ゆるゆるらいふ

とりあえず、今日も一日機嫌よく・・・

コバケン・ワールド

2018年06月25日 | コンサート
何の予定も無かった日曜日、一人でサントリーホールへ出かけていく。

クラシック好きの友人が行けなくなったので日本フィルのコンサートチケットをいただいたからだ。

クラシックは何度聴いても未知の世界で、よく分からないが嫌いではない。

さっぱりわからないなりに癒されたりする。

この日の第一部はモーツァルトのピアノ協奏曲第20番

もちろんわかりません

けれどモーツァルトの曲は大体明るくて軽快なので、気持ちも軽くなる。

ソリストはピアニストの仲道郁代さん。

演奏が終わって何度めかのカーテンコールの後「マエストロのご希望なので」とアンコール曲の「子犬のワルツ」を演奏してくださった。

第二部はマーラーの交響曲1番「巨人」

この曲の演奏の前に、指揮者の小林研一郎さんの解説付き。

作曲家の個の曲への思いなど、音楽の授業観たいなことをお話になったり、ご自身がピアノで短いフレーズなど奏でながら「これが繰り返し出てきますので」なんて解説してくださる。

それを踏まえて聞いていると、「あ、でてきた」とか思ったりして、思いのほか楽しい。

アンコールはアイルランド民謡「ダニー・ボーイ」



聞いたことがある曲が流れるとホッとする。

ところで、1部と2部の間には20分の休憩時間がある。
そこそこ長い。

ロビーのカウンターでコーヒーを買って、くるっと振り向いたら、どこかで見たことがある人が目の前に立っている。

小泉元首相だ。

あまり近すぎて、びっくりして二度見してしまった

普通に4~5人の男女のグループでお茶しながら談笑している。
さすがの不思議なオーラを放っていた。

こんな時一人だと「ねえねえ、あそこに小泉さんが」などとビックリ感を共有できないのでつまらないなあ、などと思いながらコーヒーを飲み切った。

チケットをいただいたおかげで、思いがけず楽しい一日になった。

ありがとうございました
こういう突然は、いつでも受け付けます







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【観劇メモ】海越えの花たち

2018年06月24日 | 演劇

「海越えの花たち」
脚本 長田 育江
演出 木野 花
紀伊國屋ホール


「私たちの不幸は明日のことを考えられないことだ。」

日本の占領下の朝鮮半島に嫁いだ日本人妻の夫である朝鮮人がつぶやく。
第二次世界大戦が終わり、祖国を取り戻し平穏な日々が訪れるかと思った矢先に朝鮮戦争が始まった時のことだ。

終戦の日を境に、在韓日本人妻たちは、外国人妻となり、周囲の人たちは手のひらを反す。
日本に国籍が無く、朝鮮人の夫から離縁されれば婚姻の証拠もない。
半島からの引き上げはほぼ完了した、とされた中、取り残された女たちは理解ある朝鮮の人たちと「慶州ナザレ園」で肩を寄せ合って生きていく。

朝鮮戦争が終結し、半島は北と南に分断され、それでも生活が落ち着いてきて幸せが見えてきたと思ったら、今度は愛する人がベトナム戦争にお金のために出かけて行く。
いつもいつも自分の意志ではないことに振り回され続ける理不尽を受け入れながら、必死で生き抜いた女性たちがいたのだ。


長田さんの脚本は、いつも登場人物の心の内をみごとなまでに的確な言葉で表していて、心の奥に深く響く。

「ベトナム戦争反対」のシュプレヒコールで幕を開け、同じ場面で幕を閉じる演出も、最初と最後では同じ場面、同じセリフが全く違ったものに感じられる。

先週の「肉の海」に続き、今回も前から2番目という迫力満点の席で、表情の一つ一つまでよく見えて、苦しくなるほどだった。

戦後20年も彼女たちの存在に目を逸らしてきた政府が救済の手を差し伸べるが、目の前に生きている彼女たちを見てもなお、こともあろうに書類の不備を理由に連れ帰ることができない、と言う。

