ゆるゆるらいふ

とりあえず、今日も一日機嫌よく・・・

ハロウィンアレンジ

2015年10月23日 | フラワーアレンジメント
10月のシーズンフラワーは、毎年恒例ハロウィンアレンジ。

パンプキンカラーが秋っぽい

今回の花材はこれ。



オレンジのバラ、ケイトウ、ヒペリカム、黒い実のコニカル。



こんな花器や空き缶、プレート、ピックなどを使って、楽しくアレンジしていく。

カボチャもホンモノだ。

出来上がりはこちら。



にぎやかで、おもちゃ箱みたい


さて、このレッスンを受ける前に、同じ資材を使って、プレゼント用にプリザーブドでアレンジした。

友人の奥様とお嬢さんの個展のお祝いだ。



黒いバラは造花だけど、こういうことが出来るのはプリザーブド・造花のアレンジならでは。

今回のレッスンで、先生がおっしゃっていたのは、後ろのハロウィンのプレートを目立たせた方がいいってこと。
この時はレッスン前だったので、なるほどちょっと埋もれ気味
ちょっとのアドバイスで、かなり出来上がりが違ってしまう。
なんだか差し上げた方に申し訳ない。

でも、これはこれで喜んでいただけた・・・気がする

今月は、このほかに、友人のお見舞い用のアレンジも作った。



病室に飾ってもらうのに、あまり場所をとらないフレーム型にしてみた。
何人かの同級生が材料費を出し合ってくれた。

きれいな色で少しでも気持ちが和らいでくれたら…と思う。

そして、一日も早くよくなってほしい。

来月はいよいよクリスマスアレンジ

今年もまたあっという間に過ぎていっちゃうなあ









コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

くちづけ2015

2015年10月11日 | 演劇
心が震えたというか、切ないというか、やり切れないと言おうか・・・。

観終った後の無力感とでも言おうか・・・。

ただただ、涙が流れ落ちる。

限りなく優しく、辛いお話だった。
10年ほど前に実際に起こった事件がモチーフになっているという。


舞台は知的障がいを持つ大人たちが暮らすグループホーム「ヒマワリ荘」
地域で小児科を開業している、お医者さん一家が経営している、アットホームな施設だ。

妻も高校生の娘も、入所者達に家族のように接し、笑顔が絶えない。
近所の交番のお巡りさんもちょくちょく顔をだし、温かく見守っている。

ここに、同じく知的障がいをもつ、マコちゃんが新たに仲間に加わる。
昔ヒットをとばしたものの、今はほとんど活動を休止している「愛情いっぽん」と言うペンネームの父親と一緒。

父親はこの施設で住み込みで働くこととなり、いつもマコちゃんのそばにいる。

辛い経験から成人の男性が近くに来るとパニックを起こすため、普通の施設に入れないマコちゃんも
ここの人たちの前では大丈夫なので、父親も一安心。

入居者の中でも、ひときわ明るく優しいうーやんとクリスマスに結婚しよう、と約束をしたマコちゃんは
その日を待ち焦がれていたけれど・・・。

天使のようなマコちゃんをアイドリング!!!11号とやらの森田涼花さんが好演。
無垢な笑顔が本当に可愛らしい。

そんなマコちゃんを慈しみ、心からの愛情を注ぐ父親に金田明夫さん。
マコちゃんを優しく見つめるまなざしと、これから自分たちを待ち受ける過酷な運命に苦悶する表情が
なんとも切ない。

明るいうーやんは宅間孝行さん。
彼を支える妹、ともちゃんに上原多香子さん。

施設の経営者でお医者さんを大和田獏さん。
その奥さんでみんなの母親代わりのまりこママをかとうかずこさん。
彼らの娘で、入居者たちにまるで兄弟のように接するのが中村有紗ちゃん。
「天才てれびくん」に出ていたらしい。

きれいごとを言わず、口は悪いがみんなのことを誰よりも冷静に平等に見ている住み込みの寮母さんに柴田理恵さん。
勤務中にお酒を飲んだり、とやることはめちゃくちゃだが、とにかく温かい。

