「親の顔が見たい」
作 畑沢聖悟
演出 西川信廣
2024/5/16 日本橋公会堂
10年ほど前に受講していた
戯曲セミナーのお仲間が
diamond-Zというシニアの演劇ユニットを主宰している
年に1回公演があって、仲間と毎年観に行っている。
会場は前回に引き続き人形町または水天宮が最寄り駅の
日本橋公会堂
既成の脚本を吟味して見つけ出し、
演出や効果はプロにお願いしているので、
アマチュアとは思えないほど毎回見ごたえがある。
今回は中学生のいじめをテーマにしたちょっと重い内容。
なにせ、いじめを受けた女子中学生が自ら命を絶ってしまったのだから。
タイトルは
学校内の一つの部屋に集まっているのは
遺書で名指しされた女子生徒たちの保護者たち
両親や、祖父母、シングルマザー、とそれぞれに事情を抱えているらしい。
何で集められているのかわからない彼らがそれぞれに話している内容は、
かつて私がPTAの集まりで見聞きしたことがあるような内容ばかり。
マウントをとったり
家庭の収入で先入観を持って根拠のない憶測をしたり、
差別したり、
ああ、こういうこと言ってる人たちがいたっけ・・・
自分たちの娘たちが加害者だとわかってからの話ときたら、
いかにこのことを無かったことにするか、
自分たちのせいではなく貧困と家庭環境のせいにしよう、
遺書を燃やしたりして、それも無かったことにしよう、
とにかくうちの子は悪くないし
私たちの育て方は間違ってない、
に終始する。
途中、校長先生をはじめとする先生たちや
亡くなった女子生徒に関係する人たちが出入りして
会話の中から少しずつ凄惨ないじめの実態が明らかになってくる
一人、また一人と考えを変える保護者が現れる様子は
「12人の怒れる男たち」を思い出させる。
それぞれの抱える事情がじわじわ明らかになってくる様子もしかり。
アマチュアとは思えない迫力の演技で
ぐいぐい引き付けられる。
やがてそれぞれが自分たちの子供や孫が待つ部屋に向かうのだけれど
親たちは我が子になんて伝えるのだろう・・・という含みを持たせる
我が家の場合はどちらかというと被害者になることが多かった。
けれど、ありがたいことに、味方になってくれる友達は必ずいてくれて、孤立することは無かったので、なんとかやってこれたと思う。
日本では被害者が学校に行かない、という選択をし身を守り、いじめられた子のカウンセリングをすることが多いけれど、
海外ではいじめをする方の子をカウンセリングすると聞いた。
いじめをしなければ自分を保てないほどの何を抱えているのか、に向き合うらしい。
そもそも「いじめ」という呼び方がおかしいと思う。
だって、これはもう犯罪なのだから。
物を勝手に持ち出せば窃盗だし
暴力をふるえば障害だし、
お金をせびれば恐喝だ。
「いじめ」なんて言うからちょっとした悪ふざけみたいに罪の意識を感じずに終わってしまう。
学校の中だろうが外の社会だろうがダメなものはダメなのだ。
と、自分の子供たちが学校を卒業してずいぶん経つけれど、
久しぶりにそのころのことをもう一度考えさせられた。
とてもとても難しく、重いテーマだ。
今回の開場である日本橋公会堂は、
7月から令和8年まで改修工事に入るという。
このユニットの舞台を観たり、
落語を聞きにきたりするたびに、
人形町の美味しいものを食べることが出来るのも楽しみの一つだったが、
その機会が減るかと思うとちょっと残念。
今回はこの会場の真向かいにある洋食屋さんで早めの夕食をいただいた。
改修が終わって、また何かを観に来れる日を楽しみに待つことにしよう。