ゆるゆるらいふ

とりあえず、今日も一日機嫌よく・・・

ラストステージ ~日本フィルハーモニー定期演奏会~

2015年03月22日 | コンサート

日本フィルハーモニー交響楽団のヴィオラ奏者である、後藤悠仁氏は
この日の演奏会が、サントリーホールでのラストステージになるという。

あまりクラシックには詳しくない私ではあるが、小、中、高の同級生である彼の活躍を楽しみにしてきた。

リサイタルなどは友人と行くことがほとんどだけれど、
この日は母と妹たちと一緒に出かけて行く。

というのは、この日、彼のお母さまも上京するというので、母もぜひお会いしたいと言うし、
私や妹たちも、何かとお世話になっていたので、ぜひともご挨拶をしたかったから。

この日の演奏会は14時からだが、彼の奥様がランチをセッティングしてくださった

彼のご家族、いつもリサイタルには一緒に行く同級生二人と、そのうちの一人のお嬢さんたち、
そして私達家族、総勢12名。

サントリーホールの真向かいにあるカジュアルなレストランでずらっとテーブルを囲む。

和気あいあいとした穏やかな雰囲気でいただくランチは格別だ。

とりわけ、彼のお母さまと私の母は、私たちが街を離れた30年ほど前にタイムスリップしたかのごとく、
まるで女子高生のように華やいでいる。
なんだか、とても幸せな景色だ

当事者の彼は演奏会の準備のため中座し、残った私たちはけっこうギリギリまでお茶まで飲んでおしゃべりし続ける。


この日のコンサートのプログラムは、というと



これです

そして・・・、ごめんなさい、今回もよくわかりません。

この前夜の同じコンサートに、彼のリサイタルにも毎年行ってくれている、地元のクラシック好きの友人がすでに行っていて、
「圧巻でした」とメッセージをくれていた。

この「圧巻」って感じが、無知の私にもよくわかった

私達が座った2階左側の席からは、ステージの向かって右側で演奏する彼がよく見える。

これが最後なのか、と思うとなんだかとても もったいないというか・・・。

何度目かのカーテンコールの最後に、指揮者のラザレフ氏が
「そうそう、忘れてたけど、これ・・・」っていうように、後藤君に花束を渡す。
その、無造作な感じがとってもじ~んとくる。

ホールを出るとき、観客の女性二人が「さっき花束もらってた人、なにかしら?」と言っているのが聞こえ、
それはね、と説明したい衝動にかられる。

一緒に行ったみんなが、なんとなくその場を去りがたく、
彼の帰り支度が済むまでロビーで待って、みんなで溜池山王の駅までぶらぶらと歩いて行く。

これから彼は、日本フィルの理事となり、運営側にまわるのだという。

これまでもやっていた個人としてのさまざまな音楽活動は続けて行くということだ。

で、今年のリサイタルは11月30日

今までとはちょっと違った彼の新しい未来を、友人一同、心から応援したい。

長い間、お疲れ様でした。
これからも、がんばってくださいね


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3月20日に想うこと

2015年03月22日 | 日記
20年前のこの日のことは、よく覚えている。

なぜなら、我が家もいつもの朝とは違っていたからだ。

あの痛ましい事件が起こった時刻に、いつもなら日比谷線を利用していたはずの夫が、
この日に限ってそうしなかった。

あの朝、私は珍しく風邪をひき熱を出した。
このとき、私は妊娠しており、風邪薬をもらうには産婦人科に行かなければならない。

そして、この日は2歳の長男も熱を出してしまった。
長男は私が行く総合病院とは別の小児科に行かなければならない。

この日の私のコンディションでは両方回るのはちょっと無理、と言うことで
夫は午前中、休みをとってくれていた。

私を総合病院で車から降ろし、夫は長男と小児科へ。
私が、診察を終えるころ、夫も長男の診察を終え、ふたたび総合病院に迎えに来てくれる。

このとき、すでに10時を回っていたが、テレビを見ていない私たちは、世の中の異変に気が付いていなかった。

病院の薬局の前で、薬を待っているときに、待合室の前のテレビの前が黒山の人だかりとなっていたが、
私は椅子に座って、ぼんやりとそれをながめていた。

「用事が済んだので午後から会社に行きます」
と会社に電話をしに行った夫が、神妙な面持ちで戻ってくる。

テレビみてないのか、と言われた、と言う。
今日は、地下鉄は無理だろうから、休んでいいと。

あわてて、二人でテレビを見に行く。
そして、はじめて、たくさんのパトカーや救急車が止まり、たくさんの人が右往左往している映像を見る。
けれど、テレビからの声は聞こえなくて、何が起こっているのかさっぱりわからない。

帰りの車のラジオと帰ってからのテレビ中継で、やっと大変なことが起こっていたことを知る。

もしも普通に出勤していたら、同じ電車ではなかったとしても、何らかの形で夫も巻き込まれていたに違いない。
きっと夫と連絡も取れず、不安な時間を過ごしたことだろう。

さまざまな偶然が重なって、命を落としてしまった方たちを思うと本当に胸が痛む。

あの事件から20年ということで、この日は朝からほとんどのテレビ番組がそれに関連するものだった。
もう、20年も過ぎたのに、まだ事件はきちんと解明されていないし、
信じられないことに、今でもあの恐ろしい教えを信じている人たちがいる。

あの事件の少し前におこった松本サリン事件でも、大切な命が奪われていた。

私達家族と同じように、その後の20年を当たり前に過ごすことが出来るはずだった人たちの毎日が、
身勝手な教義のもとに切り裂かれたことに、激しい憤りを感じる。

あの日、高熱で真っ赤な顔をして、ぐったりしていた長男は、この春から社会人になる。
お腹の中にいた次男は、今年20才になり、年が明ければ成人式を迎える。

なんでもないあたりまえの日常を、理不尽に突然切り取られてしまった方たちのご冥福を心からお祈りします。









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