さて今回の舞台には障がい者役のひとりとして、本当に障がいがある女優さん、町田萌香さんも出演されている。
180cmの長身で抜群のスタイルの町田さんはモデルもされているらしい。
最後の舞台挨拶もしっかりとしていて、宅間さんがおっしゃるまで障がいがあるとは思って観てなかった。


カラダは大人だけれど心は純真な子供のままの人たちやその家族は、実にさまざまな事情を抱えている。
ともちゃんは、うーやんのような兄がいるからと言う理由で、結婚の話がダメになってしまったり、
別の入居者しまちんは、障がい者手当を親が使い込んでしまい、家賃を払えずにグループホームを後にすることに。
この辺りからじわじわと不穏な空気が流れはじめる。

やがて、経営難からホームは閉鎖されることに。

屈託のない入居者の周りで、関係者たちは苦悶し、無力感にさいなまれ・・・。

だんだんと、観ているこちらも、関係者のような錯覚に陥り、どうにかならないのかしら、なんて本気で思ってしまう。

劇中、おまわりさんがこんなことを言う。
「日本国内で知的障がいを持つ人は2%、けれど刑務所内では25%、生きる術を持てない人たちが、そうとはわからないまま犯罪者になってしまう現実がある」
それに対し、いっぽんが絞り出すような声で言う。
「彼らはやってないことでも警察に強く言われたらやったと言ってしまう。ホームレスの中にもそういう障がい者はたくさんいる。
生きる術を持たない人たちが普通に生きていける世の中であるべきではないか」と。

実は彼は癌で余命を宣告され、残されたマコちゃんが、犯罪者になったりホームレスになったりするのではないかと、
心の底から案じていた。
ホームの閉鎖も決まり、マコちゃんの行き場も見つからず、追い詰められた父の選択はあまりに悲しい。

みんなが去ったホームの中に二人で残り、父はマコちゃんのおでこに優しく口づけした後、手を首に回して・・・。

そこで、もう涙が止まらないのに、映画のタイトルバックのような映像で、
うーやんと結婚して幸せそうなドレス姿のマコちゃんが写しだされ、また涙が・・・。

最初にも書いたが、これは実際にあった事件がモチーフになっている。

こんなに頑張って生きている人たちを救うこともできずに、何が一億総活躍だ、と言いたくなる。
政治家の皆さんは、もっと自国の足元を見ることはできないんだろうか。

などと余韻に浸っている暇もなく、舞台の上はカーテンコールを終え、出演者の皆さんによるダンスが始まる。
そうだ、これはタクフェスだった。
開演前のふれあいタイムにレクチャーされた振付を観客もやらねばならない。
泣いてなんかいられないのだ。

タクフェスの観客サービスは、すばらしい。
開演前、結構ギリギリまで出演者がステージに出てきて、パンフレットなどを買った人たちにサインをしてくれたり、
ツーショット写真を撮ってくれたり。

 


私もついつい。



舞台上ではちょっと感じの悪い女子高生役のハレルヤまつこさんが観客たちとじゃんけん大会。
楽屋の差し入れのジュースをサイン入りでプレゼント、なんていうのをやっている。



上演中も飲食自由でポップコーンなども売っているし。

さらに上演途中にみんなで記念写真って言うときには観客も撮影可



ちゃんと色んな方を向いてくれるし。

終演後、ダンスの発表で大和田獏さんなどはフラフラだったが、
鳴り止まぬ拍手に、もう一度全員でアタマから踊ってくださった。

楽しく、悲しく切ない舞台だった。

来年は「歌姫」という公演が決定してるとか。
ホントに楽しみ。

18日までです。
ご興味のある方はお早めに

















コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

個展を見てから全国の高校のノートがあるお店へ

2015年10月08日 | イベント

同級生の奥様とお嬢さんが2人で開く個展も3度目を迎えた。

今回も高校の同級生と一緒に出かけて行く。

昨年に引き続き、今年の会場も銀座1丁目にある奥野ビル。
何ともレトロで味のあるビル。



エレベーターはこんな感じで、なんとドアが手動

 

