片貝孝夫の IT最前線 (Biz/Browserの普及をめざして)

Biz/Browserの黎明期からかかわって来ました。Bizを通じて日常を語ります。

連休は蓼科にいます

2006年04月30日 | Biz/Browser
チェロを担いで友人の蓼科山荘にきました。
長期滞在型別荘を目指して建てた山荘で、設備は至れり尽くせりです。
主は弘前に花見に行っているとかで、テーブルにワインが置いてあり、
まずは、このワインで疲れを癒してくださいとありました。
東急リゾートの中にあり、近くに鹿山の湯という温泉やレストランもあるので、
一人でも困りません。
しばらくチェロの練習ができなかったので、一気に取り戻そうと思っています。
写真は、朝の光を浴びてベランダで一休み。

本場のゴーヤの苗を植えた

2006年04月29日 | 日曜百姓

家庭菜園で毎年ゴーヤを栽培しているが、どうもちっこいのしかできない。


中島さんのところでは、ひとつの苗から100本も収穫できるという。中島家は宮古島と縁が深く、そこから苗を取り寄せているという。それを分けてもらう約束で、今日横浜のご自宅まで取りに行った。息子の啓吾さんが準備してくれていて、苗4本を分けてもらい、取って返して、近所に借りている家庭菜園に植えた。


さあ、今年はどうなるか。


 


性善説を保つためのコンプライアンス

2006年04月27日 | Biz/Browser
昨日BPIA主催の日本版SOX法のセミナーがあった。
この手のセミナーはたくさんあるが、内容が充実していて非常に参考になった。
BPIAの会員になると講演資料がもらえるという。

最初、日本HPの鈴木常務のお話があった。そこでタイトルの印象的なことばがあった。「欧米は性悪説で日本は性善説と言われるが、欧米は性善説ですよ、日本よりももっと性善説かもしれない」という言葉だった。
欧米は、キリスト教文化なので、基本的に善悪の意識は個人個人強いのだと思う。しかし、その意識に任せるのではなく、業務プロセスを標準化し、その通りに実施されているか監視し統制し、更に最適化されるような環境を整えるのだという。
キーワード:
IT投資の20%はコンプライアンス
プロセスの標準化
変化できるITインフラに投資する
投資は100万円でもCIO自らが決済する

オラクルの話もあった。以前は全世界で30もの給与計算システムがあったが、今では一つしかない。そこまで業務プロセスを統一してきたので、米国から来る内部監査人は非常に楽だという。どの国に行っても、まったく同じ仕事に仕方なので、監査が楽だという。

私の頭は混乱している。というより整理しないといけないと思っている。
コンプライアンスのために業務プロセスを標準化する。言葉としてはいい。しかしそのために、業務用画面の使い勝手を犠牲にしてもよいことにはならない。それは、究極の目標である「経営効率の改善」にならないと思われるからだ。

ガバナンス、コンプライアンス、エクスペリエンス、これらの調和を図らねばならない。

XMLデータベースとBiz/Browserはよく似合う

2006年04月26日 | Biz/Browser

XMLデータベースのNeoCoreとBiz/Browserが手をつないだ。

コールセンターのシステムを実現した。

XMLデータベースはRDBやそれ以前のDBのように、データベース設計をきちんとしなくてもよい。運用が始まってから項目追加も容易にできる。一方Biz/Designerも開発修正が容易だ。この二つの製品の特徴を生かしたシステムのひとつがコールセンターシステムだ。

開発したのはニーズエージェンシー。今後の展開が楽しみだ。

 

 


日本  人・脈・記 (朝日新聞)を読んで

2006年04月26日 | 私の正論
朝日新聞24日25日の夕刊に、西、古川、成毛3氏の話がでている。
お互い22歳ので出会った西とビルゲイツ。1978年。西はマイコン雑誌「アスキー」を創刊しており、ゲイツの作ったBASICが動くマイコンを日本の電機メーカに作らせようと約束した。
その8年後の86年、「アスキーはマイクロソフトのことだけをやれ」というビルの要求を蹴り、西とビルはたもとを分かった。
アスキーでマイクロソフト事業部を担当していた、古川と成毛は、ビルに請われてマイクロソフト日本法人を立ち上げた。二人はまったく違った性格。夢見る古川と超現実的な成毛。結局成毛が社長になる。。。。。と、まあこういった物語。

私は、アスキーの創業直後から彼らと知り合い、83年からアスキーの社内システム構築の雇われCIO的な役割をしていた。私の席は南青山ビルの3階にあり、同じフロアに古川さんも成毛さんもいた。100メートルほど下った大仁堂ビルには、西さん、塚本さんがいた。塚本は出版局長で、現在インプレスの社長。

