02月28日 | Biz/Browser

> さて、Bizで懸案だった3層のカスケードメニュ-ですが、
> 開発者より、できたとの連絡がありました。アクシスの
> サポートはレスポンスと的確性において頼りになるとの
> ことでした。ありがとうございました。
> 私の画面レイアウト、操作性、遷移の要求が面倒なので
> 開発者も戸惑っているようですが、Bizのお陰でなんとか
> なっているようです。


杉浦さんは、画面のユーザインターフェイスに対して、異常と思えるほど(失礼!)こだわりを持たれている方です。以前、宮崎の、日本で屈指の大規模眼科病院の予約システムを作るとき、どうしても自分の要求に応えられないということで、Biz/Browserを採用していただけなかった経緯があります。そのときは天才プログラマーに予約画面を作らせたとのことです。でも今回はBiz/Browserのバージョンも上がって、ようやくお眼鏡に適いました。


自画自賛のようで、ちょっと気恥ずかしいですが、Biz/Browserのサポート部隊の対応は、見事なものです。やりとりを見ていると、シビアな開発現場からの必死の質問に対して、冷静に的確にすばやく回答しています。技術的だけではなく、会社としての判断を必要とするような場面でも、だいたい24時間以内には回答しているように見受けられます。これは、エスカレーション体制がしっかりしている証拠です。


ES(従業員満足度)について、ITコンサルタントの友人からコメントをいただきました

2007年02月28日 | 私の正論

> さて、本日のブログですが、ESという私が最も
> 大切にしてきたことが書かれていました。
> 3年ほど前に医療関係の雑誌に私が寄稿したものが
> ありますが、その中にその旨の記述があります。
> 抜粋したものを以下に。
> ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
> 待ち時間を減らす取り組みは、眼科に限らずどの
> 病院でもチャレンジしている旧くて新しい問題である。
> しかし、具体的で継続的な効果をあげている例は
> 少ないのが実状といえる。当院では待ち時間削減策
> を考える前に、職員満足度の向上に取り組んだ。
> 職員 の負担・ストレス軽減→職員満足度向上→
> 患者様に優しく接する精神的、時間的余裕ができる
> →患者満足度向上、という連鎖を期待したからである。
> この中に待ち時間の減少は入っていない。
> 結果としてそうなることは期待できるが、それが目的
> ではないからである。確かに待ち時間の減少は大きな
> 目標だが、患者満足度を構成する一つの要素でしか
> なく、仮に待ち時間が減っても、ストレスが溜まり、疲れ
> た職員が対応していては 患者満足度の向上は期待
> できない。職員の負担を減らし、ストレスを溜めない
> 環境の整備には何があるか。休憩室をより居心地の
> いいものに改善するなどという物理的な施策はすぐに
> 思いつくが、時間の経過と共に効果が薄れることは
> 自明である。当院では業務を分析し、現場を観察し、
> それに基き、重複作業や無理・無駄を省いていった。
> 次に、残った作業の中から職員に負荷やストレスを
> かける要因を見つけ、それをITや標準化でカバー
> できる部分、負荷はかかるものの人間にしかできない
> 部分に分けた。前者についてIT化を図り、それと並行し
> て、臨機応変という耳障りの良い言葉で処理されていた
> あいまいな部分を明確にし、標準化を図った。
> その結果、職員の負荷とストレスは軽減され、本質的
> な業務に時間と気持ちを使うことができるようになり、
> 待ち時間の減少も含め、患者満足度を向上させること
> ができた。患者満足度が向上したことは、職員が聞く
> 患者様の評判、1ヶ月当たりのクレームが数十件あっ
> たものが、数件に減少したことを根拠としている。
> ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
> 以上です。
>                    =杉浦=


CSを高めるためにはESを重視

2007年02月27日 | 私の正論
今日、BPIAの研究会で諏訪さんのお話を伺った。そこでのPPTの一枚。

お客様満足は、従業員満足を土台にして築かれる。
―従業員が仕事にやりがいを感じている。
―従業員が実力を発揮できる環境が用意されている。
―会社や上司に大切にされている従業員はお客様を大切にする。

従業員満足度を超える顧客満足度は存在しない。
―お客様からのおほめの言葉が従業員に伝わっている。
―人材育成、妥当な評価と報酬、適切なコミュニケーションが大事である。