今、現実に生きている人間よりも書類が大事っていうのは昔も今もこの国はちっとも変わっていない。
いったいどこを向いているのだろう。


「なんで、もしも」と考えていたら生きていけない、と劇中女性の一人は言う。

ほんとにそのとおりだ。

誰のためなのかわからないような法案が次々と国会を通過していく。
今日までのたくさんの人たちの苦しみや悲しみの歴史を、あの人たちはあまりにも軽んじている。

あまりにも重いテーマにスパっと切り込んださすがの作品。
今目の前にある普通の生活に感謝しなくては。

ずしっと見ごたえがありました。
次回作も楽しみにしています。
















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肉の海

2018年06月19日 | 演劇
「肉の海」
脚本・演出 渡辺えり
原作「塔と重力」上田岳弘
本多劇場

強烈なタイトルだ。

と思ったら、渡辺えりさんが妖精のようなコスチュームで客席から登場。

まるで誰かの夢の中をのぞいているかのように、脈絡なく次々と場面が移っていく。

おもちゃ箱をひっくり返したような色鮮やかさとにぎやかさなのだけれど、チクリチクリと刺さる言葉たちがあふれ出てくる。

とにかく盛りだくさんだ。

東日本・阪神淡路大震災で大切な人(もの)を失った人たち。
そこにかかわる人たちのそれぞれが抱えている喪失感。
前に進めずずっと同じ場所に立ち止まっている人。
認知症など老いへの恐怖。
セクハラ・パワハラ。
女性が土俵に上がれない問題まで。
大きなテーマの傍らにちりばめられてお腹いっぱいだ。

どうやら「肉の海」は人間の脳のことのようだ。

今回、どうしたことか席が1番前のほぼ中央。

迫力が半端ない。

役者さんたちがちょくちょく舞台から降りて動き回るので、足を踏まれそうだ。

最初の妖精のコスチュームくらいで驚いていてはいけない。

三田和代さんの不思議の国のアリススタイルにも度肝を抜かれる。
しかも、たしかに顔はおばあさんだが、可愛らしい。

ベンガルさんのセーラー服姿も、一歩間違えば相当ヤバいけれど、この世界ではくすっと笑えるかわいらしさ。
渡辺さんのセーラー服も然り。
でも、渡辺さんのセーラー服は以前に別の舞台で観たことがあるので、それほどのビックリ感はなかったけれど。

青木さやかさんの女王様もぴったりだ。
かなり重要なポジションを占める震災で亡くなった美希子役の屋比久知奈さんの顔の小さいことったら。

尾身としのりさんが終始ちょっとぞくっとする怪しい人を貫いていた。

歌ったり、踊ったり、走り回ったり、楽器を演奏したり、詰め込めるモノを全て詰め込んだって感じ。
それをこなしていく役者さんたちってすごい。

混沌としていて、生臭くて、死にたくなるほどつらくても次の瞬間お祭り騒ぎをして・・・。
人間の脳の中ってこんな風なのかもしれない。
きれいごとではなく、不謹慎でもなく、人ってこんな風に生きていくのかもしれない。

なんだかよくわからないけどすごい迫力の舞台だった。
重たい部分もかなりあったけれど、最終的には元気をもらった気がする。

年を重ねることへの不安を払しょくする勢いのある舞台だ。
私もまだまだ頑張れそうな気がする。

井上ひさしさん、渡辺えりさん、と2日連続で上質のお芝居を観て、とてもとても前向きになっている。

今週は自宅のプチリフォームもある。

これからの日々もワクワクすることがたくさんありそうだ。






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夢の裂け目

2018年06月17日 | 演劇
「夢の裂け目」
作 井上ひさし
演出 栗山民也
新国立劇場

例え「戦争」などという信じられないようなひどい状況にあっても、普通の人たちは、それなりに折り合いをつけてたくましく生き抜いていく。

井上ひさしさんの目は、いつも庶民の側から普通の暮らしと、きれいごとではない感情を淡々と見つめている.

