片貝孝夫の IT最前線 (Biz/Browserの普及をめざして)

Biz/Browserの黎明期からかかわって来ました。Bizを通じて日常を語ります。

バッハを聴き、ビールケースの椅子で魚を焼き、美酒を飲み、今年を送る

2008年12月26日 | こころ
毎年25日は、上野の奏樂堂で、N響メンバーによるバッハ「ブランデンブルグ競協奏曲」の全曲が演奏されるのだという。
友人の斎藤さんと、来年3月定年の弟さん、今月定年の義理の弟さん、そして私の4人で聴きに行った。
奏樂堂に入る第一歩から、おごそかな気分になる。
二階にある音楽ホールは、かつて滝廉太郎がピアノを弾き、山田耕筰が歌曲を歌い、三浦環が日本人による初のオペラ公演でデビューを飾った由緒ある舞台。
階段教室のようになっていて、演奏家を下に見下ろす。
私は、ブランデンブルグ協奏曲を全曲続けて聴いたのは多分初めて、もちろん生も初めて。
歴史のある空間、400人ほど入れるホールを満席にして静かに待つ老若男女。
これだけでもわくわくする。演奏はそれぞれの演奏家に息がぴたり合って、聴衆の波長ともぴったり合って、珠玉の時空を作り出す。
おもしろかったのはチェロの木越さん。チェロを立って弾くのだ。本人は「紐から解き放たれた犬」と表現しているようだが、なんとも楽しそう。そういえばN響アワーで見かける髪の毛を後ろで縛っている人だ。演奏しながらチェロを左手で前に突き出す人だ。
最後がブランデンブルグ第5番。2楽章が始まる。フルート、バイオリン、チェロ、チェンバロだ。これは11月に蓼科でやった曲。音が柔らかい、私の弾き方とはまるで違う。そうか、こう弾くのか。CDで聴いて分かりそうなものだが、今はっきりわかった。
ということで、終わって興奮した顔を夜風で覚ましながら、ガード下を御徒町方面へ。お目当てのビニールシートで囲われた喧騒な店に入る。炭火の鉢をテーブルに置き、魚を注文して焼きながら食す。ビールと日本酒。

とんでもない一年だったが、来年もがんばろうと心に誓う。

宋 文州さんのメルマがに100年ぶりの希望とあった

2008年12月26日 | 感動したこと
宋 文州さんのメルマガに、来年は100年ぶりの希望とありました。
一分転載させていただきます。

-------------------ここから
世の中がもっと悪くなるとの予想が多い中、私は今年の新年ほど希望が持てる
新年はないと思います。なぜならばそもそも希望とは悪いことが多い時に使う
言葉だからです。これほどの悪い年が100年ぶりであれば、新年への希望も100
年ぶりのものになるのです。

文化大革命は私の家族にとって不況の何倍も勝る不幸でした。私の母がいつも
「この暗いトンネルに出口はない」と喘ぎましたが、父は必ず「出口は必ずあ
る。目の前にないと見えないだけ」と言いました。

そうなのです。我々は出口が見えるまで出口がないと思ってしまいます。失わ
れた10年のようにこれから世界が10年を失うと考える人が居るかもしれません。
しかし、そう予想する人は昨年の今、一年先のことも予想できなかったのです
から。

私の予想も外れました。私も今後の予想に自信が持てません。しかし、私には
確かなものがあります。それは新年への希望です。新年は確実に昨年を過去に
してくれます。新年は確実に予想ができないほど変わります。悪い方向にでは
なく良い方向に。

皆様に心をこめて、「どうぞよいお年を」

--------------------------ここまで

余裕がある人は困っている友人を助けましょう。