時代が人を作る

2007年02月27日 | 寺垣武語録
昨日、検索エンジンからこのブログに入ってきた人の半数が「物質波スピーカー」や「寺垣武」「MINEHAHA」というキーワードで検索をかけている。寺垣さんは、プレーヤーやスピーカーのこと以外にも、とても本質的なことをさらっとおっしゃる。寺垣語録を少しずつ書いてみる。

寺垣さんの青春時代は戦争だ。「私の考えは、常に全体主義的なのです」という。お国ためという、大いなる目線で物事を考えるという。それは決して偉そうに言ってるのではなく、その時代に生まれた人は、そう考える癖がついてしまっているのだという。自分より前の人たちは大正ロマンの時代に青春だったから、音楽や詩や俳句など、個人的なことに興味を持つ人が多いという。そういえば私の父は92になるが、俳句が生涯の友だ。時代が人を作る。昭和21年生まれの我々の時代はなんだろうか?貧しい食べ物ではあったが、ひもじい思いはしていない。常に未来はばら色だった、すべてが毎年良くなっていった。行け行けドンドンという青春時代だった。「なせばなる」時代か?
寺垣さんは、浜松で飛行機の整備士として特攻を見送った。その話になると声を詰まらせる。ほんとうに辛い思い出なのだとこちらも身につまされる。彼らのためにも日本を良い国にしなければならないと、心に決めている。ミネハハさんを支援しているのもその現われのような気がする。彼女の声をできるだけ忠実に再現するスピーカーを作り、多くの人々に「優しさ」を届けたいと。

アンコール遺跡を微生物で守る

2007年02月26日 | 22世紀を目指して

朝の新聞から。


トイレ不足に悩むカンボジアの世界遺産・アンコール遺跡のトイレに、日本からバイオトイレが送られるという。バイオトイレは東陽鋼業が開発したもので一日の処理能力は400人分。杉チップに含まれるバクテリアの働きで、し尿を水と窒素ガスに分解し、出た水を洗浄用に再利用する自己完結型でにおいもないという。送るのは環境NPO法人グランドワーク三島


私も満田さんからいただいたえひめAI(源流きらり)を畑に設置したコンポストの中の生ごみにかけたところ、冬なのに生ごみが分解されて、すっかり下に沈んでいる。


 


諏訪良武氏の講演を聞きませんか

2007年02月26日 | 感動したこと

あさって27日にBPIAの第2回Web2.0環境のビジネスモデル研究会で、諏訪さんに登場していただきます。半年くらい前に、初めて講演を聴いたのですが、とても感動しました。オムロンフィールドエンジニアリングという、地味でモチベーションを保つのが難しい職種で、なおかつ将来性が見えにくい会社を、高収益で生き生きと働ける会社に、短期間で変えた立役者です。その具体的なやりかたが聞けます。とっておきの新しい話も聞ける可能性があります。

会員限定のセミナーですが、私も幹事をしています。非会員の方も1回は参加できますので、ぜひどうぞ。私に連絡して下さってもいいですし、事務局に申し込んでもいいです。数人は大丈夫だと思いますので。


外猫のび太としずかの関係が微妙

2007年02月25日 | 不思議なこと
最近、夜、しずかのねぐらにのび太が寝ている。しずかは追い出された格好。のび太は自分の夜風が当たらないねぐらがあって、平等にジッポのカイロを入れてもらっているのに、突然しずかのねぐらを占拠した。しずかはのび太のねぐらで寝るのではなく、以前使っていたねぐらで寝ているらしい。言って聞かせてもまったく従わないし、どうしたものか。

コメリの願い

2007年02月25日 | 感動したこと

農村型ホームセンター「コメリ」の捧健一社長が今朝のNHKの番組に出ていた。すぐインターネットで調べた。すると、コメリの心という文章に出合った。これは、まさにBiz/Browserを普及しようとしている我々にも、そのまま通じる願いだと思った。

それにしてもすごい。全国の長靴の12%はコメリが販売しているそうだ。自分は農家の出身だから農作業のことはよくわかるからほかのホームセンターには負けないとか。農機具などは社員が畑で使ってみてメーカーに製品改良を求めたりする。店のないところに出展して喜んでもらえるのがうれしいといか。出身が燕三条で金物の町だから、安くて地域密着型の農具を作ってもらい売ることができるとか。

とにかく温厚な顔立ちがなんともいえない。いい仕事をしている人の顔だ。よい製品を心を込めて作り、心を込めて売る。アクシスソフトの企業理念にも通じたものを感じて、うれしくなる。

