1966年、現存する会社では日本で最初のソフトウェア制作の専門会社が誕生した。
その名は株式会社コンピュータアプリケーションズ(現CAC)。
それまでコンピュータメーカの資本の入ったソフトウェア会社はあったが、メーカから独立の、ユーザ指向の会社は無かった。
設立の志は、ユーザの為のソフト開発に徹すること。メーカからは一切仕事はもらわない。ユーザから直接仕事を受ける、だった。
私が電機メーカの情報システム部門からこの会社に途中入社したのが1970年、創立から4年目だった。
私はNECのコンピュータで育ったが、当時のCACのユーザは、みなIBMユーザだった。
なぜかというと、コンピュータの価値はほとんどハードウェアの価値で、ソフト開発はハードを売るための添え物として扱われていたため、国産メーカはSEをハードに付けて無償で1,2年提供するようなことをしていたのである。
IBMだけがソフトウェアのアンバンドリングを打ち出し、ソフトウエアには価値があると主張し、ソフト開発に高額な見積もりを出していた。
そのため必然的にCACの顧客はIBMユーザという流れになった。
私が直接担当した顧客は、東京ガス、住友信託、三井銀行(当時)、日本興業銀行(当時)、旭硝子、丸井、安田火災(当時)。
このような名だたる会社の仕事を直接受けてやっていた。
CAC設立以来、後続の独立系ソフトウェアハウスが次々と誕生した。
当時はコンピュータメーカごとにOSも言語もDBもあり、システム開発にはそのメーカの技術さえ知っていれば何の問題もなかったので、技術を一通り習得したSEは、対象業務の理解と設計にほとんどの時間を費やすことができた。ある意味、今から思えば何とも素晴らしい時代だったことか。
それが崩れたのが1979年NECの歴史に残るパソコンPC-8001が出てからだ。
エンドユーザコンピューティングが始まってしまったのだ。
情報システム部門から見るとユーザの反乱とも見えた。
それからホストコンピュータ全盛時代は終わりを告げ、戦国時代に入り、オープンシステムからインターネットの時代を迎え、これからはクラウドコンピューティング。
それに連れて、ソフトウェア会社も様々に多様化していった。
実に面白い!!!
思えば来年はCAC創立50周年。
ソフトウェアの時代の半世紀が過ぎた。