ただ、今回は、庶民にもちょっと厳しい目が向けられている。
国家の命令で戦争に突き進んでいったとはいえ、国民個人にも全く責任がなかったと言えるのか・・・みたいな。

昭和21年、紙芝居屋の親方、天声こと田中留吉(段田安則さん)がある日突然GHQから呼び出しを受け、東京裁判の検察側証人になったことから、彼を心中も含めて取り巻く世界が変わっていく。

東条英機の戦争責任を問うための裁判の証人となった後の天声は、そのことで自分の名前が新聞に載ったことに気をよくして、自分の名前を探すべく、毎日しっかり新聞を読んでいくうちに、東京裁判のからくりに気が付いてしまう。
そのことを自身の紙芝居の最後に書き加えたことで、今度は彼が投獄されてしまう。

焼け残った東京の片隅で身を寄せ合って暮らしていた彼の家族や紙芝居の仲間たちもそれに巻き込まれ・・・。

子供のころに彼の紙芝居のとりこになり、彼に想いを寄せる検事(保坂知寿さん)の計らいで、権力に屈する内容の書類にサインを求められる。

そのときに湧き上がるそれぞれの「でも・・・」の気持ち。

天声の義父であり、紙芝居の絵師でもある清風先生(木場勝己さん)のセリフが心に響く。

「でも、でも・・・って思いながら生きていくのが生活なんだ」、と。
「それでも、毎日は楽しいんだから仕方がない」とも。

その通りだ、と思った。

色々な理不尽に自分の中の正義を通せないことは日常茶飯事だ。

けれど、それなりに折り合いをつけて生きている。
割り切れない思いはあっても、それでも毎日はそこそこ楽しい。

東京裁判で戦犯と言われる人たちにすべての責任をかぶせて、天皇陛下と国民を諸外国から守ることができたのかもしれない。
そうするための出来レースの裁判だったのかもしれない、と天声は思った。

でも、その思いを封印して、毎日を生きていく。

戦時中、こんなことをしていてはいけない、という思いを国民一人一人が思っていたのかもしれない。
命令なんだから仕方がない、と自分を納得させていたのかもしれない。
それに乗っかってやらなくていいことまでやったかもしれない。

でも、生き抜かなくては・・・。

パンフレットの表紙の裏にこんなことが書いてあった。

学問 それはなにか
人間のすることを
おもてだけ見ないで
骨組 さがすこと

舞台を最後まで見た後でもう一度読み返すと、深い。

井上ひさしさんの劇は、歌が入る音楽劇が多いけれど、今回はカーテンコールも歌いながら。
明るく楽しい歌とともに、出演者の紹介があり、客席も手拍子で盛り上がる。

やがて、少しトーンダウンして、

劇場は夢を見る懐かしいゆりかご
その夢の真実を考えるところ
その夢の裂け目を考えるところ

という歌に変わっていく。

最後の一節「その夢の裂け目を考えるところ」を繰り返しながらフェイドアウト。

じわ~っと心に染み入る。

この日一緒に行った友人は、観劇後の予定をしっかりと決めていたのだが、木場さんのセリフを聞いてすっかりどうでもよくなった、と言い出す。

私はこの観劇後、知人の絵の展示会をのぞいてから帰る予定だったが、一緒には行けないと言っていた彼女がやっぱり私も行く、と。

休憩時間に言っていたことといきなり変わっているのに驚いた。
なにか心に刺さるものがあったに違いない。

演劇が人の心を変える瞬間を目の当たりにして、ちょっと驚く。

ということで、私たちはその後銀座に向かい、展示会を見て絵の美しさに感動し、彼女が大好きな焼物の食器のお店に立ち寄りバーゲン情報を仕入れ、長野県のアンテナショップで買い物をして家に帰ったのでした。







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【観劇メモ】熱海五郎一座~船上のカナリアは陽気な不協和音~

2018年06月13日 | 演劇
毎年この季節のお楽しみ、熱海五郎一座の新橋演舞場公演。

日頃、演劇に全く興味のない夫は私と一緒に観劇なんてことはほとんどない。

けれど、お笑い好きなのでこういうコテコテのお笑いの時にはついてくる。

この日は友人と夫と3人で出かけて行く。

もともとは伊東四朗さんと三宅裕司さんとで立ち上げた「伊東四朗一座」だった。

諸事情から解散後、それを三宅さんが引き継いだ。

「伊東」の近くだから「熱海」
「四朗」の次だから「五郎」
という比較的安易なネーミング。

開演5分前の東さんのミニコント風前説も毎回の楽しみだ。
今回は記者会見パロディ。

そう、某大学アメフト監督のあれだ。
もちろん、あの司会者も登場する。
そこまで言っちゃっていいの?ってくらい際どいけれど、そういうのが生の舞台ならではの楽しさ。
始まる前から大笑い。

三宅さん、小倉さんをはじめとするスーパーエキセントリックシアターのみなさんや、東貴博さん、ラサール石井さん、渡辺正行さん、春風亭昇太さんはレギュラーメンバー。
この中に毎回大物女優がゲストとして参加する。

今年は小林幸子さんが登場。引退した大物歌手という役どころ。

今回の舞台は豪華客船。

防衛大臣で後援会会長、妻子持ちの渡辺さんと二人でお忍びの旅行なのに、尋常じゃない派手な出で立ち。
それがまたとってもお似合い。

役名の「さこしば ちやこ」は並べ替えると「こばやし さちこ」になるし。

他にも三宅さんは「日野”ビンタ”晴正」
シージャックみたいなことをやってしまうラサールさんは「麦原一味(むぎわらかずみ)」
ワンピースの麦わらの一味みたいだ。
船長の小倉久寛さんは「荒波絓琉(あらなみしける)」なんて船が沈みそうな名前だし。
天才外科医の春風亭昇太さんは「山井渉瑠(やまいかかる)」なんて病気になりそうな名前。

こういうところもくだらなくて楽しい。

日頃からクォリティの高い歌と踊りが満載なんだけれど、今回はそれに加えて三宅さんがホントに結成しているビッグバンドと小林幸子さんがジャズを披露。
演歌歌手だからかちょっとこぶしが回っちゃうところもあったけれど、さすがに染み入る歌声。

ちょこちょこ挟まれるアドリブもかなり笑える。

観客の年齢層はかなり高めだけれど、みんな大笑い。

私たちよりも少し年上のおじさんたちが、舞台の上で本気で自虐も含めたくだらないギャグを連発している姿には本当に元気づけられる。
痛々しいのではない。
とにかく楽しそうなのだ。

新橋演舞場の公演は、必ず途中で30分のもぐもぐタイムがあるので、お弁当を買って客席に着くのも楽しみの一つ。
今回は演舞場の向かい側にあるお弁当屋さんで購入。
前回別の友人行ったときに食べたのが美味しかったので・・・。

開演時間が16時半と早いので、たくさん笑ってお弁当を食べ、すべてが終わって外に出てもまだ7時半。

「くだらない~」と大笑いしてすっきりして、この友人との観劇後には必ず行く地元のお店で、飲み始める。
ここに、友人のご主人とうちの息子二人が合流。

友人のお嬢さんも仕事帰りに「明日も仕事で早いから挨拶だけね~」と顔をだしてくれた。

こういうまったりとした時間がたまらなく愛おしい。
とても楽しく、穏やかな気持ちで一日を終えられるのはこの上なく幸せだ。(小さいけど

さて、この日、行きの電車の中で素敵な女性を見かけた。
夫の隣に座ってうつらうつらしてふと顔を上げると、目の前に藍染めの木綿の可愛らしいワンピース。
よく見るとワンピースの中に小さなツバメがたくさん飛んでいる。
見上げると小柄な年配の女性。
キュートなおばあさんだ。
目が合ったので、「お座りになりますか?」と声をかけ、席を譲った。
シルバーグレーの髪をきれいにまとめ、つばの小さな麦わら帽子をかぶっている。
白い大きめの石の短いネックレスの真ん中の一つだけが控えめにハートの形。
メッシュのぺったんこのおしゃれなサンダル。
あまりの素敵さに全部見てしまった。

年を重ねてもこんなにおしゃれができるんだ
なんだかとってもうれしくなった。

私が先に降りるときにお互い軽く会釈をして、もしかしたら席を譲ったのは失礼だったのかもしれないなあ、とも思った。

隣で爆睡していた夫は、私が席を譲ったことに全く気が付いてなかったようで、降りるときに隣がいきなり知らない人に変わっていたので相当驚いていた。

彼にもダンディなおじいさんになっていただきたいものだ。

自分より年が上の人たちに、たくさんパワーをもらった一日でした。

さあ、明日もがんばりましょう
















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