 


伊藤年一さんとBiz/Browser for PDA

2007年02月24日 | Biz/Browser
彼と出会ったのは、1983年3月。私が、株式会社片貝システム研究所を立ち上げた時の最初の来訪者だった。場所は表参道ハイトリオの3階。アスキーが産声を上げたマンションの一室が空いていたので、アスキーから借りてスタートしたばかりだった。そこへ、伊藤さんは、社長の田中さんと現れた。米国製のカード型データベースソフトを日本で売りたいが市場性はあるだろうかという相談だった。田中さんは沖ユニバック出身、伊藤さんは山一証券からユニバックを経て、田中さんとAMRという会社を立ち上げたばかりだった。私が、「行けます」よと助言して、米国のソフトmicro-RIMがTIMSという名前で売り出され、一世を風靡した。
その後伊藤さんは田中さんと別れ、自分の会社を立ち上げた。開発者のためのミドルウェア的なユニークなソフトを次々と出し、知る人ぞ知る会社だった。その頃私は、自分の会社が立ち行かなくなり、シーエーシーに救済合併していただくなど、自分のことで精一杯の日々を過ごしていた。伊藤さんも90年代後半に力尽きて会社を閉じた。私はその後、紆余曲折の後1999年アクシスソフトに入社し、戦略情報室長としてBiz/Browserを世に出すことを提案し、実践してきた。
その頃伊藤さんが尋ねてきた。Biz/Browserを見るなり、すぐ理解していただいた。過去に開発ツールを作っていたからだ。そして、伊藤さんは、私が心血を注いでいるBiz/Browserのパートナーとして、再び会社を起こすことになった。
一方、アクシスソフトでは、パソコン版のBiz/Browserの販売に苦労していた。今とは違ってHTML全盛で、大企業に行くと、基盤構築の部隊に阻まれて迷惑がられることが多かった。そこで、WindowsCEに移植して、営業支援や、倉庫業務などで使うところから入ることを考えた。この話に日立が乗ってくれた。そして伊藤さんの会社で移植を引き受けてくれた。アクシスではパソコン版の機能追加で手一杯だったからだ。
伊藤さんは、越純一郎さんの紹介でカシオにも話をつけてくれて、日立のPDAとカシオのPDAの両方に載せることにした。伊藤さんはその後サイオン社も紹介してくれた。
しかし、ビジネスは簡単には行かなかった。新しいことは、何でも自分の思った3倍かかるという持論どおりの展開だ。自分たちは当事者だからわかっても、周囲はまだついてこれない。その間に日立やカシオで全面協力してくださった方々も、異動などで、売れないBiz/Browser for PDAから離れていった。
しかし歳月は流れ、Windows Mobile 5.0 が出て、それを搭載したWindowsケータイが出て、時代がようやくついてきた。するとPDA版も売れ出した。ほっと一息だ。
しかし、むりやり立ち上げたPDA版だったので、いろんな意味で満身創痍だった。多くの方に迷惑をかけた。今もかけている。しかし、行く手にはようやく光が見えてきた。ほっとするといろんなことを思い出す。伊藤さんには、ほんとうにお世話になりました。


何事にも絶対はない(今朝の新聞から)

2007年02月23日 | 私の正論
アメリカのある大学で、ウィキペディアを学生がテストやレポートに使うことを認めない措置を決めたという。学生がテストで同様の間違いをするので調べたところ、ウィキペディアに行き着いたという。ウィキペディアは多くの人の叡智を結集した辞典だが、正確性を担保できない。おおむね正しいだろうという範疇に留まる。
なんでもそうだが、完全なものはない。梅田望夫さんの本に感動するあまり、問題点に気がつかない自分の浅はかさを思い知らされた。新しいものは、一度は疑ってみないといけないとは思うのだが、、、。

寺垣さんの物質波スピーカーをオーディオ機器メーカーが製造するそうです

2007年02月22日 | Weblog
寺垣さん、ミネハハスピーカーを自作していましたが、とても追いつかないということで、量産できるように設計しなおしているそうです。今度お会いしたとき、どこからいつ発売になるか聞いてきます。
ところで、波動スピーカーという言い方はやめたそうです。どうもSFっぽくなってしまってよくないということで、ある大学教授が、分子レベルの伝達なので、物質波といったらどうかということで、そう呼ぶことにしたとのことです。