私の見るアスキーは、ちょっと違っている。

アスキーの創業社長は郡司明郎だった。そもそもの始まりは、郡司さんの家のアパートに早稲田の学生だった西さんが下宿していたことから始まる。郡司さんは私のシーエーシー時代の同僚。一緒に仕事をしていた仲だ。彼は寡黙で物事をじっくり考えるタイプ。派手なことは大嫌い。マスコミには絶対と言っていいほど登場しない。
アスキーには郡司さんが必要だった。西、古川、塚本といった血気はやる若者のたずなを握って、父親のように、時には母親のように経営の舵を取ってきたのが郡司さん。西さんが社長になった事件のいきさつを知って、これでアスキーはだめだな、と私は思った。

郡司さんは元気だ、ここ何年か焼き物に凝っている。
私の家には郡司さんに頼んで作ってもらったぐい飲み、花瓶、茶器がある。
妻が時々郡司さんにおねだりして作ってもらっている。また何か難題を突きつけているらしい。

毎日愛で使っている作品の写真を添付した。

呑気亭にて

2006年04月25日 | Biz/Browser
Biz/Browserを世に出すための最大の恩人である、東京海上日動の田中さんと飲んだ。
同席したのはアクシスソフト社長の永井さんと、アスリックス社の面々。
田中さんは技術者としての直感でBiz/Browserの素性の良さを感じていただいた。しかし、間違っていたらいけないと思って、部下5人をアクシスソフトに派遣し、徹底的に質問させた。
その結果、これは行けるとの結論を得て、導入に踏み切ってくださった。2001年9月のことだ。それから1年有余、代理店システムは完成し、数万の代理店へ全国展開された。
すべてはここから始まった。
なぜアスリックス社の方々と一緒だったかというと、Biz/Broserをこよなく愛してくださっている一社であり、伝説の田中さんに会いたいと、常々言われていたので、実現した。

思いは必ず通じる。これは本当のことです。


畑を耕す

2006年04月23日 | 日曜百姓
91歳の親父は腰が曲がってしまって、もう耕運機は扱えない。

代わりにやることにした。実は初めての体験。
エンジンをかけてそろそろ畑に乗り込む。
最初おたおたしたが、10分くらいすると慣れてきた。
朝9時から午後1時まで、4時間かかったが、家の裏の畑を耕した。
5月の連休明け、霜が降りなくなったら野菜の種を蒔いたり苗を植えたりする。

父は、同級生のみならず、何歳か年下の人たちまで、周囲はみんな死んでしまって、自分一人だと、何度も嘆く。
私は長男だったが、将来が見えない農業を嫌って東京へ出てしまった。
毎年目に見えて老いてゆく父に月一回は付き合って行こう。

自分のためにのみ生きてきたが、これからは社会のために生きることの比重を高めようと思う。

写真は、私が耕した畑と耕運機・まめトラ「牛若」



私の田舎は今桜時

2006年04月23日 | 私の正論
親父が91歳になった。
群馬の山奥に住んでいる。私は、高崎線と吾妻線を乗り継いで、毎月1回行くようにしている。4月22日電車ででかけた。
背戸の川べりの桜が満開だ。

そういえば、小学校一年のとき、国語の教科書の最初が、さいたさいたさくらがさいた、だった。満開の桜の下の入学式の風景。子供心に不信感を持った。学校に桜の木は30本くらいあるが、桜は咲いていない、まだまだつぼみ。まだまだだ。
後になって分かった。東京近辺だけは4月に桜が咲く。教科書を作っているのは東京近辺に住んでいる人たちだ。
私は小学校に入学したときから、物の見方を勉強してしまった気がする。物の見方は人それぞれだと。他人の立場で考えることは一番大事だと。

現実には自己中で反省ばかりだが。ほんとの話。


SOMPOMATE同窓会

2006年04月22日 | 私の正論
27年前に夢を共にした仲間が集まった。
SOMPOMATE(ソンポメイト)同窓会だ。SOMPOMATEは旧安田火災の損害保険代理店システムの愛称。

パソコンがまだマイコンといわれていた時代に、損害保険の代理店向システムを開発した。その年は、代理店システム元年と言われた。しかし今から考えるとあまりにも早すぎた。
集まったのは、安田火災で代理店システムを担当していた営業サービス課の面々と、開発元のシーエーシーから私と青木さん。
すでに、平均年齢60歳くらい。
こうやって集まれる幸せを感じる。
場所は所沢、あっという間の2時間半だった。