降りたときにこの黄色いのをちゃんと閉めないと(自分で)エレベーターはその階にず~っと停まったまんま

一緒に乗り合わせた人が降りないと次の階のボタンが押せないので、下の階の人から順番にボタンを押さなければならない。

奥様が版画、お嬢さんが写真、というこの展示会。
お嬢さんの写真の腕は着々と上がっている。

 



今までは、それぞれにそれぞれの作品を作っていたけれど、今回は写真と版画が融合した作品も。



ポストカードにもなっているこの作品。

背景の四つ葉のクローバーは写真。
女性が版画。

透明感のあるステキな暖かい作品だ。

この作品の作り方について、奥様がそれはそれは詳しくレクチャーしてくださり、
その時はわかった気になって「ふんふん」と聞いていたのに、もうわからない・・・

お父さんが音楽家、お母さんが版画家、で、そのお嬢さんに才能がないはずがない。
ほとんど独学で、写真を撮り、ホームページを作り、ポストカードなども作っちゃう。

凡人の両親から生まれたうちの息子たちが不憫でならない・・・。
なんかごめんなさい。

ほっこりとした作品に囲まれ、おしゃべりをしていると、ビルの一室が、陽だまりのようだ。

奥様の作品は来年ニューヨークの展示会にも展示されるらしい。
行けるものなら行ってみたいものだが、さすがにムリ

お嬢さんの今後のご活躍も楽しみだ。

ひとしきりおしゃべりをした後、友人と私は新橋へ向かう。
目的のお店は、新橋にある「有薫酒蔵」

以前に次男の高校のママ友と集まっていた、有楽町の「有薫酒蔵」の姉妹店。

このお店には全国の高校のノートがある、と先日テレビ番組で放送されていた。
たまたま、テレビをつけたらやっていて、テーブルの上がクローズアップされたら、まさかの私の出身校のノートが1番上に

これは行ってみるしかない、と予約を入れた。

ここでもう一人の同級生と合流し、ノートを見せてもらう。
お店の人に、高校名を書いた紙を渡すと、女将さんが持ってきて、説明してくださる。



それによると、なんでもこの日現在、約3000校分の全国の高校のノーとがあるとのこと。
もちろん、この日に新たなノートが出来ているかもしれない。

ノートには作られた順に番号が書いてあり、母校は「29」番。
3000校あることを考えると、かなり初期に作られている。

が、そのわりに書いている人は少ない。

一番最初に書いた方は私達より20年近く前の卒業生。
直近だと2か月ほど前に来店された方がいる。
この方は私達より1歳上の先輩。

最初に書いた方が、再度来店して「まだ健在です」なんて書いてあるのが微笑ましい。

ノートの裏表紙にはおかみさんがわざわざインターネットで探してくださった、校舎の写真や、校歌などが貼られている。
しかも、私たちが通った、建て替え前の木造校舎の写真まで
なんて粋な心配り

私達も3人で少しだけ書いてきた。

予約できるものなら、ここで毎年の集まりをやりたいね、なんて話しながら。

ステキな版画や写真を見て、懐かしい想いを感じさせてくれるノートを見て、幸せな気分のまま、
翌朝も仕事なので、早め(?)に解散。

楽しい時間でした。
今度は忘年会か新年会でお会いしましょう
























コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ねじめ正一氏講演会

2015年10月05日 | イベント
お仕事でお世話になっている家具メーカーの方にお誘いいただき、介護に関する講演会に参加してみた。

直木賞作家でもあるねじめ正一氏がご自身のお母さまの介護体験をお話しくださるという。

このことはご著書である「認知の母にキッスされ」にも書かれているとのこと。

お母様は単にいろいろなことを忘れてしまうだけではなく、妄想を伴う認知症らしい。

そのため、実際にはいない人のお話をしたり、架空のお使いごとを頼まれたり、
そうかと思えば、ねじめさん自身の覚えのない女性関係を追及されたり、と日々神経をすり減らしながら
お母様と接してらしたご様子。