システムは心を込めて作らねばならない、これが今日の結論。

元JIP(日本電子計算)の星野さんのこと

2006年04月21日 | Biz/Browser
夕べ星野さんと飲んだ。
星野さんとの出会いは、20年ほど前。
ソニーのNEWSというUNIXマシンをJIPが代理店として販売しており、星野さんは営業部長だった。NEWSは300万円台で買える、当時としては激安の夢のUNIXマシン。そこにinformixが乗った。NEWSを作ったのは土井さんの率いる事業部。土井さんはAIBOを作った人でも知られるし、天外伺朗さんと同一人物。魅力的な人だ。その土井さんを紹介してくれたのは星野さん。
星野さんはハワイアンのプロらしい。
星野さんはブロードバンド研究会の事務局長でもある。私もそのメンバー。そこで寺垣武さんを紹介された。その後私は寺垣さんのお宅に何度もお邪魔することになる。

寺垣さんは物つくりの神様。「人の幸せに向かっていない技術は存在の意味がない。」

私は、Biz/Browserの開発者達を寺垣さんに紹介し、寺垣さんの講演を聞かせた。

みんな星野さんのおかげ。
星野さんありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。




ビルゲイツの思い出

2006年04月20日 | Biz/Browser
「月間アスキー」の創刊五周年記念パーティーでのこと。

ポケットに手を突っ込んだまま挨拶する子供のようなビルゲイツ。

「ママは僕がなにをしているのか理解できないんだ。僕はママが理解できる仕事をしたい。」

ここにマイクロソフトの原点があると思う。
だれでも使えるコンピュータを目指すマイクロソフト。
コンシューマ市場に強いマイクロソフト、逆に言えばエンタープライズでは勝ちきれないマイクロソフトではないだろうか。

ちなみにこのとき名刺交換したのに、失くしてしまった!残念。

古川享さんとBiz/Browser

2006年04月19日 | Biz/Browser

ふと思い出した。

2001年1月25日、マイクロソフトの古川さんに会いに行った。

Biz/Browserを世に出すにあたり、マイクロソフトの動きが気になったからだ。マイクロソフトは、それまで一世を風靡していたNetscapeを一蹴した経緯があるからだ。

古川さんにBiz/Browser上で動く交通費精算のデモを見せた。

「これはいいよ、片貝さん!頑張って欲しい」、第一声だった。彼は、彼がまだアスキーの社員でマイクロソフト事業部長をしていたとき、米国からRPG(言語の)のソースを持ってきてパソコンに移植しようとした。しかし日本の会社でやってくれるところがなく、韓国の会社に移植をお願いしたことがある。パソコンを仕事で使える道具にするという強い意識が、当時からあったのだと力強く語ってくれた。また、前月の12月にようやくシアトルから日本に帰ったが、空港のカウンターでえらく待たされた、画面を覗くとIE上で動いているHTMLのアプリケーションで、画面の反応が遅く、また操作もしにくそうだったと付け加えてくれた。さらに、マイクロソフトが業務用のブラウザに興味を示すことは当分ないと思うよと言ってくれた。

これで決まった。

 


スーパー秘書・優子

2006年04月18日 | 私の正論
昔、informixのアプリケーションとして、グループウェアを作った。
その名は、スーパー秘書・優子。社員一人ひとりにとっての秘書というつもりで命名した。名前については、いろいろ取りざたされたが、それは秘密。1987年くらいだったと思う。今ではgooの中の有料サービスのグループウェアに発展している。
優子にはメールは取り込まなかった。メールは、すでに存在していたからだ。それを使えばいいと思った。メールはグループウェアの原点。根本。しかしそれは取り込まなかった。
その結果、現在のメールは、結局メールでしかない。メールとグループウェアは別物だ。しかしほんとうは違う。メールはすべての出発点。メールを原点としてすべてを組み立てなおす必要がある。

Biz/Browserの特徴は開発生産性

2006年04月18日 | Biz/Browser
Biz/Browserと言っているが、これはCRS言語のインタープリターのこと。
実際の開発はBiz/Designerで行う。
このBiz/Designerがすぐれものと言われている。
今は中野に移ったが、その前、新大久保の小さな飲み屋に火曜日の夕方からエンジニアが三々五々と集まり、飲み会が始まる。みなBiz/Browser大好きな連中。Javaの仕事が来ても断ってしまうという。
そこにBiz/Designerの開発者が招待されたことがある。
あまり飲めない彼が、使ってくれているエンジニアの喜びの顔を見て、すっかりうれしくなって大いに飲んだという。
同席したかった。
ところで、CRS言語はテキスト形式なので、たとえばVBから変換できる。
VBコンバータを作ったエム・アール・オーという会社もある。
会社のHPの商品情報をクリックし、「Office Staff for Web_コンバージョンサービス(Visual Basic)」という場所に詳細がある。