ただ、小説家と言う職業柄、いろいろな角度からお母さまを見つめ、優しくユーモラスに受けとめていらしたようだ。

そのお母様は、今は入院し、ほとんどお話しすることなく、眠っていることが多くなったとおっしゃる。
それでも、そのベットの傍らで、わざと音を立てて新聞を読んだり、話しかけたり、
と自分の気配をお母さまが感じるようにと心がけてらっしゃるとか。

「寄り添うことが大切」とおっしゃる。

この講演を聞き終えての感想は、と言えば「これは介護って言うのか?」かな。

あくまでも、講演だけを聴いてのことであって、もしかしたらご著書にはもっと大変なことがたくさん書いてあったのかもしれない。
ただ、講演を聴く限りでは、どちらかというと「お留守番」だ。

基本的な立ち位置が一般の人と違いすぎる、と言うこともある。

ご自身のお店は、昼間ねじめさんがお母さまのそばにいる間、奥様が切り盛りしてくれる。
一緒に住んでいらっしゃるのは弟さんご夫婦。
弟さんたちは昼間働いていて、夜に帰ってきてからお母さまを看ることとなり、かなりの寝不足だったとか。
だったら、昼間眠ることもできるねじめさんが夜についててあげたらいいのに・・・、などと思ってしまう。

ご自身の資金援助で、家の近くの施設に入ることが出来、毎日顔をだし、何時間でも話し相手になれる、というのも、
一般の人にはなかなかできないことだ。

寄り添いたくても、なかなか家の近くの施設に入れる財力も時間も無かったりするのが現実ではないだろうか。

ご自身はたとえ話してなくても何時間もいられるが、奥様は1時間が限度なので、1時間でできることを探す、というのは男女の違い、
ともおっしゃっていたがこれも何だか違う気がする。

会話が無くても、ただベッドの傍らでいられるのは実のお母様だからではないか、と私は思う。
妻は義理の母との歴史が浅い。
夫と同じだけの歴史や想い出をを共有してはいないのだ。
これは、姑が好きとか嫌いとかのことを言っているのではない。

何度も言うが、あくまでも、講演内容の感想だ。
これだけ聞くと、一番おいしいところだけ取ってるようにも聞こえ、
逆にこれを本にされた同居している弟さんたちは、どんな思いなのだろう、と考えてしまう。

ただ、「男はいくつになっても母親にほめてもらいたいものだ」
「私のために、がんばってくれてありがとう、よくやったね、と言ってほしい」
とおっしゃっていたのには胸が熱くなった。

きっとそうなのだろう。
夫を見ていても、本当にそう思う。
母親に喜んでもらおうと、けなげな努力をし続けている。

そして、これは息子も、娘も、だと思う。

かつて何よりも大きな存在だった自分の親が老いていき、違う人のようになっていくのを受け入れるのはとてもつらい。
物理的に大変な介護に、精神的な面も加わるから、身内の介護はより過酷なものになってしまうのかもしれない。

私自身のことを思ってみても、夫と私、双方の親の介護はもう目の前まで来ている。
そうしているうちに自分も介護される側になってしまうのだろう。

ねじめさんの体験は、残念ながらあまり参考にはならなかったけれど、
前向きに接することや寄り添う気持ちの大切さは伝わってきた。

じゃあ、自分の立場ならいったいどんなことができるのだろう、と見つめ直すいいきっかけになったと思う。

介護の形は子育て同様、人それぞれ、ケースバイケースだ。
子どもはいろんなことがどんどんできるようになり、いずれは一人で歩いて行くけれど、
介護はいろんなことが出来なくなり、一人で生きて行けなくなってくる。

今の私は、子育てがやや終わり、介護まではまだ少しの猶予がある、という時間の中にいる。
どういう介護が必要になってくるかはその時になってみないとわからないので、
とりあえずは今の自分の時間を大切に生きて行こうと思う。

それにしても、もう少し、安心して年をとれる社会ならどんなにかいいだろう。
結局は個人の財力がものをいうんだなあ、と思い知った講演会だった。









コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする